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バベルの塔

2021年8月22日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記11章1~9節
【新改訳2017】
11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
11:6 【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
11:7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。

<要約>

神中心から人間中心になった社会;

バベルの塔は、人間こそが最高の存在であり、人間に栄光を帰する象徴でもあります。実はこれは、サタンの策略です。アダムの失敗以来見事に人類はサタンの支配下で操られているのです。最初の人、アダムは、「神のようになれる」というサタンの言葉で誘惑されて、神になろうとして罪を犯しました。人間は神に似せて作られたがゆえに、人間の知恵のすばらしさは今の科学や技術革新を見てもわかります。しかし、欲望が知性を後押しすると人間は自滅の道を進みます。ダイナマイトを発明したノーベルは平和利用を願っていましたが、人類はそれを戦争に使いました。問題点はどこにあるのでしょうか。特別に悪い人が人類を悪い方向へと導いているのでしょうか。そうではありません。聖書は、これらの原因は私たち一人ひとりの内にあると指摘します。罪の根が私たち誰にでもあるからです。ノアは箱舟から大地に立った時、すぐに祭壇を築き、神に全焼のいけにえをささげ、礼拝を捧げました。ノアは神中心で再出発しましたが、ここでニムロデの時代に至って人間中心に戻ってしまいました。自分達の為に塔を立てたのです。神の聖名を崇めるためではなく、自分たち人間の名を挙げるためです。ここに人間中心主義の始まりを見ることができます。

正すために降りてこられた神;

神は、悪に傾く人間をもう一度滅ぼし尽くすこともできたでしょう。しかし、神はあわれみによって、滅ぼさないで、ことばを混乱させることにより、分裂させたのです。人間中心の世界には救いはありません。かくして、言葉が通じなくなった人々は、地の全面に散らされたのです。次章では、セム族の中にアブラハムが登場します。神はアブラハムを通して、すべての国民を祝福すると約束されました。アブラハムから二千年の歳月を経て、アブラハムの子孫のイスラエル民族から救い主イエス・キリストがお生まれになりました。その約束通り、イエス・キリストにより、現代すべての国民は祝福されています。イエス・キリストは、あなたを罪と死と悪魔から救うために来られました。神は、言葉を混乱させて人々を散らされたのとは反対に、キリストにより全人類を一つの国民一つの民にしたいと願っています。サタンの支配からキリストの支配に取り戻そうと願っておられるのです。私たちはそのために先に救われたのです。

虹は再生と祝福の約束

2021年8月15日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記8:1~22、9:8~13
8:1 神は、ノアと、彼とともに箱舟の中にいた、すべての獣およびすべての家畜を覚えておられた。神は地の上に風を吹き渡らせた。すると水は引き始めた。
8:2 大水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨がとどめられた。
8:3 水は、しだいに地の上から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始めた。
8:4 箱舟は、第七の月の十七日にアララテの山地にとどまった。
8:5 一方、水は第十の月まで減り続け、第十の月の一日に、山々の頂が現れた。
8:6 四十日の終わりに、ノアは自分の造った箱舟の窓を開き、
8:7 烏を放った。すると烏は、水が地の上から乾くまで、出たり戻ったりした。
8:8 またノアは、水が地の面から引いたかどうかを見ようと、鳩を彼のもとから放った。
8:9 鳩は、その足を休める場所を見つけられなかったので、箱舟の彼のもとに帰って来た。水が全地の面にあったからである。彼は手を伸ばして鳩を捕らえ、自分がいる箱舟に入れた。
8:10 それからさらに七日待って、再び鳩を箱舟から放った。
8:11 鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ、取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地の上から引いたのを知った。
8:12 さらに、もう七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。
8:13 六百一年目の第一の月の一日に、水は地の上から干上がった。ノアが箱舟の覆いを取り払って眺めると、見よ、地の面は乾いていた。
8:14 第二の月の二十七日には、地はすっかり乾いた。
8:15 神はノアに告げられた。
8:16 「あなたは、妻と、息子たちと、息子たちの妻たちとともに箱舟から出なさい。
8:17 すべての肉なるもののうち、あなたとともにいる生き物すべて、鳥、家畜、地の上を這うすべてのものが、あなたとともに出るようにしなさい。それらが地に群がり、地の上で生み、そして増えるようにしなさい。」
8:18 そこでノアは、息子たち、彼の妻、息子たちの妻たちとともに外に出た。
8:19 すべての獣、すべての這うもの、すべての鳥、すべて地の上を動くものも、種類ごとに箱舟から出て来た。
8:20 ノアは【主】のために祭壇を築き、すべてのきよい家畜から、また、すべてのきよい鳥からいくつかを取って、祭壇の上で全焼のささげ物を献げた。
8:21 【主】は、その芳ばしい香りをかがれた。そして、心の中で【主】はこう言われた。「わたしは、決して再び人のゆえに、大地にのろいをもたらしはしない。人の心が思い図ることは、幼いときから悪であるからだ。わたしは、再び、わたしがしたように、生き物すべてを打ち滅ぼすことは決してしない。
8:22 この地が続くかぎり、種蒔きと刈り入れ、寒さと暑さ、夏と冬、昼と夜がやむことはない。」
9:8 神は、ノアと、彼とともにいる息子たちに仰せられた。
9:9 「見よ、わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。そして、あなたがたの後の子孫との間に。
9:10 また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に。鳥、家畜、それに、あなたがたとともにいるすべての地の獣、箱舟から出て来たすべてのものから、地のすべての生き物に至るまで。
9:11 わたしは、わたしの契約をあなたがたとの間に立てる。すべての肉なるものが、再び、大洪水の大水によって断ち切られることはない。大洪水が再び起こって地を滅ぼすようなことはない。」
9:12 さらに神は仰せられた。「わたしとあなたがたとの間に、また、あなたがたとともにいるすべての生き物との間に、代々にわたり永遠にわたしが与えるその契約のしるしは、これである。
9:13 わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それが、わたしと地との間の契約のしるしである。

