王の祝宴に通される条件

8月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書22章1~14節

【新改訳2017】
22:1 イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
22:2 「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
22:3 王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
22:4 それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』
22:5 ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、
22:6 残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。
22:7 王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。
22:8 それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。
22:9 だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』
22:10 しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。
22:11 王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。
22:12 王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。
22:13 そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』
22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」

<要約>

創造主、祝福の神を無視する人間

これは一見イスラエル民族だけの問題のようですが、私たちすべての人間の問題でもあります。私たちは目先のことに心を奪われて、心で見えるはずの創り主の神を見ることができなくなっています。そして、神の存在を心で否定しているのです。神はおられることは、「その被造物によって知られている」と書いています。神は確実におらます。ギリシャのアテネには、アクロポリスという丘にパルテノン神殿があります。大変大きな石の建造物です。どうやってそんなに大きな石を積み上げたのか、想像もできませんでした。でも、そこにあるということは数千年前に誰かが、造ったからです。同様に宇宙万物、そしてすべての地上にある生き物も自然にできたのではありません。神が意図をもって作られ、また、その創造の業は継続しているのです。この例話の招かれた人々は王様が眼中になかったのです。それはとても変な話です。同様に、創り主であり、全世界を保っておられる神を無視することもとんでもないことです。

あなたの罪を覆い栄光をお与えになる神

クリスチャンは、神様からいただいたイエス様という礼服を着ているということです。この例話から大通りにいたすべての人が招かれたのです。神の救いに与る条件は、良い人間、悪い人間、その人の人格は関係ない。ただ、神が提供してくださった礼服であるイエス・キリストを着るということだけでよいのです。これは、イエス・キリストを救い主として信じることです。これが神の恵みです。キリストを信じて心の内にお迎えすることです。もう一つ、神の恵みということについて、大切なことがあります。神は、招きに応じてキリストを受け入れた者たちに栄誉を与えようとしておられます。ただそれだけで、と思いますか。そうです。それだけで神はあなたを誉めてくださり、神の子ども、天国の世継ぎとまでしてくださるのです。それが神の約束です。すべての人にイエス・キリストの救いが提供されています。しかし、洗礼を受けてキリストを着る、すなわち救われる人は少ないと言えます。神が一番求めておられるのはこの信仰による応答なのです。神はあなたの罪を覆い、栄光をお与えになる神です。