安心して生きる

2024年10月27日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書5章21~26節
【新改訳2017】
5:21 昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
5:24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
5:25 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。

神の日を心に据えて今を生きる

2024年10月20日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
神を認めない人間と神の忍耐:

世の中の人々は、キリストが神であることを認めず生きています。そして、その人生観、生き方は歴史を通して、ずっと人間社会を支配してきました。あざける者たちが、敬虔に生きようとしている信者たちをあざけっていました。それに対して、ペテロは、こう述べています。主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。ここに主のみこころがあります。キリストは、そのように神を認めず、神を知らず、神から遠く離れている人々、そして自らの罪のために死と滅びに定められている人々を救うために、世に来てくださったのです。さばきと滅びの日来る前に、すべての人を天の御国に招くために、罪びとを招くために来てくださったのです。「私を信じて、罪と死と滅びから救われなさい」と、今日も招いてくださっております。まだ、キリストを信じて洗礼を受けてない方は、是非、信じて救われてください。

終わりを見据えて希望に生きる:

最終的には世界は滅びます。しかし、この世界は「義と愛の神」が創られ、そして保っておられる世界です。神は義であるということは、神は正しくさばかれるということです。罪を放置しておくことは神にはできません。すなわち神の裁きは必ず起こるということです。また、愛の面では、神はすべての人を愛し、滅んでしまうのを惜しんでおられます。そして、すべての人が幸せになってもらいたいと考えておられます。私たちは、生まれながらの罪人です。しかし、イエス様の十字架により過去現在未来に至るまでの罪は赦されています。ですから赦された罪人です。罪が許されたものとして、これからは、どのように生きて行けばよいのでしょうか。罪が赦され、復活のいのちが与えられています。そして、やがて、新しい天と新しい地を相続する者たちです。神は、この地上にあって、一人一人に使命と目的を与えて神の民として、決してしぼまない、希望と喜びの人生を歩んでほしいと願っておられます。イエス様が命じているように、神を愛し、人を愛することです。具体的にはそれぞれに与えられた場所で与えられた職務や身分を通して、最善を尽くすことです。

<聖書>ペテロ第2の手紙3章1~14節
【新改訳2017】
3:1 愛する者たち、私はすでに二通目となる手紙を、あなたがたに書いています。これらの手紙により、私はあなたがたの記憶を呼び覚まして、純真な心を奮い立たせたいのです。
3:2 それは、聖なる預言者たちにより前もって語られたみことばと、あなたがたの使徒たちにより伝えられた、主であり救い主である方の命令を思い出させるためです。
3:3 まず第一に、心得ておきなさい。終わりの時に、嘲る者たちが現れて嘲り、自分たちの欲望に従いながら、
3:4 こう言います。「彼の来臨の約束はどこにあるのか。父たちが眠りについた後も、すべてが創造のはじめからのままではないか。」
3:5 こう主張する彼らは、次のことを見落としています。天は大昔からあり、地は神のことばによって、水から出て、水を通して成ったのであり、
3:6 そのみことばのゆえに、当時の世界は水におおわれて滅びました。
3:7 しかし、今ある天と地は、同じみことばによって、火で焼かれるために取っておかれ、不敬虔な者たちのさばきと滅びの日まで保たれているのです。
3:8 しかし、愛する人たち、あなたがたはこの一つのことを見落としてはいけません。主の御前では、一日は千年のようであり、千年は一日のようです。
3:9 主は、ある人たちが遅れていると思っているように、約束したことを遅らせているのではなく、あなたがたに対して忍耐しておられるのです。だれも滅びることがなく、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
3:10 しかし、主の日は盗人のようにやって来ます。その日、天は大きな響きを立てて消え去り、天の万象は焼けて崩れ去り、地と地にある働きはなくなってしまいます。
3:11 このように、これらすべてのものが崩れ去るのだとすれば、あなたがたは、どれほど聖なる敬虔な生き方をしなければならないことでしょう。
3:12 そのようにして、神の日が来るのを待ち望み、到来を早めなければなりません。その日の到来によって、天は燃え崩れ、天の万象は焼け溶けてしまいます。
3:13 しかし私たちは、神の約束にしたがって、義の宿る新しい天と新しい地を待ち望んでいます。
3:14 ですから、愛する者たち。これらのことを待ち望んでいるのなら、しみも傷もない者として平安のうちに神に見出していただけるように努力しなさい。