<要約>

終わることのない労苦;

雨が全地を覆う前に、ノアは、もうじき洪水によって神の裁きが起こることを同胞や隣人に伝えていたのです。しかし、当時の人々も、ノアの話は空想話のようで、聞く耳を持たなかったのです。現代も多くの人々は同じ反応をします。聖書の警告は空想話のように響くのです。神はノアの心を守ってくださいました。人生の歩みの中においても、多かれ少なかれ労苦は続きます。生活の労苦もそうです。また、信念を持って行ったことが思うようにならなかったこともあるでしょう。しかし、その中にあっても神は私たちの心を守って下さいます。神があなたに、心を留めてくださっているからです。試練と思われることにあっても神は、信じる者の心を守ってくださいます。最近、同じ開業医の仲間ですが、長男さんが心臓発作から脳に広範なダメージを受けて植物状態になったことを聞きました。 お電話をいただき祈っていたのですが、最近メールで、こう書いていました。「神の思し召しは大いなる愛によるもので、試練も乗り越えて行けるものと信じて参ります」と。私たちは、自分のすべての領域を神に明け渡してお取り扱いいただく必要があります。心を守り、あなたを祝福してくださいます。

再生と祝福の約束;

神は、土地を呪うことはないが、悪に走る人間の現実を覚えておられて、種蒔きと刈り入れ、暑さと寒さなど、人間の罪ゆえに、人間は生きるための苦しみや困難を経験していくということを示唆されました。そのうえで、神は、「生めよ。増えよ。地に満ちよ」とノアの家族を祝福しました。そして、もう世界を洪水で滅ぼすことはないと約束されました。聖書に映る神には、大きく分けて二つの御思いがあります。一つは、人の罪に対する怒りです。もう一つは、変わることのない神の愛です。聖書を通して見える神の二つのお姿ということもできます。矛盾するような二つの思い、怒りと愛、それに筋を通したのが、イエス・キリストの十架です。神は虹により、水によって世界を滅ぼさないと約束されました。神はひとりでも滅びることを望まず、全ての人が悔い改めに進むことを望んでおられます。最終的には天地は滅びます。しかし、イエス様の十字架により、神の怒りは過ぎ去って、愛が注がれています。赦されているがゆえに感謝と賛美をもって従っていきましょう。


断絶から回復への道

2021年8月8日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記3章16~24節
【新改訳2017】
3:16 女にはこう言われた。「わたしは、あなたの苦しみとうめきを大いに増す。あなたは苦しんで子を産む。また、あなたは夫を恋い慕うが、彼はあなたを支配することになる。」
3:17 また、人に言われた。「あなたが妻の声に聞き従い、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、大地は、あなたのゆえにのろわれる。あなたは一生の間、苦しんでそこから食を得ることになる。
3:18 大地は、あなたに対して茨とあざみを生えさせ、あなたは野の草を食べる。
3:19 あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついにはその大地に帰る。あなたはそこから取られたのだから。あなたは土のちりだから、土のちりに帰るのだ。」
3:20 人は妻の名をエバと呼んだ。彼女が、生きるものすべての母だからであった。
3:21 神である【主】は、アダムとその妻のために、皮の衣を作って彼らに着せられた。
3:22 神である【主】はこう言われた。「見よ。人はわれわれのうちのひとりのようになり、善悪を知るようになった。今、人がその手を伸ばして、いのちの木からも取って食べ、永遠に生きることがないようにしよう。」
3:23 神である【主】は、人をエデンの園から追い出し、人が自分が取り出された大地を耕すようにされた。
3:24 こうして神は人を追放し、いのちの木への道を守るために、ケルビムと、輪を描いて回る炎の剣をエデンの園の東に置かれた。

