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救い主への期待

2020年12月20日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカによる福音書2章22~38
2:22 そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。
2:23 それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。
2:24 また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
2:36 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、
2:37 やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
2:38 ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。

<要約>

平安な死を得るために

三浦綾子さんが人間には最後に「死ぬ」という仕事があると、言われたのを思い出します。自分の地上での生涯を総括し、心はばかることなく神のもとに帰ることが出来れば、平安であり祝福でしょう。でも人は最後に、心に残しているものがあり、平安が無いことがあります。それは、罪の責めであったり、人に伝えておかなければならないことであったりします。そして、聖書によると、人は天国に行くには、罪が赦されていることが必要と成ります。罪赦され永遠の御国に入る恵は、キリストから与えられるのです。この後シメオンは、御救いを見たことから、すべての重荷や罪は取り除かれ、平安のうちに約束された永遠の御国の民に加えられたことでしょう。私たちも、イエス様を信じて、救いを自分のものと確信しましょう。やがて来る肉体の死は、永遠のいのちへの門です。そのことを信じて平安を得ましょう。

キリストへの応答で永遠が決まる

イエス様の生涯を見ると、神はどういうお方かを知ることができます。また、シメオンが慰めを得たように、イエス様は、待ち望む者に慰めと平安をくださいます。イエス様は光となって多くの人々の心の中を照らし、隠された思いをあらわにします。人々はイエス様に対する態度によって自らの立場を表明することになります。私たちには究極的には中立の立場ではありえないのです。人々は、キリストのみ苦しみを見て、どのように応答するかによって、どちらの側に立っているかが明らかになるのです。クリスマスはイエス様との出会いです。神は あなたに応答を求めておられます。イエス様を通してあなたは神に近づくか、遠ざかるか。神を信じ、イエス様にある永遠のいただくのか、そのまま通り過ぎて自らの罪のために滅びに向かうのか。神はあなたに、重大な応答を求めておられるのです。

神が人となって世に来られた

2020年12月13日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネによる福音書1章1~18節、20章31節

1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
1:17 律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

<説教メモ>
光のキリストが与える永遠のいのち

あなたが、光であるキリストを心の目で見ることができないのは、あなたの霊の目が罪で曇っているからです。罪というと、犯罪をイメージするかもしれませんが、聖書のいう罪は、思いの罪です。言葉や行動に表れる前に心に浮かぶ罪です。その最大の罪は、神を知らない、神を認めない、神よりも自分の考えを優先するという心の罪です。霊の目が曇っているので神を見ることができません。低くなって、悔い改め、すなわち、罪を離れ、思いを変えて、天を見上げて、神を呼び求めることです。必ず神はあなたにこたえてくださいます。真理といのちの源であるキリストを、是非、心の目ではっきり見ることができるようにお祈りします。神の子キリストを信じ、滅びから救われ永遠の命を得ていただきたいと思います。

キリストが与える恵とまこと

キリストはあなたの罪のために十字架で死んで、あなたの命のために復活したのです。恵みとまことはイエスキリストによって実現したと書いています。恵とは、受けるに値しない者に注がれる神の愛です。まことは神の与える真実です。神の真実は不動の真実、揺らぐことのない真実、相手によって影響されることはない一方的な真実と言えます。キリストの恵とまことは、キリストがあなたのためにご自身の命を捨てることをよしとしたその愛。そして不動の真実。それはあなたに対し揺らぐことない誠実を尽くすことを意味します。ですから、恵とまことの主に、素直に自分を明け渡して、あなたの心とを開いて、外で叩いておられる主を受け入れてください。神の約束は必ずあなたのうちに成就します。 あなたは、神の子となり、豊かな神の祝福に満ちた人生を歩むことになります。

聖霊により処女マリヤから生まれた主

2020年12月6日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>イザヤ書7章1~16節、マタイの福音書1章18~20節

