2017年6月 4日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>創世記4章16~26節
4:16 それで、カインは、【主】の前から去って、エデンの東、ノデの地に住みついた。
4:17 カインはその妻を知った。彼女はみごもり、エノクを産んだ。カインは町を建てていたので、自分の子の名にちなんで、その町にエノクという名をつけた。
4:18 エノクにはイラデが生まれた。イラデにはメフヤエルが生まれ、メフヤエルにはメトシャエルが生まれ、メトシャエルにはレメクが生まれた。
4:19 レメクはふたりの妻をめとった。ひとりの名はアダ、他のひとりの名はツィラであった。
4:20 アダはヤバルを産んだ。ヤバルは天幕に住む者、家畜を飼う者の先祖となった。
4:21 その弟の名はユバルであった。彼は立琴と笛を巧みに奏するすべての者の先祖となった。
4:22 ツィラもまた、トバル・カインを産んだ。彼は青銅と鉄のあらゆる用具の鍛冶屋であった。トバル・カインの妹は、ナアマであった。
4:23 さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラよ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。
4:24 カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍。」
4:25 アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」
4:26 セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は【主】の御名によって祈ることを始めた。
<要約>
神から離れたカインとその子孫:
カインの子孫が紹介されています。そこに、神を離れて、神はいらない、自分で生きていけると考え、思いこんでいる人の姿があります。人間の人格の中心には空洞があって、それは造り主である神にしか埋めることができないのである、とアウグスチヌスが述べています。人は神に似せて作られました。ですから、人格は神のご性質を反映しています。不正を憎み正義を愛し、秩序を重んじる心があります。知恵においても他の動物をはるかに抜きんでています。情動面でも、芸術を味わうことができます。創造的な意思によって、便利なものを多く作り出してきました。文明、文化を創り出してきました。人間の技術は日進月歩です。人は地のちりで造られて、神の霊を吹き込まれて生きたものになりました。それゆえ、霊において神のいのちとつながっていますので、神との心の交流がありました。そして、永遠のいのちがありました。なぜなら、神は永遠なるお方であるからです。それが、罪により断絶しました。神のいのちにつながるパイプが切断されたのです。そして、人間は「死ぬものとなった」のです。死には三つの死があります。第一は、心が神から離れている状態です。神がわからない、神を認めることができない状態です。霊的に死んでいるということです。第二は、私たちが一般的に理解している身体の死です。心臓が止まり、生命活動がない状態です。第三は、身体の死の後にくるものです。永遠に続く死です。イエス様が来てくださったのは、人をそしてあなたをこの永遠の死から救うためです。それは人の罪の結果からくるものだからです。アダムの罪を受け継いで、カインは神の霊的な命を失っていました。カインの子孫は、霊的に死んでいる人々の姿を現しています。これは現代社会で真の神を信じていない多くの人々と同じです。レメクの二人の妻の名は、アダとツィラです。アダの子ヤバルは、家畜を買うものの先祖となったとあります。また、弟のユバルは竪琴と笛を奏するものの先祖となりました。また、ツィラの子どもはトバル・カインで、金属を加工して様々な用具を造る鍛冶屋でありました。彼らは、現代社会の文明文化の先祖と言えます。神はすべての人を哀れみ、そして、あなたに安全で住みよい世界を与えるために、人に様々な能力や技術を与えて、文明文化を築かせました。現代は、大変便利な時代となりました。国々は法によって治められており、より安全に生活できるようになっています。それも神の恩寵であると思います。このように、神から離れて、自分の気ままな人生を選んだカインの子孫をも神は哀れんでくださいます。同様に神から離れている人類社会をも哀れんでいてくださいます。そして、賜物と才能を与え、様々な技術を開発させて、地上においても豊かで祝福された生活を送れるようにしてくださっています。
人間の力と増大する罪の力:
レメクは二人の妻を前にして「アダとツィラよ、私の声を聴け」と警告を発しています。なぜ、二人の美しい妻を前にレメクは、警告の歌を歌ったのでしょうか。「わたしの受けた傷には、一人の人を」「うち傷のためには一人の若者を殺した」語っています。美しく着飾った声の美しい二人の妻に対して少しでも近づく男は俺が殺す、と言っているように思えました。これは、神を恐れない、自分の力を誇示するレメクの態度です。愚かさ、高ぶりがあります。罪が増大した現代社会の一面を見るようです。アダムから引き継いでいる罪、それを原罪と言います。神の戒めを破り、自分を神の上に置いたことです。その罪をすべての人が生まれながら受け継いでいるというのです。それは恐ろしいほどの腐敗であります。生まれながらの人は、自分からは神を恐れることがなく、信頼することもできません。いくら頭がよくて教養のある人でも、自らの理性や知識では、福音と永遠の救いを信じることはできないのです。聖霊によって照らされるまでは、キリストの福音は単なる愚かな話と考えるのです。原語で罪は、的外れという意味です。本来あるべき状態にないといえます。人は、創造主に造られて創造主の下にあって幸せに生きることができる存在です。それが、逆転して、神の上に自分を置いたとたんに罪のどん底に落ちたのです。人は神を礼拝し、神に栄光を帰し、神のために人生を使う時にこそ、本当に幸せなのです。それが、神のいのちから離れたため霊的に死にました。それがゆえに、神がわからない、神を認めることができない、神を感じることができない、のです。十字架の話は愚かな話に聞こえるのです。それが腐敗した人間の本性です。その霊的な死から救い、真のいのちを与えるのは、復活のキリストです。イエス様は私たちの罪のために死んで、私たちのいのちのために復活してくださったからです。
神の恵みの世継ぎ:
アダムの世継ぎとなったもう一人の人物が登場します。セツです。セツが贖いの歴史をつなぐ人物となりました。カインの子孫は、人類に文明文化をもたらす役目を果たしますが、同時に、彼らは自分の力を神として歩むのです。ですから、罪の力に支配されて、良いと思うことをすることができずに悪と不道徳に押し流されていくのです。しかし、セツの子孫は、「彼らは主の御名によって祈ることを始めた」のです。これは、神を礼拝するようになった、ということです。セツによって、セツの子孫は礼拝の民となったのです。すなわち、神を上において、神の下で生きるという、神を恐れて生きるという、アダムが最初に持っていた本来の秩序を取り戻したのです。本来の神と人の関係を取り戻したのです。彼らは、神を中心として自分たちの人生を築いていくのです。アベルは信仰によって義とされた人です。それに次いでセツの子どもたちも真の神を礼拝し、神を恐れ、愛し、信頼していく民族となったのです。これは、神の哀れみによって救いの約束をセツにつないでくださったのです。ここにおられるあなたも、神を礼拝する民に招かれています。やがて、アダム、セツの子孫にイエス・キリストが与えられました。キリストは十字架の死と復活により、罪と死と悪魔のとりこになっている人類、そして、あなたを贖いだして、キリストの支配に移してくださったのです。あなたが神の招きにこたえて、礼拝の民に加えられることを、私は切に懇願します。