パウロに見るイエスの愛ととりなし

2023年9月24日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ピレモンへの手紙1~19節
【新改訳2017】
1:1 キリスト・イエスの囚人パウロと兄弟テモテから、私たちの愛する同労者ピレモンと、
1:2 姉妹アッピア、私たちの戦友アルキポ、ならびに、あなたの家にある教会へ。
1:3 私たちの父なる神と、主イエス・キリストから、恵みと平安があなたがたにありますように。
1:4 私は祈るとき、いつもあなたのことを思い、私の神に感謝しています。
1:5 あなたが主イエスに対して抱いていて、すべての聖徒たちにも向けている、愛と信頼について聞いているからです。
1:6 私たちの間でキリストのためになされている良い行いを、すべて知ることによって、あなたの信仰の交わりが生き生きとしたものとなりますように。
1:7 私はあなたの愛によって多くの喜びと慰めを得ました。それは、兄弟よ、あなたによって聖徒たちが安心を得たからです。
1:8 ですから、あなたがなすべきことを、私はキリストにあって、全く遠慮せずに命じることもできるのですが、
1:9 むしろ愛のゆえに懇願します。このとおり年老いて、今またキリスト・イエスの囚人となっているパウロが、
1:10 獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいのです。
1:11 彼は、以前はあなたにとって役に立たない者でしたが、今は、あなたにとっても私にとっても役に立つ者となっています。
1:12 そのオネシモをあなたのもとに送り返します。彼は私の心そのものです。
1:13 私は、彼を私のもとにとどめておき、獄中にいる間、福音のためにあなたに代わって私に仕えてもらおうと思いました。
1:14 しかし、あなたの同意なしには何も行いたくありませんでした。それは、あなたの親切が強いられたものではなく、自発的なものとなるためです。
1:15 オネシモがしばらくの間あなたから離されたのは、おそらく、あなたが永久に彼を取り戻すためであったのでしょう。
1:16 もはや奴隷としてではなく、奴隷以上の者、愛する兄弟としてです。特に私にとって愛する兄弟ですが、あなたにとっては、肉においても主にあっても、なおのことそうではありませんか。
1:17 ですから、あなたが私を仲間の者だと思うなら、私を迎えるようにオネシモを迎えてください。
1:18 もし彼があなたに何か損害を与えたか、負債を負っているなら、その請求は私にしてください。
1:19 私パウロが自分の手で、「私が償います」と書いています。あなたが、あなた自身のことで私にもっと負債があることは、言わないことにします。

<要約>

神から離れ役立たなくなった人間:

オネシモは、以前ピレモンにとって役に立たないものであった。それは、罪を犯し、ピレモンの元を離れていた状態を指します。オネシモはかつての私たちの姿を表しています。罪によって真の神から離れている人間の姿です。また、生まれながらの人間の姿でもあります。オネシモは、自由を得ようとして、反って不自由になりました。それどころか、見つけられたら殺されるという死の恐れを抱きながらの隠れた生活です。そこには何の平安も喜びもありません。ピレモンから逃げて遠ざかったオネシモは、神から離れて、神を否定して生きる人間の姿を現しています。神を心の中から追い出すのです。神なんかいないというのです。そのように多くの人は神を否定して自らを滅びの道を歩んでいます。当時のオネシモが死刑に定められているのと同じです。そのような神に敵対するような私たち人類に対して神は何をしてくださったのでしょうか。

愛と信頼のまなざしが人を変える:

オネシモは逃亡奴隷として、ローマ帝国の雑踏の中に身を隠していました。ローマでの逃亡生活に疲れ、心に平安はなく苦しんでいたと考えられます。道でパウロの同労者テキコに偶然にあったのかもしれません。それとも、囚人となっていたパウロの噂を聞いて彼自らがパウロを訪れたのかもしれません。パウロを通してイエス様が彼に働いてくださった。そのお心を表し、やさしい視線を向けてくださったのです。オネシモは癒され、そして十字架による罪の赦しを自分のものとしたのです。悔い改めてイエス・キリストを主と信じたのです。人はどのようにして変わるのでしょうか。それは、愛と赦しによるのです。あるいは愛と信頼によるといえます。愛と信頼のまなざしによって人は変えられるのです。そして、神と人に役立つものとなるのです。人との出会いの背後にはイエス様がおられます。私たちもかつては、真の神がおられるのに、神を離れて、神を認めず、自分中心で自分を神の上において歩んでいました。神の前に役に立たないものでした。しかし、一方的な神の恵みによって、主イエスに捕らえられて、今は神に役立つものと変えられました。遣わされたところで、隣人愛の実践と福音宣教に励もうではありませんか。