7:1 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たが、これを攻めきれなかった時のことである。
7:2 ダビデの家に「アラムがエフライムと組んだ」という知らせがもたらされた。王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ。
7:3 そのとき、【主】はイザヤに言われた。「あなたと、あなたの子シェアル・ヤシュブは、上の池の水道の端、布さらしの野への大路に出向いて行ってアハズに会い、
7:4 彼に言え。『気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤの子の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。
7:5 アラムは、エフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企てて、
7:6 「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」と言っているが、
7:7 【神】である主はこう言われる。それは起こらない。それはあり得ない。
7:8 アラムのかしらはダマスコ、そのダマスコのかしらがレツィンだから。──エフライムは六十五年のうちに、打ちのめされて、一つの民ではなくなる──
7:9 エフライムのかしらはサマリア、そのサマリアのかしらがレマルヤの子だから。あなたがたは、信じなければ堅く立つことはできない。』」
7:10 【主】はさらにアハズに告げられた。
7:11 「あなたの神、【主】に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも。」
7:12 アハズは言った。「私は求めません。【主】を試みません。」
7:13 イザヤは言った。「さあ、聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人々を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。
7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
7:15 この子は、悪を退けて善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
7:16 それは、その子が悪を退けて善を選ぶことを知る前に、あなたが恐怖を抱いている二人の王の土地が見捨てられるからだ。

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

<要約>
危機の中で主のみことばと約束を握る

神はあわれみの神です。私たちの罪がいくら大きくても、悔い改めるなら完全に赦し日々新しくしてくださるのです。聖書の言葉は必ず成就します。神の言葉は一つも地に落ちない、とある通りです。 神は一人も滅びることを良しとせず、御子キリストの命に代えて、あなたが、残りの民に加わるように招いておられます。クリスチャンになると試練や苦しみや困難がなくなるということではありません。常にそれらはつきものです。しかし、私たちは静まって神の約束に心を注ぎ、目に見えない、しかし、生きて働かれる神を信じなければなりません。「恐れてはならない」のみことばをしっかり握り、私たちは 堅く立つのです。

危機の中であなたと共におられる主:

アハズ王は、真の神に信頼するより、アッシリア王に信頼を置きました。このように 神が共におられるのにも気付くことがなく、自らの罪を悔い改めることのない王であったようです。私たちもアハズ王を反面教師として、み言葉に親しみ、不信仰を悔い改めて、霊の目で共におられるイエス様をいつも覚えることができますようお祈りします。どんな危機の中にあっても、神の約束は変わりません。そして、堅固です。イエス様を信じるあなたと、主はどこまでも一緒にいてくださるからです。

暗黒の世界に神が人となって来られた

キリストはあなたの苦しみと困難のただ中に来てくださいます。いな、これまでもキリストはあなたのところへ来て下さっていたのです。でも、あなたはそれに気付かなかったのです。あなたのすべての思い煩いをキリストに委ねてみませんか。キリストは喜んであなたの思い煩い、マイナスを受け取ってくださいます。あなたのために十字架で苦しみ、あなたのいのちのために復活してくださった主キリストが、あなたを喜びと感謝で引き上げてくださるのです。これが、クリスマスの祝福です。