<要約>

罪がもたらす断絶と呪いの人生

アダムの罪は、「人が、神を押しのけて、何事も自分で決めることにしたこと」です。それは越権行為です。ボーダー、境界線を越えたことの罪です。それに対しての対価は、エデンの園からの追放でした。どんな組織にも秩序があります。会社には社長がいます。社長の決裁に従って、会社は進んでいきます。もし、社員が社長を超えて会社で物事を決めて実行したならば、その会社は立ちゆくことができないでしょう。その社員には、その会社を辞めてもらわなければなりません。それは越権行為だからです。アダムの罪も越権行為です。同様に、人は神を押しのけて、神が決めることを人が自らの判断で決めていくことをしたのです。万物の主権は神にあります。宇宙の運行も私たち個人の寿命もお決めになるのは神です。ですから、自殺も越権行為です。しかし、人間が神を押しのけることはできません。いくら人間が高慢になって自らの力を豪語しようと、主権は神にあるのです。人は、やがて土に帰ります。そして、神と断絶された魂は、永遠の滅び、永遠の暗黒へと落とされるのです。これがアダムの罪によってもたらされ、すべての人々が受け継いだ罪です。人は、神の栄光を受けられず、代わりに罪の呪いの人生を歩まなければならなくなったのです。

神を恐れ愛し信頼する祝福の人生

神は、人が罪を犯して堕落してしまったすぐ後に、やがて来られるキリストを暗示されました。それは、壊れてしまった神との関係回復の道です。罪を犯す前にあった愛と信頼の関係です。神との関係回復は、やがて来られるキリストの十字架の贖いにより成就しました。皮の衣が与えられたのは、やがて来られるキリストの尊い犠牲を暗示しています。神から離れて神との交わりの外にある人は、どのようにしたら神との交わりに入ることができるのでしょうか。それは、ずばりイエス・キリストを信じることです。神との和解を得て、神のいのちにつながり、永遠のいのちに生きるのです。回復の希望は、神の愛への信頼、神のことばへの信頼、にあるのです。信仰者の歩は昔の人も今の人も同じです。神を恐れ、愛し、信頼し続けることです。そこに、老いても死を見ることがない、決してしぼむことのない希望に生きる祝福の人生があるのです。

天地創造の理由

2021年8月1日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記1章1~27節
1:1 はじめに神が天と地を創造された。
1:2 地は茫漠として何もなく、闇が大水の面の上にあり、神の霊がその水の面を動いていた。
1:3 神は仰せられた。「光、あれ。」すると光があった。
1:4 神は光を良しと見られた。神は光と闇を分けられた。
1:5 神は光を昼と名づけ、闇を夜と名づけられた。夕があり、朝があった。第一日。
1:6 神は仰せられた。「大空よ、水の真っただ中にあれ。水と水の間を分けるものとなれ。」
1:7 神は大空を造り、大空の下にある水と大空の上にある水を分けられた。すると、そのようになった。
1:8 神は大空を天と名づけられた。夕があり、朝があった。第二日。
1:9 神は仰せられた。「天の下の水は一つの所に集まれ。乾いた所が現れよ。」すると、そのようになった。
1:10 神は乾いた所を地と名づけ、水の集まった所を海と名づけられた。神はそれを良しと見られた。
1:11 神は仰せられた。「地は植物を、種のできる草や、種の入った実を結ぶ果樹を、種類ごとに地の上に芽生えさせよ。」すると、そのようになった。
1:12 地は植物を、すなわち、種のできる草を種類ごとに、また種の入った実を結ぶ木を種類ごとに生じさせた。神はそれを良しと見られた。
1:13 夕があり、朝があった。第三日。
1:14 神は仰せられた。「光る物が天の大空にあれ。昼と夜を分けよ。定められた時々のため、日と年のためのしるしとなれ。
1:15 また天の大空で光る物となり、地の上を照らすようになれ。」すると、そのようになった。
1:16 神は二つの大きな光る物を造られた。大きいほうの光る物には昼を治めさせ、小さいほうの光る物には夜を治めさせた。また星も造られた。
1:17 神はそれらを天の大空に置き、地の上を照らさせ、
1:18 また昼と夜を治めさせ、光と闇を分けるようにされた。神はそれを良しと見られた。
1:19 夕があり、朝があった。第四日。
1:20 神は仰せられた。「水には生き物が群がれ。鳥は地の上、天の大空を飛べ。」
1:21 神は、海の巨獣と、水に群がりうごめくすべての生き物を種類ごとに、また翼のあるすべての鳥を種類ごとに創造された。神はそれを良しと見られた。
1:22 神はそれらを祝福して、「生めよ。増えよ。海の水に満ちよ。鳥は地の上に増えよ」と仰せられた。
1:23 夕があり、朝があった。第五日。
1:24 神は仰せられた。「地は生き物を種類ごとに、家畜や、這うもの、地の獣を種類ごとに生じよ。」すると、そのようになった。
1:25 神は、地の獣を種類ごとに、家畜を種類ごとに、地面を這うすべてのものを種類ごとに造られた。神はそれを良しと見られた。
1:26 神は仰せられた。「さあ、人をわれわれのかたちとして、われわれの似姿に造ろう。こうして彼らが、海の魚、空の鳥、家畜、地のすべてのもの、地の上を這うすべてのものを支配するようにしよう。」
1:27 神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして人を創造し、男と女に彼らを創造された。

