2021年3月7日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>エレミヤ書24章1~10節
24:1 バビロンの王ネブカドネツァルが、ユダの王、エホヤキムの子エコンヤと、ユダの高官たち、職人、鍛冶をエルサレムから捕らえ移してバビロンに連れて行った後のこと、【主】は私にこのように示された。見よ、【主】の神殿の前に、二かごのいちじくが置かれていた。
24:2 一つのかごにあるのは非常に良いいちじくで、初なりのいちじくの実のようであり、もう一つのかごにあるのは非常に悪いいちじくで、悪くて食べられないものであった。
24:3 そのとき、【主】が私に、「エレミヤ、あなたは何を見ているのか」と言われたので、私は言った。「いちじくです。良いいちじくは非常に良く、悪いほうは非常に悪く、悪くて食べられないものです。」
24:4 すると、私に次のような【主】のことばがあった。
24:5 「イスラエルの神、【主】はこう言う。わたしは、この場所からカルデア人の地に送ったユダの捕囚の民を、この良いいちじくのように、良いものであると見なそう。
24:6 わたしは、彼らを幸せにしようと彼らに目をかける。彼らをこの地に帰らせ、建て直して、壊すことなく、植えて、引き抜くことはない。
24:7 わたしは、わたしが【主】であることを知る心を彼らに与える。彼らはわたしの民となり、わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてをもってわたしに立ち返るからである。
24:8 しかし、悪くて食べられないあの悪いいちじくのように──まことに【主】は言われる──わたしはユダの王ゼデキヤと、その高官たち、エルサレムの残りの者と、この地に残されている者、およびエジプトの地に住んでいる者を、このようにする。
24:9 わたしは彼らを、地のすべての王国にとって、おののきのもと、悪しきものとする。また、わたしが追い散らす、すべての場所で、そしりと嘲りの的、物笑いの種、ののしりの的とする。
24:10 わたしは彼らのうちに、剣と飢饉と疫病を送り、彼らとその先祖に与えた地から彼らを滅ぼし尽くす。」
<要約>
バビロンに捕え移された神の民にとって、敵国に支配され、郷里をはなれ、他国に移り住むことは大きな試練であり敗北でありました。神殿中心の信仰生活は絶たれました。新しい土地と環境になかなかなじめず、不安と絶望の中にいました。しかし、主は、捕囚の民に目をかけて、幸せにするとおっしゃいました。そして、この地に帰らせ、立て直し、壊すことなく、植えて、引き抜かないとおっしゃいました。これは、この時をくだる70年後に、ペルシャの王クロスによって、成就しました。捕囚の民は祖国帰還を果たすのです。彼らは、自分たちには、マイナスと思えること、敗北と思われることでも、神の御言葉に従ったのです。ですから、良いイチジクに例えられたのです。ここには神の主権があります。あわれみと恵があります。私たちは、先のことはわからなくても、神に信頼し、み言葉に従うことです。みことばに従うとき、今、敗北に見えても勝利があるのです。
悔い改めて立ち返るのを待つ神:
それに対して、エレミヤの警告に耳を傾けず、かたくなにその地に残った者たち、そしてユダの王ゼデキヤと、その高官たちに対する審判がありました。そこに教訓があります。私たちは、神を侮ってはいけません。私たちの罪に対して、神の審判はくだるのです。神の御心は、私たちを良いイチジクとみなしたいのです。聖書によると、私たち人間の罪は非常に大きいのです。にもかかわらず、人が自らの罪によって滅ぶことを神は惜しまれ、その独り子イエス・キリストを人の罪を取り除くために、送ってくださいました。「わたしは彼らの神となる。彼らが心のすべてを持ってわたしに立ち返るからである。」ここに、神の民であるイスラエルに、そしてすべての人に対する神の願いが隠されています。悔い改めて立ち返るとは、思いを変えて、心から神を信じることです。神に信頼を置くことです。あなたの人生を神に委ねることです。これからのあなたの人生を神にお任せすることです。神はあなたに最善をなしてくださいます。