主の再臨を前にした生き方

2023年9月3日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅱテサロニケ2章1~17節
【新改訳2017】
2:1 さて兄弟たち。私たちの主イエス・キリストの来臨と、私たちが主のみもとに集められることに関して、あなたがたにお願いします。
2:2 霊によってであれ、ことばによってであれ、私たちから出たかのような手紙によってであれ、主の日がすでに来たかのように言われるのを聞いても、すぐに落ち着きを失ったり、心を騒がせたりしないでください。
2:3 どんな手段によっても、だれにもだまされてはいけません。まず背教が起こり、不法の者、すなわち滅びの子が現れなければ、主の日は来ないのです。
2:4 不法の者は、すべて神と呼ばれるもの、礼拝されるものに対抗して自分を高く上げ、ついには自分こそ神であると宣言して、神の宮に座ることになります。
2:5 私がまだあなたがたのところにいたとき、これらのことをよく話していたのを覚えていませんか。
2:6 不法の者がその定められた時に現れるようにと、今はその者を引き止めているものがあることを、あなたがたは知っています。
2:7 不法の秘密はすでに働いています。ただし、秘密であるのは、今引き止めている者が取り除かれる時までのことです。
2:8 その時になると、不法の者が現れますが、主イエスは彼を御口の息をもって殺し、来臨の輝きをもって滅ぼされます。
2:9 不法の者は、サタンの働きによって到来し、あらゆる力、偽りのしるしと不思議、
2:10 また、あらゆる悪の欺きをもって、滅びる者たちに臨みます。彼らが滅びるのは、自分を救う真理を愛をもって受け入れなかったからです。
2:11 それで神は、惑わす力を送られ、彼らは偽りを信じるようになります。
2:12 それは、真理を信じないで、不義を喜んでいたすべての者が、さばかれるようになるためです。
2:13 しかし、主に愛されている兄弟たち。私たちはあなたがたのことについて、いつも神に感謝しなければなりません。神が、御霊による聖別と、真理に対する信仰によって、あなたがたを初穂として救いに選ばれたからです。
2:14 そのために神は、私たちの福音によってあなたがたを召し、私たちの主イエス・キリストの栄光にあずからせてくださいました。
2:15 ですから兄弟たち。堅く立って、語ったことばであれ手紙であれ、私たちから学んだ教えをしっかりと守りなさい。
2:16 どうか、私たちの主イエス・キリストと、私たちの父なる神、すなわち、私たちを愛し、永遠の慰めとすばらしい望みを恵みによって与えてくださった方ご自身が、
2:17 あなたがたの心を慰め、強めて、あらゆる良いわざとことばに進ませてくださいますように。

<要約>

神から離れて混迷する人間社会:

聖書は、キリストの救いは、人間を罪による滅びから救うために神が備えてくださった唯一の方法である、と訴えています。この恵みの救いは、あなたが受け取っても受け取らなくても良い、あるいは信じても信じなくても良いというものではありません。現代、背教は進んでいると思います。たくさんの異端と言われる教えも出てきています。統一教会、エホバの証人、摂理、新天地など。新聞紙上でも取り上げられています。信仰も冷えていき、日本の教会は苦戦しています。信者の数もあまり増えていません。また、世界は混迷を深めています。国家は、専制主義の国々と民主主義の国々と分断しています。戦争と殺戮は繰り返されています。地球温暖化からか自然災害も増加しています。聖書には、「私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続けようではありませんか。―――自分たちの集まりをやめたりせず―――その日が近づいていることが分かっているのですから、ますます励もうではありませんか。」お互いに愛と善行に励みましょう。また、礼拝をないがしろにしないで、励まし合って主日礼拝を守りましょう。

永遠の慰めと素晴らしい希望を与えてくださる神:

聖霊はみことばと共に働いて、私たちのうちなる人をキリストに似たものに変えてくださるのです。キリストの似姿とはなんでしょう。それは、十字架上の主イエスの姿に凝集されています。父なる神への完全な従順。彼を十字架につけて嘲笑する人々に対して「彼らをお赦しください。彼らは何をしているのか分からないからです。」と祈ったのです。ここに私たちが目標とする姿があるのです。人を赦すことによって平和をもたらす主イエスの姿を見るのです。また、「あなたがたを初穂として救いに選ばれた」と書いています。この「初穂」ということばは、新改訳聖書では「初めから」と書いています。教会に集いみことばを信じるあなたや私は、世界の創造の初めから救いに選ばれているということです。しかし、私たちは傷つき、また、気落ちし、落ち着きを失い、心を騒がす者たちです。神は永遠の慰めと素晴らしい希望を与えてくださると、約束してくださっております。常に父なる神を信じ、聖霊がいつも助けてくださる事を信じましょう。そこに必ず勝利があります。そして、神は永遠のいのちの祝福と死で終わることのないしぼむことのない希望を信じるものすべてに与えてくださるからです。