ダビデの子孫キリストの王国

2020年11月29日礼拝説教 森田友明 牧師

<聖書>Ⅱサムエル記7:5~17
7:5 「行って、わたしのしもべダビデに言え。『【主】はこう言われる。あなたがわたしのために、わたしの住む家を建てようというのか。
7:6 わたしは、エジプトからイスラエルの子らを連れ上った日から今日まで、家に住んだことはなく、天幕、幕屋にいて、歩んできたのだ。
7:7 わたしがイスラエルの子らのすべてと歩んだところどこででも、わたしが、わたしの民イスラエルを牧せよと命じたイスラエル部族の一つにでも、「なぜ、あなたがたはわたしのために杉材の家を建てなかったのか」と、一度でも言ったことがあっただろうか。』
7:8 今、わたしのしもべダビデにこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。わたしはあなたを、羊の群れを追う牧場から取り、わが民イスラエルの君主とした。
7:9 そして、あなたがどこに行っても、あなたとともにいて、あなたの前であなたのすべての敵を絶ち滅ぼした。わたしは地の大いなる者たちの名に等しい、大いなる名をあなたに与えてきた。
7:10 わが民イスラエルのために、わたしは一つの場所を定め、民を住まわせてきた。それは、民がそこに住み、もはや恐れおののくことのないように、不正な者たちも、初めのころのように、重ねて民を苦しめることのないようにするためであった。
7:11 それは、わたしが、わが民イスラエルの上にさばきつかさを任命して以来のことである。こうして、わたしはあなたにすべての敵からの安息を与えたのである。【主】はあなたに告げる。【主】があなたのために一つの家を造る、と。
7:12 あなたの日数が満ち、あなたが先祖とともに眠りにつくとき、わたしは、あなたの身から出る世継ぎの子をあなたの後に起こし、彼の王国を確立させる。
7:13 彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしは彼の王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。
7:14 わたしは彼の父となり、彼はわたしの子となる。彼が不義を行ったときは、わたしは人の杖、人の子のむちをもって彼を懲らしめる。
7:15 しかしわたしの恵みは、わたしが、あなたの前から取り除いたサウルからそれを取り去ったように、彼から取り去られることはない。
7:16 あなたの家とあなたの王国は、あなたの前にとこしえまでも確かなものとなり、あなたの王座はとこしえまでも堅く立つ。』」
7:17 ナタンはこれらすべてのことばを、この幻のすべてを、そのままダビデに告げた。

<要約>

神が用意された天国へ行く道:

聖書は、イエス・キリスト通して、罪赦されて永遠のいのちに生きる、と教えています。それが、「わたしは道であり、真理であり、いのちです。私を通してでなければ、だれも父のもとに行くことはできません。」と言われたイエス・キリストです。人が天国へ行くための唯一の道です。それを無視して、神に近づくことはできません。人が天国に行けるかどうかについて、人はジャッジできません。それは、神が決めることです。イエス・キリストこそが、神が用意してくださった天国への道だからです。

みことばにより神のしもべに徹して生きる:

ダビデが、「神のしもべである」ことを確認させられたようにあなたは神との関係を正さなければなりません。人間が神との関係を修正すると主の祝福と恵みが流れていきます。水が高いところから低いところへ流れていくように、神の祝福はへりくだった者へ流れるのです。これは霊的法則です。それゆえ、人間は最初に低くされる必要があります。その時、神の驚くべき恩寵がその人に流れていくのです。神の恵みと祝福の人生を歩みたいと願うなら、神のしもべに徹して生きることです

とこしえまでも続くキリストの王国:

聖書にある神の約束は、遠い昔の話ではありません。神の約束は変わりません。そして、必ず成就します。ダビデの時代から三千年が経ちましたが、ダビデへの約束は見事に成就しています。私たちキリスト信者はキリストによって打ち立てられた王国の国民です。神は、あなたが神との関係を取り戻すように、今日もあなたを招いています。

