2022年8月21日(日)礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>ルカの福音書12章1~10節
【新改訳2017】
12:1 そうしているうちに、数えきれないほどの群衆が集まって来て、足を踏み合うほどになった。イエスはまず弟子たちに話し始められた。「パリサイ人のパン種、すなわち偽善には気をつけなさい。
12:2 おおわれているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずにすむものはありません。
12:3 ですから、あなたがたが暗闇で言ったことが、みな明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことが、屋上で言い広められるのです。
12:4 わたしの友であるあなたがたに言います。からだを殺しても、その後はもう何もできない者たちを恐れてはいけません。
12:5 恐れなければならない方を、あなたがたに教えてあげましょう。殺した後で、ゲヘナに投げ込む権威を持っておられる方を恐れなさい。そうです。あなたがたに言います。この方を恐れなさい。
12:6 五羽の雀が、二アサリオンで売られているではありませんか。そんな雀の一羽でも、神の御前で忘れられてはいません。
12:7 それどころか、あなたがたの髪の毛さえも、すべて数えられています。恐れることはありません。あなたがたは、多くの雀よりも価値があるのです。
12:8 あなたがたに言います。だれでも人々の前でわたしを認めるなら、人の子もまた、神の御使いたちの前でその人を認めます。
12:9 しかし、人々の前でわたしを知らないと言う者は、神の御使いたちの前で知らないと言われます。
12:10 人の子を悪く言う者はだれでも赦されます。しかし、聖霊を冒?する者は赦されません。
<要約>
悪いパン種は生まれながらの罪の性質:
イエス様はまず弟子たちに話始められました。悪に傾きやすい私たち人間の罪の性質、弱さをご存知で、「パリサイ人のパン種」に注意しなさい、とおっしゃったのです。神を心の中心に据えて、神を畏れ、信じ、愛しなさいという命令に対しても、神よりも、人間中心、自分中心に傾き、少しずつずれていくのです。そして、当時のパリサイ人、律法学者たちのように聖霊に心を開くこともなく、悔い改めることをしなければ、ますます罪みがわからなくなり、神から離れてしまうのです。イエス様は、人の罪に対する罰を十字架でお引き受けなさったのです。そこに救いがあります。それが福音です。聖霊は人に罪を目覚めさせ、悔い改めて神を仰ぐことに導きます。悪いパン種、それはすべての人の内側の生まれながらの罪の性質と言うことができます。それにより神との関係が断絶状態にあるのです。現に生まれながらの人は、神を認めることもできないし、神を信じることもできません。それは、霊的内面には腐敗したパン種があるからです。もし、今日あなたの内に悪いパン種があることをお認めになるのなら、それを取り除いていただきましょう。
神を恐れ、信じ、愛し続ける祝福:
神を本当に恐れるならば罪から離れます。神を本当に信頼するならば目の前の状況が思わしくなく悪く見えても、つぶやくことをせず、全能の神を信じて忍耐します。神を本当に愛しているなら常に心の中心に神を置き、神の喜ばれることを行なうのです。神を畏れ、信じ、愛することを常に心の中心に置き、励むならばあなたは幸せになります。「主が共におられる」幸いな人生を歩むことができます。また、私たちクリスチャンは、何よりも神を恐れ、神を信頼し、神を愛していても、時々神より人を恐れてしまいます。神より自分の経験に信頼を置いたり、神を愛していると言いながら、自分中心の行動をしたりしてしまいます。神の律法であり命令を完全に守れないのです。そのことを聖霊によって示されたなら素直になって、悔い改めましょう。キリストの十字架のゆえに神はあなたを完全に赦してくださいます。あなたが神を畏れ、信頼し、愛し続ける時、神は、あなたに祝福と勝利の人生を約束してくださいます。