<要約>

神なき世界の問題

神なき世界、それは、人間が神を無視している世界です。今まで述べてきた地球温暖化も、神なき世界の問題です。人間の利己的な欲求追求の結果であるということができるでしょう。地球資源を必要以上に使い、大気汚染や水の汚染をもたらし、この地球が住みにくい惑星としてしまったのも人間です。創世記によると、神は、地上のすべてのものを人が支配するように、すなわち人に管理させました。神に似せてつくられた人間は、神から管理の賜物をいただき、自然界を支配し管理してきたと言えます。しかし、人類は神から離れ、神を認めず、自分勝手な方法で自然界を管理してきたと言えるでしょう。ですから、被造物はうめいているとローマ書に書いてあります。人は、神を認めません。ですから創造主なる神の御心をへりくだって、求めることもありません。そのために、人類はさまざまな問題を抱えて来ていると言えます。「神なく世界」は全世界をおつくりになり、治めておられる神がおられるのに、神を認めない世界観です。人類を支配している世界観です。それが、「神なき世界の問題」です。

創造はあなたの幸福のため

人は意味を持たなければ生きることはできません。生活のために仕事をします。それを通して家族が幸せになるため、愛する人々のためにつらい仕事もこなします。その意味を失ったときに人間は生きていくことができなくなります。神は、私たちひとりひとりを大切な存在とし、栄光と誉れの冠がふさわしいものとみておられます。さらに、神に代わってすべての造られた被造物を管理するために、その役割をお与えくださいました。ですから人は世のため、人のために生きるということが言えるでしょう。そして、神に栄光を帰すのです。神の思いは、「わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。」です。神が万物を創造した目的は、神がほめたたえられること。そして、神があなたを愛して、あなたが幸せになり、幸せなあなたによって神が崇められることなのです。今日も神はあなたを招いています。神なき世界から救われなさいと。あなたを幸福にするために神はイエス様を与えてくださいました。信じて、神の提供される救いと永遠のいのちと決してしぼまない幸福を自分のものとしてください。