ダビデの信仰に学ぶ

2020年11月22日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>Ⅰサムエル26:8~21
26:8 アビシャイはダビデに言った。「神は今日、あなたの敵をあなたの手に渡されました。どうか私に、槍で一気に彼を地面に突き刺させてください。二度することはしません。」
26:9 ダビデはアビシャイに言った。「殺してはならない。【主】に油注がれた方に手を下して、だれが罰を免れるだろうか。」
26:10 ダビデは言った。「【主】は生きておられる。【主】は必ず彼を打たれる。時が来て死ぬか、戦いに下ったときに滅びるかだ。
26:11 私が【主】に逆らって、【主】に油注がれた方に手を下すなど、絶対にあり得ないことだ。さあ、今は、枕もとにある槍と水差しを取って、ここから出て行こう。」
26:12 ダビデはサウルの枕もとの槍と水差しを取り、二人は立ち去ったが、だれ一人としてこれを見た者も、気づいた者も、目を覚ました者もいなかった。【主】が彼らを深い眠りに陥れられたので、みな眠り込んでいたのである。
26:13 ダビデは向こう側へ渡って行き、遠く離れた山の頂上に立った。彼らの間には、大きな隔たりがあった。
26:14 ダビデは、兵たちとネルの子アブネルに呼びかけて言った。「アブネル、返事をしないのか。」アブネルは答えて言った。「王を呼びつけるおまえはだれだ。」
26:15 ダビデはアブネルに言った。「おまえは男ではないか。イスラエル中で、おまえに並ぶ者があるだろうか。おまえはなぜ、自分の主君である王を護衛していなかったのか。兵の一人が、おまえの主君である王を殺しに入り込んだのだ。
26:16 おまえのやったことは良くない。【主】に誓って言うが、おまえたちは死に値する。おまえたちの主君、【主】に油注がれた方を護衛していなかったのだから。今、王の枕もとにあった槍と水差しが、どこにあるか見てみよ。」
26:17 サウルはダビデの声と気づいて、言った。「わが子ダビデよ、これはおまえの声ではないか。」ダビデは答えた。「わが君、王様。私の声です。」
26:18 そして言った。「なぜ、わが君はこのしもべの後を追われるのですか。私が何をしたというのですか。私の手に、どんな悪があるというのですか。
26:19 わが君、王様。どうか今、しもべのことばを聞いてください。もし私に敵対するようあなたに誘いかけたのが【主】であれば、主がささげ物を受け入れられますように。しかし、それが人によるのであれば、その人たちが【主】の前でのろわれますように。彼らは今日、私を追い払って、【主】のゆずりの地にあずからせず、『行って、ほかの神々に仕えよ』と言っているからです。
26:20 どうか今、私の血が【主】の御顔から離れた地に流されることがありませんように。イスラエルの王が、山でしゃこを追うように、一匹の蚤を狙って出て来ておられるのですから。」
26:21 サウルは言った。「私が間違っていた。わが子ダビデよ、帰って来なさい。もう、おまえに害を加えない。今日、おまえが私のいのちを尊んでくれたのだから。本当に私は愚かなことをして、大変な間違いを犯した。」

とこしえの恵みを受け取る

2020年11月15日 ハレルヤチャペル滝沢牧師
            森田友明

<聖書>Ⅰサムエル記20:3~17
20:3 ダビデはなおも誓って言った。「父上は、私があなたのご好意を受けていることを、よくご存じです。『ヨナタンが悲しまないように、このことを知らせないでおこう』と思っておられるのです。けれども、【主】は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」
20:4 ヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにします。」
20:5 ダビデはヨナタンに言った。「明日はちょうど新月祭で、私は王と一緒に食事の席に着かなければなりません。でも、私を行かせて、三日目の夕方まで、野に隠れさせてください。
20:6 もし、父上が私のことをとがめたら、おっしゃってください。『ダビデは自分の町ベツレヘムへ急いで行きたいと、しきりに頼みました。あそこで彼の氏族全体のために、年ごとのいけにえを献げることになっているからです』と。
20:7 もし父上が『良し』とおっしゃれば、あなたのしもべは安全です。もし激しくお怒りになれば、私に害を加える決心をしておられると思ってください。
20:8 どうか、このしもべに真実を尽くしてください。【主】に誓って、しもべと契約を結んでくださったのですから。もし私に咎があれば、あなたが私を殺してください。どうして父上のところにまで、私を連れ出す必要があるでしょうか。」
20:9 ヨナタンは言った。「とんでもないことです。父があなたに害を加える決心をしていることが確かに分かったら、あなたに知らせないでおくはずはありません。」
20:10 ダビデはヨナタンに言った。「もし父上が厳しい返事をなさったら、だれが私に知らせてくださいますか。」
20:11 ヨナタンはダビデに言った。「野に出ましょう。」それで、二人は野に出た。
20:12 ヨナタンはダビデに言った。「イスラエルの神、【主】にかけて誓います。明日かあさっての今ごろまでに、父がダビデに対して寛大であるかを探ってみます。寛大でなければ、必ず人を遣わして、あなたの耳に入れます。
20:13 もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がさなかったなら、【主】がこのヨナタンを幾重にも罰せられますように。【主】が父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。
20:14 もし私がこれ以上生きるべきではないのなら、あなたは、【主】の恵みを私に施して、私が死ぬことのないようにする必要はありません。
20:15 しかし、あなたの恵みを私の家からとこしえに断たないでください。【主】がダビデの敵を地の面から一人残らず断たれるときにも。」
20:16 ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「【主】がダビデの敵に血の責めを問われますように。」
20:17 ヨナタンは、ダビデに対する愛のゆえに、もう一度ダビデに誓わせた。ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していたからである。

