2023年10月22日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>Ⅰサムエル記17章8~11、24~27、46~51節
【新改訳2017】
17:8 ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て来て、戦いの備えをするのか。おれはペリシテ人、おまえらはサウルの奴隷どもではないか。一人を選んで、おれのところによこせ。
17:9 おれと戦っておれを殺せるなら、おれたちはおまえらの奴隷になる。だが、おれが勝ってそいつを殺したら、おまえらがおれたちの奴隷になって、おれたちに仕えるのだ。」
17:10 そのペリシテ人は言った。「今日、この日、おれがイスラエルの陣を愚弄してやる。一人をよこせ。ひとつ勝負をしようではないか。」
17:11 サウルと全イスラエルは、ペリシテ人のことばを聞き、気をくじかれて非常に恐れた。
17:24 イスラエルの人はみな、この男を見たとき、彼の前から逃げ、非常に恐れた。
17:25 イスラエルの人々は言った。「この上って来た男を見たか。イスラエルをそしるために上って来たのだ。あれを討ち取る者がいれば、王はその人を大いに富ませ、その人に自分の娘を与え、その父の家にイスラエルでは何も義務を負わせないそうだ。」
17:26 ダビデは、そばに立っている人たちに言った。「このペリシテ人を討ち取って、イスラエルの恥辱を取り除く者には、どうされるのですか。この無割礼のペリシテ人は何なのですか。生ける神の陣をそしるとは。」
17:27 兵たちは、先のことばのように、彼を討ち取った者には、これこれをされる、と言った。
17:28 兄のエリアブは、ダビデが人々と話しているのを聞いた。エリアブはダビデに怒りを燃やして言った。「いったい、おまえは、なぜやって来たのか。荒野にいるあのわずかな羊を、だれに預けて来たのか。私には、おまえのうぬぼれと心にある悪が分かっている。戦いを見にやって来たのではないのか。」
17:46 今日、【主】はおまえを私の手に渡される。私はおまえを殺しておまえの頭を胴体から離し、今日、ペリシテ人の軍勢の屍を、空の鳥、地の獣に与えてやる。すべての国は、イスラエルに神がおられることを知るだろう。
17:47 ここに集まっているすべての者も、剣や槍がなくても、【主】が救いをもたらすことを知るだろう。この戦いは【主】の戦いだ。主は、おまえたちをわれわれの手に渡される。」
17:48 そのとき、そのペリシテ人はダビデの方に近づき始めた。ダビデは、すばやく戦場を走って行き、ペリシテ人に立ち向かった。
17:49 ダビデは手を袋の中に入れて、石を一つ取り、石投げでそれを放って、ペリシテ人の額を撃った。石は額に食い込み、彼はうつぶせに地面に倒れた。
17:50 ダビデは、石投げと石一つでこのペリシテ人に勝ち、このペリシテ人を撃って、彼を殺した。ダビデの手に剣はなかったが。
17:51 ダビデは走って行ってペリシテ人の上に立ち、彼の剣を奪ってさやから抜き、とどめを刺して首をはねた。ペリシテ人たちは、自分たちの勇士が死んだのを見て逃げた。
<要約>
立ちはだかる目に見えない敵:
世界には目に見える敵ばかりでなく、それ以上に恐ろしい目に見えない敵があることを知らなければなりません。目に見えない敵は、三つあります。一つは、エペソ書にある、空中の権威を持つ支配者、闇の世の支配者である悪魔、サタンです。悪魔は初めから人殺しで真理に立っていません。神に敵対しているわけですから、信者にも敵対しています。目に見えない敵の二番目は、私たち誰でもが持っている罪の性質です。私たちの内側には、神に喜ばれない罪の思いがあります。してはならないことを欲します。そして、したくないことをしてしまいます。目に見えない敵の三番目は、この世です。この世の本質は不遜です。この世は神を認めていません。目に見えない敵と題してお話ししています。目に見えない敵と言っても、それは目に見える形で表れています。すなわち、目に見える困難、苦難、誘惑の背後に目に見えない敵がいるのです。「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、支配、力、この暗闇の世界の支配者たち、また天上にいるもろもろの悪霊に対するものです。」と。
神の戦いと勝利の約束:
サウルとイスラエルは意気消沈してしまいましたが、ダビデは、自分には勝ち得る戦いだと考えました。私たちも知らなければなりません。試練は困難ですが、どの試練も勝ち得る戦いであるということです。どんな試練にも必ず勝つことができるのです。なぜそのようなことが言えるのでしょうか。それは、イエス様があなたと共に戦ってくださるからです。人生には戦いがある、しかし、主イエスは世に勝っています。また、神は、「あなたはわたしのもの」と言われて、どんなわざわいもあなたに及ばない、と言われます。イエス様の十字架は一見敗北に見えます。しかし、それが勝利だったのです。悪魔は、主イエスの弟子のユダを用いて主イエスを捕えて、ローマ帝国に渡し、十字架刑につかせたのです。救い主を世から消し去るということでは悪魔は勝ったように見えます。しかし、神は逆転勝利に導いたのです。このことにより、すべての人の罪を取り除くための贖いのわざが成就しました。そして、三日目により、悪魔と、罪と死から、そして、神の怒りからどんな人でも信じる者は救われるのです。勝利の約束は、十字架による罪の赦しと復活による永遠のいのちです。