アブラハムのストレス・家庭2

2021年7月25日主日礼拝説教 盛岡月が丘キリスト教会牧師 田口勇新

<聖書>創世記17章1~27節
17:1 さて、アブラムが九十九歳のとき、【主】はアブラムに現れ、こう言われた。「わたしは全能の神である。あなたはわたしの前に歩み、全き者であれ。
17:2 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に立てる。わたしは、あなたを大いに増やす。」
17:3 アブラムはひれ伏した。神は彼にこう告げられた。
17:4 「これが、あなたと結ぶわたしの契約である。あなたは多くの国民の父となる。
17:5 あなたの名は、もはや、アブラムとは呼ばれない。あなたの名はアブラハムとなる。わたしがあなたを多くの国民の父とするからである。
17:6 わたしは、あなたをますます子孫に富ませ、あなたをいくつもの国民とする。王たちが、あなたから出てくるだろう。
17:7 わたしは、わたしの契約を、わたしとあなたとの間に、またあなたの後の子孫との間に、代々にわたる永遠の契約として立てる。わたしは、あなたの神、あなたの後の子孫の神となる。
17:8 わたしは、あなたの寄留の地、カナンの全土を、あなたとあなたの後の子孫に永遠の所有として与える。わたしは彼らの神となる。」
17:9 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたは、わたしの契約を守らなければならない。あなたも、あなたの後の子孫も、代々にわたって。
17:10 次のことが、わたしとあなたがたとの間で、またあなたの後の子孫との間で、あなたがたが守るべきわたしの契約である。あなたがたの中の男子はみな、割礼を受けなさい。
17:11 あなたがたは自分の包皮の肉を切り捨てなさい。それが、わたしとあなたがたとの間の契約のしるしとなる。
17:12 あなたがたの中の男子はみな、代々にわたり、生まれて八日目に割礼を受けなければならない。家で生まれたしもべも、異国人から金で買い取られた、あなたの子孫ではない者もそうである。
17:13 あなたの家で生まれたしもべも、金で買い取った者も、必ず割礼を受けなければならない。わたしの契約は、永遠の契約として、あなたがたの肉に記されなければならない。
17:14 包皮の肉を切り捨てられていない無割礼の男、そのような者は、自分の民から断ち切られなければならない。わたしの契約を破ったからである。」
17:15 また神はアブラハムに仰せられた。「あなたの妻サライは、その名をサライと呼んではならない。その名はサラとなるからだ。
17:16 わたしは彼女を祝福し、彼女によって必ずあなたに男の子を与える。わたしは彼女を祝福する。彼女は国々の母となり、もろもろの民の王たちが彼女から出てくる。」
17:17 アブラハムはひれ伏して、笑った。そして心の中で言った。「百歳の者に子が生まれるだろうか。サラにしても、九十歳の女が子を産めるだろうか。」
17:18 そして、アブラハムは神に言った。「どうか、イシュマエルが御前で生きますように。」
17:19 神は仰せられた。「いや、あなたの妻サラが、あなたに男の子を産むのだ。あなたはその子をイサクと名づけなさい。わたしは彼と、わたしの契約を立て、それを彼の後の子孫のために永遠の契約とする。
17:20 イシュマエルについては、あなたの言うことを聞き入れた。必ず、わたしは彼を祝福し、子孫に富ませ、大いに増やす。彼は十二人の族長たちを生む。わたしは彼を大いなる国民とする。
17:21 しかし、わたしがわたしの契約を立てるのは、サラが来年の今ごろあなたに産むイサクとの間にである。」
17:22 神はアブラハムと語り終えると、彼のもとから上って行かれた。
17:23 そこでアブラハムは、その子イシュマエル、彼の家で生まれたすべてのしもべ、また、金で買い取ったすべての者、すなわち、アブラハムの家のすべての男子を集め、神が彼に告げられたとおり、その日のうちに、彼らの包皮の肉を切り捨てた。
17:24 アブラハムが包皮の肉を切り捨てられたときは、九十九歳であった。
17:25 その子イシュマエルは、包皮の肉に割礼を受けたとき、十三歳であった。
17:26 アブラハムとその子イシュマエルは、その日のうちに割礼を受けた。
17:27 彼の家の男たちはみな、家で生まれた奴隷も、異国人から金で買い取った者も、彼と一緒に割礼を受けた。

<要約>
イサクの誕生に向けて

適用:私とアブラハム契約

<詳しいアウトライン>

<要約>創世記17章では、アブラハム夫妻に待ちに待ったイサク誕生の予告が、主から「直々に」告げられます。実にハランを発って24年目、アブラハム99歳、サラ89歳の時でした。前章で、13年前にアブラム夫妻が神の約束を早めようとした「肉の行い」で女奴隷ハガルによってイシュマエルが生まれ、複雑な家庭問題を招きます。17章はついに嫡子イサクが生まれることが告げられ、神の救いのマスターブランが一歩具体化します。アブラハムと子孫を通して、より具体的には、アブラハムの子孫からメシア・イエスが誕生して全世界の民が救いの対象となる、神の壮大なマスタープランの一片を見ることができます。適用では、アブラハム契約の祝福は、クリスチャンの自分にどう反映されているかを検証します。

イサクの誕生に向けて

 ①全能の神(エル・シャダイ)にひれ伏す
 ②ふたつの服従
  改名 5~6, 15
     
割礼 10~11
 ③神のユーモア

適用:私とアブラハム契約
 ①礼拝の民
 ②洗礼者の民
 ②イエスの前を歩く民

闇から光の中へ

2021年7月18日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰヨハネ1章1~10節
1:1 初めからあったもの、私たちが聞いたもの、自分の目で見たもの、じっと見つめ、自分の手でさわったもの、すなわち、いのちのことばについて。
1:2 このいのちが現れました。御父とともにあり、私たちに現れたこの永遠のいのちを、私たちは見たので証しして、あなたがたに伝えます。
1:3 私たちが見たこと、聞いたことを、あなたがたにも伝えます。あなたがたも私たちと交わりを持つようになるためです。私たちの交わりとは、御父また御子イエス・キリストとの交わりです。
1:4 これらのことを書き送るのは、私たちの喜びが満ちあふれるためです。
1:5 私たちがキリストから聞き、あなたがたに伝える使信は、神は光であり、神には闇が全くないということです。
1:6 もし私たちが、神と交わりがあると言いながら、闇の中を歩んでいるなら、私たちは偽りを言っているのであり、真理を行っていません。
1:7 もし私たちが、神が光の中におられるように、光の中を歩んでいるなら、互いに交わりを持ち、御子イエスの血がすべての罪から私たちをきよめてくださいます。
1:8 もし自分には罪がないと言うなら、私たちは自分自身を欺いており、私たちのうちに真理はありません。
1:9 もし私たちが自分の罪を告白するなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、私たちをすべての不義からきよめてくださいます。
1:10 もし罪を犯したことがないと言うなら、私たちは神を偽り者とすることになり、私たちのうちに神のことばはありません。