王なるイエス・キリスト

2020年11月01日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>Ⅰサムエル記8章1~9,19~22節
8:1 サムエルは、年老いたとき、息子たちをイスラエルのさばきつかさとして任命した。
8:2 長男の名はヨエル、次男の名はアビヤであった。彼らはベエル・シェバでさばきつかさをしていた。
8:3 しかし、この息子たちは父の道に歩まず、利得を追い求め、賄賂を受け取り、さばきを曲げていた。
8:4 イスラエルの長老たちはみな集まり、ラマにいるサムエルのところにやって来て、
8:5 彼に言った。「ご覧ください。あなたはお年を召し、ご子息たちはあなたの道を歩んでいません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」
8:6 彼らが、「私たちをさばく王を私たちに与えてください」と言ったとき、そのことばはサムエルの目には悪しきことであった。それでサムエルは【主】に祈った。
8:7 【主】はサムエルに言われた。「民があなたに言うことは何であれ、それを聞き入れよ。なぜなら彼らは、あなたを拒んだのではなく、わたしが王として彼らを治めることを拒んだのだから。
8:8 わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのしたことといえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えることだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。
8:9 今、彼らの声を聞き入れよ。ただし、彼らに自分たちを治める王の権利をはっきりと宣言せよ。」

8:19 しかし民は拒んで、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王が必要です。
8:20 そうすれば私たちもまた、ほかのすべての国民のようになり、王が私たちをさばき、私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」
8:21 サムエルは、民のすべてのことばを聞いて、それを【主】の耳に入れた。
8:22 【主】はサムエルに言われた。「彼らの言うことを聞き、彼らのために王を立てよ。」それで、サムエルはイスラエルの人々に「それぞれ自分の町に帰りなさい」と言った。

<要約>

目に見えるものより目に見えない神に頼る:

信仰は目に見えないものを確信することです。信仰者は目に見えないけれどもともにおられる神を今日も心の中心において歩むのです。そのような信仰を主は喜んでくださいます。神は何を嘆かれるのでしょうか。それは、神の御思いよりも信者が自分の思いを優先することです。神の嘆きを軽視してはいけません。神のあなたへのみ思いを退けてはなりません。

キリストのゆえに罪過ちを益と変えてくださる神:

歴史をつくられる神は、今私たちが抱えているマイナスと思われるようなこともプラスに変えてくださる方です。神はいない、神は必要ないと言って、神を退けてきたあなたの願いにも耳を傾けてくださり、忍耐をもって待っておられます。すべてのマイナスはプラスに変えられる。あなたの過去から現在に至るまで、あなたの人生を導いてこられたのは神です。そして今神はあなたに個人的に語り掛けておられます。「わたしに来なさい」と。神に委ねる人生を送ってみませんか。