赦された罪人と赦し

2024年10月6日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書18章21~35節
【新改訳2017】
18:21 そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何回赦すべきでしょうか。七回まででしょうか。」
18:22 イエスは言われた。「わたしは七回までとは言いません。七回を七十倍するまでです。
18:23 ですから、天の御国は、王である一人の人にたとえることができます。その人は自分の家来たちと清算をしたいと思った。
18:24 清算が始まると、まず一万タラントの負債のある者が、王のところに連れて来られた。
18:25 彼は返済することができなかったので、その主君は彼に、自分自身も妻子も、持っている物もすべて売って返済するように命じた。
18:26 それで、家来はひれ伏して主君を拝し、『もう少し待ってください。そうすればすべてお返しします』と言った。
18:27 家来の主君はかわいそうに思って彼を赦し、負債を免除してやった。
18:28 ところが、その家来が出て行くと、自分に百デナリの借りがある仲間の一人に出会った。彼はその人を捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。
18:29 彼の仲間はひれ伏して、『もう少し待ってください。そうすればお返しします』と嘆願した。
18:30 しかし彼は承知せず、その人を引いて行って、負債を返すまで牢に放り込んだ。
18:31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て非常に心を痛め、行って一部始終を主君に話した。
18:32 そこで主君は彼を呼びつけて言った。『悪い家来だ。おまえが私に懇願したから、私はおまえの負債をすべて免除してやったのだ。
18:33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも自分の仲間をあわれんでやるべきではなかったのか。』
18:34 こうして、主君は怒って、負債をすべて返すまで彼を獄吏たちに引き渡した。
18:35 あなたがたもそれぞれ自分の兄弟を心から赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに、このようになさるのです。」

<要約>
罪がわからない人間:

自分が罪びとであるということが自覚できなければ、自分がどんなに赦されているかもわかりません。自分には赦される必要があることもわかりません。私たちが神の赦しを実感するためにはまず、自分の罪がわからなければなりません。アウグスブルク信仰告白に以下のように記述されています。「実に、人は母の胎内にいるときから悪への傾向と欲とに満ちており、生まれながら神への恐れもない」と。さらに、この原罪というものは、遺伝的罪であり、真の罪であると書いています。そのままでは、すべての人は、神の永遠の怒りのもとにあり、罪の裁きを受け滅びに至るのです。しかし、神は怒りの神である以上に憐みの神です。この例話の主君は家来をかわいそうに思って、家来の負債をご自身が担い帳消しとされたのです。イエス・キリストが、すべての人の罪を担い十字架で死んでくださり、そればかりでなく、三日目に今度は信じるすべての人のいのちのために復活してくださった。その事実を信じて、罪と死と滅びから救われるのです。王から「悪い家来だ」と言われたその男は、自分に百デナリ借金のあるしもべ仲間を牢獄に入れました。その結果、自分も牢獄に入れられたのです。これは、赦さない人は結果的に自分を牢獄につないでしまうということです。赦さない人はそれが自分にかえってきて自分を束縛し心の自由を失うのです。

赦された罪びととして人を赦し愛する:

人はそのままでは死と滅びに定められています。神は、人が滅びに向かうのを惜しんでおられます。そこで神は、すべての人の罪を赦すという決断をなされました。それは、罪のない神の一人子イエス・キリストに人類のすべての人の罪を着せて、すべての人の身代わりとして十字架で断罪し、死に至らせました。そのことにより、過去現在未来に至るまでのあなたの罪は赦されました。キリストは十字架で死んだばかりでなく、三日目に復活しました。それにより、信じる者は、罪赦されるばかりでなく、キリストが復活して生きておられるように、復活のいのちをいただき永遠のいのちに生きるのです。これからは、私たちは罪赦された罪びととして、隣人の罪を赦し、隣人を愛する人生を選び取っていくのです。それは、決してしぼむことのない自由と希望と喜びの人生です。ぜひそのことを受け止めて歩んでいただきたいと思います。