<要約>

罪により闇の中を歩む人間

私たちの心の奥にそっと置いていた罪があるときふと思い出されて、罪責感にさいなまれます。「あんなことしなければ良かった。」「あんなこと言わなければよかった。」「あんなこと思ったのは間違いだった。」など。このように罪が人生に、そして人間社会に闇を与えます。人の罪は、三つの関係の中で発生しています。第一は、神との関係、第二は自分との関係、第三は人との関係の中にです。第一は、全世界をお創りになり、私たちに命を与えて愛してくださる神、天の父と呼んでいますが、その父との関係が壊されていることです。天の父を存在しないかの如く心から締め出しているのが第一の罪です。第二は、自分との関係における罪です。自分を愛せない、自分の命を粗末に扱うこと、暴飲暴食もそうです。また、自分が家族にとって大切な存在であることを認めないこともです。第三は人との関係においてです。人を傷つける言葉や行い、怒りや憎しみ、有害な飲酒や遊戯に誘うことも魂に対する殺人です。人の名誉を傷つける噂話も罪です。罪は人間を苦しめ悩ませ不幸にします。そして、この罪が、私たち人間を永遠の滅びへと誘っているのです。

光の中に招いてくださる神

神は、罪を犯して闇の中を歩み滅びに向かっていく人類全ての人々を哀れんでおられます。神の正義の怒りが十字架でキリストの上に下ったのです。神はキリストの十字架によって私たちの罪を赦し、すべての悪からきよめてくださいます。神は無条件で私たちをキリストの光の中に招いておられます。それは、私たちの努力や功績は全く関係ないのです。必要なことはただ、その赦しと祝福を、ただ心で信じて受けとればよいのです。神との関係、自分との関係、そして、人との関係の回復が与えられます。罪が赦されているので、闇の力から解放されて光の中を歩むことができます。あなたの債務証書は無効にされました。すべての罪が赦されているのです。ただ、その罪の赦しを受け取ればよいのです。イエス様はあなたを光の中に招いておられます。闇から光に移してくださいます。そのことを信じて、その招きに応えていただきたいと思います。神の約束は、今から後、決してしぼむことのない希望である永遠のいのちです。

人間に隠された神の知恵

2021年7月11日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰコリント1章1~14節
2:1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
2:10 それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。
2:11 人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12 しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。
2:13 それについて語るのに、私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばによって御霊のことを説明するのです。
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。

<要約>

人間の知恵に頼る生き方:

最初の人アダムの罪によって、死が入り、そしてすべての人が罪を犯したので、私たちは罪人です。生まれたばかりの赤ちゃんでも、神の知恵で養われない限り、そのままでは、やがて神を認めない人生を歩んでいきます。それが、全ての人が持つ原罪です。このように、私たち人間は、信仰によって生まれ変わらない限り、神に属することを理解できません。受け入れません。そして、神があなたを愛していると、言われるのに、あなたがそっぽを向いているなら、それは、あなたが神に敵対して歩んでいると言えます。イエス・キリストがあなたのために十字架で苦難を負って死んでくださった、というのに、そんなのわたしに関係ない、とあなたが言うならば、それは、あなたは十字架に敵対して歩んでいると言えます。神が、人を愛し、御子キリストを人として世に送り、彼を人の罪の身代わりとして十字架で断罪しました。そして、そのことを信じる者は罪赦され救われる、というのが十字架のメッセージです。もし、あなたが人間の智恵にとどまり続けるならば、それは、神に敵対して歩み続けるということです。ですから私たちは、罪を悔い改めて、神を仰がなければなりません。

神の知恵に生きる人生

この知恵は目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に浮かんだことがないものでした。すなわち、決して人間には見たり聞いたりすることが出来ないもの、心で想像することさえできないもの、私たち人間の理性や思考を超えた素晴らしいものを神は用意してくださったのです。それは、神の下さった救いです。キリストはその十字架と復活により、罪を取り除き、罪の結果である死を滅ぼし、永遠のいのちをお与えくださいます。それが福音です。ですから、私たちは神の知恵に耳を傾けることが必要です。人間がおごり高ぶった自分の知恵では、神に近づくことができない、神を見出すことができない、ようにされたのです。本当にへりくだって、自分を神の下に置くことができる人でしか神を見出すことができないのです。神は自分を隠される神なのです。神の知恵に生きる人生をどのようにしたら自分のものにできるでしょうか。それは、「思いを変える」ことです。自分の知識に立つのをやめて、神のみことばに立つのです。そこに本来の人としての祝福の人生があるのです。

神のことばは止められない

2021年7月4日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。
12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
12:6 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
12:7 すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
12:8 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
12:9 そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。
12:13 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
12:14 そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
12:15 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。
12:16 だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。