あなたの王となってくださるキリスト:

神の国の王であるキリストは、ご自身の民のためにいのちを捨てます。イエス様は言われました。「わたしがこの世のものでないように、彼らもこの世のものではありません。」クリスチャンはこの世にあっても世のものではないのです。ですから、世にあっては様々な困難や試練がありますが、イエス様は圧倒的な勝利者として、信じる者たちを保証してくださっています。私たちクリスチャンは、先に救われたものとして、まだ、御国の民に移されていない人のために祈り導く役目が与えられています。教会に連れてきましょう。そして、福音に触れさせるのです。

約束と信仰と救い

2020年10月25日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>ガラテヤ3章15~29節
3:15 兄弟たちよ、人間の例で説明しましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。
3:16 約束は、アブラハムとその子孫に告げられました。神は、「子孫たちに」と言って多数を指すことなく、一人を指して「あなたの子孫に」と言っておられます。それはキリストのことです。
3:17 私の言おうとしていることは、こうです。先に神によって結ばれた契約を、その後四百三十年たってできた律法が無効にし、その約束を破棄することはありません。
3:18 相続がもし律法によるなら、もはやそれは約束によるのではありません。しかし、神は約束を通して、アブラハムに相続の恵みを下さったのです。
3:19 それでは、律法とは何でしょうか。それは、約束を受けたこの子孫が来られるときまで、違反を示すためにつけ加えられたもので、御使いたちを通して仲介者の手で定められたものです。
3:20 仲介者は、当事者が一人であれば、いりません。しかし約束をお与えになった神は唯一の方です。
3:21 それでは、律法は神の約束に反するのでしょうか。決してそんなことはありません。もし、いのちを与えることができる律法が与えられたのであれば、義は確かに律法によるものだったでしょう。
3:22 しかし聖書は、すべてのものを罪の下に閉じ込めました。それは約束が、イエス・キリストに対する信仰によって、信じる人たちに与えられるためでした。
3:23 信仰が現れる前、私たちは律法の下で監視され、来たるべき信仰が啓示されるまで閉じ込められていました。
3:24 こうして、律法は私たちをキリストに導く養育係となりました。それは、私たちが信仰によって義と認められるためです。
3:25 しかし、信仰が現れたので、私たちはもはや養育係の下にはいません。
3:26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
3:27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。
3:28 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。
3:29 あなたがたがキリストのものであれば、アブラハムの子孫であり、約束による相続人なのです。

<要約>

信仰は神につながる鉄パイプ:

私たちは誰でもイエス様を信じるときに、この太いパイプで父なる神とつながります。この太いパイプはイエス様といえます。神の持っておられる永遠のいのちにつながっていますので、この肉体の死は絶望でなくなります。たとえ、死に瀕しても祝福をいただくことができるのです。神はどんなに大きな罪があってもそれを悔い改めて神に告白するならば、十字架のゆえに赦してくださいます。そして私たちをきよめてくださるのです。イエス様という強い鉄パイプがあるので、どんな暗いトンネルに閉じ込められるような人生経験、たとえば、重い病気、大きな試練、を経験しても大丈夫です。神の愛があなたを取り囲んでいるからです。イエス様を信じてこの鉄パイプを自分のものとしてください。

約束による救いと祝福:

神は私たちを無条件で愛してくださっています。世界をおつくりになって統べ治めておられる神は私たちの生命に絶対必要な空気や太陽、水など無料で提供してくださっています。神は私たちの命を保っていてくださいます。人間は自分で生きているように思っていますが、絶対必要なものが常に与えられていることを忘れているのです。この「約束」とは、祝福と救いの約束ということができます。その約束が、アブラハムの子孫であるキリストに相続されました。神は、キリストによって約束されたこの特別な祝福と救いをみんなに受け取ってもらいたいと提供しているのです。