<要約>

宣教のみことば止められない

今日に至るまでには多くの聖徒たちは殉教しました。捕えられて縛られ処刑されました。しかし、悪魔も人間も、宣教のみことばを止めることはできません。現代も、広がり続けています。救いの福音は歴史を通して、人から人へと伝達されてきました。そして、私どもにも届いたのです。私たちも受けたもの、救いの福音を他に伝える使命があります。それは聖霊の御業です。窮地に陥れられたとき、すべきただ一つのことは祈りです。どんな所でもどんな状況でも私たちは祈りに向かうべきです。熱心な祈りは神を動かすのです。また祈りに期待しなければ、結果を見ることができません。ある牧師先生が、どんなに困難や苦難に直面してもその時私たちが祈りに導かれるならばそれらの苦難や困難は良いことだと言いました。苦難があると神を求めます。結果的に、私たちは神様と更に近しくなるのです。私たちが、なすすべがない、何にもできない、と言うときも、祈りはできます。人生には絶対起こりえないと思うことが起こるのです。神さまの奇跡を見るのです。最大の奇跡は、救われるはずがないと思っていた人が悔い改めて信じて救われたということではないでしょうか。

祝福のみことばは止められない:

神は御使いを用いて、ペテロを牢獄から救出しました。出口のないトンネルはない、明けない夜はない、同じように、試練や困難にも脱出の道はあるのです。信仰生活は苦難や困難がつきものです。しかし、苦しみの中にも祝福のみことばは流れています。神の祝福のみことばは止めることのできません。福音は英語ではグットニュースです。よい知らせです。福音を受け取った人は、罪と死と悪魔からも解放されます。そして、真のいのちに生きることができるのです。福音の内容は「無代価で与えられる主イエス・キリストによる罪の赦しと永遠のいのち」です。福音のことば、祝福のことばは聖書に中にあります。ペテロもヤコブも他の聖徒たちも、ともに神から祝福された人生を歩みました。私たちも、信仰によって等しく神から祝福された者たちです。神の子ども、天の国民、御国の世継ぎなのです。聖書の言葉に従って生きるなら、神の祝福はあなたのものです。

ステパノの殉教と聖霊

2021年6月27日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>使徒の働き6:14、15、7:45~8:1
6:14 『あのナザレ人イエスは、この聖なる所を壊し、モーセが私たちに伝えた慣習を変える』と彼が言うのを、私たちは聞きました。」
6:15 最高法院で席に着いていた人々が、みなステパノに目を注ぐと、彼の顔は御使いの顔のように見えた。
7:45 私たちの先祖たちは、この幕屋を受け継いで、神が自分たちの前から追い払ってくださった異邦の民の所有地に、ヨシュアとともにそれを運び入れ、ダビデの時代に至りました。
7:46 ダビデは神の前に恵みをいただき、ヤコブの家のために、幕屋のとどまるところを求めました。
7:47 そして、ソロモンが神のために家を建てました。
7:48 しかし、いと高き方は、手で造った家にはお住みになりません。預言者が語っているとおりです。
7:49 『天はわたしの王座、地はわたしの足台。あなたがたは、わたしのためにどのような家を建てようとするのか。──主のことば──わたしの安息の場は、いったいどこにあるのか。
7:50 これらすべては、わたしの手が造ったものではないか。』
7:51 うなじを固くする、心と耳に割礼を受けていない人たち。あなたがたは、いつも聖霊に逆らっています。あなたがたの先祖たちが逆らったように、あなたがたもそうしているのです。
7:52 あなたがたの先祖たちが迫害しなかった預言者が、だれかいたでしょうか。彼らは、正しい方が来られることを前もって告げた人たちを殺しましたが、今はあなたがたが、この正しい方を裏切る者、殺す者となりました。
7:53 あなたがたは御使いたちを通して律法を受けたのに、それを守らなかったのです。」
7:54 人々はこれを聞いて、はらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしていた。
7:55 しかし、聖霊に満たされ、じっと天を見つめていたステパノは、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見て、
7:56 「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます」と言った。
7:57 人々は大声で叫びながら、耳をおおい、一斉にステパノに向かって殺到した。
7:58 そして彼を町の外に追い出して、石を投げつけた。証人たちは、自分たちの上着をサウロという青年の足もとに置いた。
7:59 こうして彼らがステパノに石を投げつけていると、ステパノは主を呼んで言った。「主イエスよ、私の霊をお受けください。」
7:60 そして、ひざまずいて大声で叫んだ。「主よ、この罪を彼らに負わせないでください。」こう言って、彼は眠りについた。
8:1 サウロは、ステパノを殺すことに賛成していた。その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒たち以外はみな、ユダヤとサマリアの諸地方に散らされた。

<要約>
聖霊に逆らって生きる結末

聖霊に逆らって生きる結末は、 頑固になって神のみことばを聞こうとせず、まして受け入れることもない心の態度からきています。私たちは当時のユダヤ人を反面教師として学ぶ必要があります。私たち信者は、外面をつくろい、内実のない信仰生活をしていないでしょうか。聖霊はみことばを通して今も語っておられます。すべての人は罪を犯したので神の栄光を受けることができない、と。また、罪の報酬は死です、と書いています。どんな人も、神に対して、人に対して、犯したすべての罪は、やがて、神の前で清算しなければなりません。もし、その罪の債務証書が、キリストの十字架の贖いによって「支払済」となっていなければ、あなたは、その罪により、永遠の死におとされるのです。これは、とても言いにくいことですが、聖書が示す真理です。聖霊は聖書の言葉、みことばを通して、語りかけておられます。聖霊に心を開き、聖書の言葉に素直になって耳を傾けることが大切です。

聖霊に満たされて生きるために

聖霊に満たされる生き方とは何でしょう。ステパノは、じっと天を見つめて、神の栄光と神の右に立っておられるイエスを見ていました。ここから、まず、天を仰ぎ、キリストから目を離さない生き方であると言えます。また、迫害をも受け入れ、神を恐れ、愛し、信頼する生き方ということができるでしょう。神を愛しているのなら、神に喜ばれることを模索して実行しようとします。また、神を恐れているのならば、神が嫌われること、罪から離れます。さらに、神に信頼いているのならば、目に映る様々なことがらに対しても疑いまどうことなく、神はすべてを働かせて益としてくださることを信じ続けます。聖霊は聖書のみことばを用いて働かれ、私たちをキリストの救いへと導いてくださいます。そして、聖霊があなたの中に入り、あなたに真のいのちを与えます。洗礼を受けて心に聖霊を受けた人は新しいいのちに生きます。それは神のいのちですから、永遠のいのちです。神はキリストの十字架と復活によって、私たちを罪と死と滅びから救ってくださいました。今日、あなたにも聖霊は語りかけています。悔い改めて、イエス・キリストを信じて救われなさいと。

最善の人生はどこにあるか?

2021年6月13日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル牧師 森田友明

<聖書>マタイの福音書11章2~11節
11:2 さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて
11:3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
11:4 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
11:6 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
11:7 この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
11:8 そうでなければ、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。柔らかな衣を着た人なら王の宮殿にいます。
11:9 そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。
11:10 この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。
11:11 まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。
11:12 バプテスマのヨハネの日から今に至るまで、天の御国は激しく攻められています。そして、激しく攻める者たちがそれを奪い取っています。
11:13 すべての預言者たちと律法が預言したのは、ヨハネの時まででした。

<要約>

人が人生に疑念を持つとき

ヨハネはイエス・キリストに会って、そのとき確信を持って言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」と。その後、ヨハネはヘロデ・アンティパスの行状を批判し、ヘロデの恨みを買い投獄されたのです。しかし、獄中で彼は、イエス様がメシアであるということに関して疑問を抱いたようです。なぜならば、イエス様のお姿は彼の抱いていたメシア像とは違っていたからです。イエスさまは「世を裁く方、義の王」として来られるとヨハネは考えていたようです。しかし、現実には制裁や裁きと思われるようなことは何も起こっていなかったのです。ヨハネほどの人物が、確信を失ったのです。ある意味では、ヨハネはとんでもない疑念をいだいたと言えます。しかし、ヨハネはそれを自分のうちにしまいこんで、悩み苦しむばかりでなく、はっきりと、イエス様にその疑問をお尋ねになったのです。そうです。私たちは時として、信仰に躓き、疑問を持つことはあっても良いのです。でもその時に、イエス様の所にもう一度出て、自分の悩みや疑問をはっきりと申し上げることが大切であることを覚えたいと思います。

人間の考えに勝る神の最善

ヨハネの弟子たちに、イエス様は言われました。現実に起こっているキリストの御業に目をとめなさいと。イエス様は、なぜヨハネを救出しなかったのでしょうか。人間の考えに勝る神の御思いがあるのです。私たち信者は周りで起こる様々な事象について、明白な回答を得ることは難しいと言えるでしょう。すべてのことは、神の主権の下で起こっています。天変地異も災害も神のみ許しの下で起こっています。時に、神に対して文句を言いたいということもあるかもしれません。しかし、神の私たちにお示しになった神の愛は、歴史の中ではっきりと示されました。それは十字架です。神は、その独り子をお与えくださるほどに、あなたや私、そしてすべての人を愛してくださっているということです。それは、神がご自身のいのちを捨てて、あなたを滅びの呪いから救い出し、永遠の祝福に招いてくださっているのです。私たちには十字架で十分なのです。最善の、人生はどこにあるのか?それは、神のみ旨にあると思います。そのような神の愛を信じる時に、神に対する絶対的な信頼が生まれてきます。ヨハネはイエス様がメシヤであることを再確認し、牢獄にあっても最後は感謝と喜びで生き抜いたのです。