信仰によって受け取る約束:

律法は私たちに罪を指摘し、イエス様の救いに連れて行く働きをします。ここでは養育係にたとえています。養育係は子どもを監督し、教師のところへ連れて行く働きをしていました。律法は私たちをイエス様へと向かわせるのです。そして、イエス様が現れた以上、私たちは養育係すなわち律法の下にはいないということです。養育係を離れてイエス様に向うのです。そして、イエス様を信じる信仰によって祝福と救いを受け取るのです。

人生を変える祈り

2020年10月18日
説教者:東京JCF協力牧師  長谷川与志充師

<聖書>使徒の働き22章6~10節
22:6 私が道を進んで、真昼ごろダマスコの近くまで来たとき、突然、天からのまばゆい光が私の周りを照らしました。
22:7 私は地に倒れ、私に語りかける声を聞きました。『サウロ、サウロ、どうしてわたしを迫害するのか。』
22:8 私が答えて、『主よ、あなたはどなたですか』と言うと、その方は私に言われました。『わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスである。』
22:9 一緒にいた人たちは、その光は見たのですが、私に語っている方の声は聞き分けられませんでした。
22:10 私が『主よ、私はどうしたらよいでしょうか』と尋ねると、主は私に言われました。『起き上がって、ダマスコに行きなさい。あなたが行うように定められているすべてのことが、そこであなたに告げられる』と。

福音は神の力、最強の力

<聖書>ローマ人への手紙1章8~17節
1:8 まず初めに、私はあなたがたすべてについて、イエス・キリストを通して私の神に感謝します。全世界であなたがたの信仰が語り伝えられているからです。
1:9 私が御子の福音を伝えつつ心から仕えている神が証ししてくださることですが、私は絶えずあなたがたのことを思い、
1:10 祈るときにはいつも、神のみこころによって、今度こそついに道が開かれ、何とかしてあなたがたのところに行けるようにと願っています。
1:11 私があなたがたに会いたいと切に望むのは、御霊の賜物をいくらかでも分け与えて、あなたがたを強くしたいからです。
1:12 というより、あなたがたの間にあって、あなたがたと私の互いの信仰によって、ともに励ましを受けたいのです。
1:13 兄弟たち、知らずにいてほしくはありません。私はほかの異邦人たちの間で得たように、あなたがたの間でもいくらかの実を得ようと、何度もあなたがたのところに行く計画を立てましたが、今に至るまで妨げられてきました。
1:14 私は、ギリシア人にも未開の人にも、知識のある人にも知識のない人にも、負い目のある者です。
1:15 ですから私としては、ローマにいるあなたがたにも、ぜひ福音を伝えたいのです。
1:16 私は福音を恥としません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシア人にも、信じるすべての人に救いをもたらす神の力です。
1:17 福音には神の義が啓示されていて、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる」と書いてあるとおりです。

<要約>
信じる者に神の力:

福音は、全ての人に救いをもたらす神の力です。ここでパウロが強調したいのは「信じる」という行為です。信じる全ての人には福音は神の力となるのです。神の力の力は、ドミナス、ダイナマイトと同じ語源で、その力は敵の要塞をも爆破する力です。最強の力と言えます。それは悪魔の力、罪の力、死の力にも打ち勝ちます。その神の力をもって、どんな状況の中にあるあなたをも救うことができるのです。

福音の力を体験して生きる:

もしあなたが罪を悔い改めてキリストを救い主と信じるなら、あなたのすべての罪が赦され、神との和解が得られ、罪と死と悪魔から解放されます。そして、神の子として、喜びと永遠に続く命へと移されるのです。あなたが、神が提供する福音を空の両手を広げて、ただ信じ受け入れるだけで良いのです。「義人は信仰によって生きる」。神から義とされたあなたは、これからは信仰に生きるのです。すなわち神をあなたの中心にすえることです。そして、福音の力、神の力を体験して生きることです。