癒してお救いくださる神

2023年4月30日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書15章29~39節
【新改訳2017】
15:29 それから、イエスはそこを去ってガリラヤ湖のほとりに行かれた。そして山に登り、そこに座っておられた。
15:30 すると大勢の群衆が、足の不自由な人たち、目の見えない人たち、手足の曲がった人たち、口のきけない人たち、そのほか多くの人をみもとに連れて来て、イエスの足もとに置いたので、イエスは彼らを癒やされた。
15:31 群衆は、口のきけない人たちがものを言い、手足の曲がった人たちが治り、足の不自由な人たちが歩き、目の見えない人たちが見えるようになるのを見て驚いた。そしてイスラエルの神をあがめた。
15:32 イエスは弟子たちを呼んで言われた。「かわいそうに、この群衆はすでに三日間わたしとともにいて、食べる物を持っていないのです。空腹のまま帰らせたくはありません。途中で動けなくなるといけないから。」
15:33 弟子たちは言った。「この人里離れたところで、こんなに大勢の人に十分食べさせるほどたくさんのパンを、どこで手に入れることができるでしょう。」
15:34 すると、イエスは彼らに言われた。「パンはいくつありますか。」彼らは言った。「七つです。それに、小さい魚が少しあります。」
15:35 そこで、イエスは群衆に地面に座るように命じられた。
15:36 そして七つのパンと魚を取り、感謝の祈りをささげてからそれを裂き、弟子たちにお与えになったので、弟子たちは群衆に配った。
15:37 人々はみな、食べて満腹した。そして余ったパン切れを集めると、七つのかごがいっぱいになった。
15:38 食べた者は、女と子どもを除いて男四千人であった。
15:39 それから、イエスは群衆を解散させて舟に乗り、マガダン地方に行かれた。

人に働く罪と死の原理:

聖書は、人間の根源的な問題を扱っています。それによると、人は創り主である神から遠く離れています。そのため罪の力が働いて、様々な困難や病苦に襲われます。そして、それは、人を不条理な世界に閉じ込めます。罪の力と悪魔の力が人間社会を苦しめています。罪の中心は、人は神によってつくられ、いのちを与えられているのに、神を認めず、神を無視して生きていることです。神を無視した自分中心、人間中心の生き方です。罪の力は、私たちが願っている互いに愛しあうのとは正反対に、争いあう方向にいざないます。そして、現在、争いは全世界を覆っています。国家レベルでも、地域社会レベルでも、家庭レベルでも、個人レベルでも争いは人類史上絶えることがありません。最初の人アダムが、悪魔の誘惑を受けて、神の上に自分を置こうとして、戒めを破り、罪を犯したのです。それによりアダムには死が入りました。そのため、アダムの子孫であるすべての人は生まれながらの罪人となり死ぬべきものとなったのです。また、この世を支配している悪魔の力によって自由を奪われています。

解放し満たしてくださる神:

神は癒しの神です。解放の神です。彼らは、身体の不自由からばかりでなく、神は罪と死と滅びから解放してくださったのです。ここに集まった多くの障害を持った人たちは、イエス様はメシヤ、救い主であると信じて集まった人たちです。彼らは信仰によって、癒しを体験し、また、同時に罪の赦しを得て、死からいのちへ移されました。そして、彼らはイスラエルの神を崇めました。群衆と身体の不自由を抱えていた人々はどのように癒されたのでしょうか。彼らは空の手を差し出してイエス様が下さる救いと癒しをただ受け取ったのです。罪を悔い改めて、キリストの赦しを信じ受け止めれば、無条件で救われます。神が救いの道を備えてくださった動機は何でしょうか? 「かわいそうに」と言う言葉に注目してください。これは原語のギリシア語では、「スプランクニゾマイ」です。「はらわたがちぎれるほど同情して」と言う意味です。これが、神のあなたへのお心です。イエス様は、罪と死と悪魔の縛りからあなたを解放し、罪の赦しとともに身体の復活、それに継ぐ永遠のいのちを保証してくださいます。そのことを感謝して、喜びあふれる者として、歩みたいと思います。

<要約>

立派な信仰とは?

2023年4月23日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書15章21~28節
【新改訳2017】
15:21 イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。
15:22 すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」
15:24 イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」
15:25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
15:26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
15:27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。

<要約>

信仰の試練と勝利:

イエス様を見た彼女は、「わたしを憐れんでください。娘が悪霊に着かれて苦しんでいます。救ってください」と叫び続けました。イエス様は沈黙を守られ、女性を無視されたということです。彼女には願いがくじかれ、信仰の試練の時と言えます。このひれ伏して懇願する女性に対して、イエス様はどう答えられたのでしょうか。「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです」と。しかし、この女性は、冷静で機知に富んだ返答をしております。「主よ。その通りです。ただ子犬でも主人の食卓から落ちたパンくずは頂きます」と。イエス様のとの対話の中で、直観的にこの方こそ真の救い主、この方に信頼する者は失望されることがない、と確信に至ったのです。神の癒しと救いは、試練を通して与えられるということがあります。現実、多くの方々は、病を通して、また、様々な試練を通して、自分の限界を知らされ、真の神に立ち返って、信じて洗礼を受けます。この女性は信仰の戦いに勝利しました。

愛と恵の主キリスト:

この女性に対して、「あなたの信仰は立派です」と、信仰を褒めてくださいました。神は高慢な心ではなく、悔いた低い心を喜ばれます。イエス様は、あなたの命を大切に思っておられる愛の神です。そして、受けるに値しない私たち罪人に無条件の愛を注がれる恵の神です。キリストの十字架、それは苦しみと悲しみと絶望を意味します。神が人となって世に来られた。わざわざ、人の罪を担い、その代価を払うために身代わりとなって、裁かれ、死んでくださいました。これこそが人類史上、最大の不条理です。神が、天のみ位を捨てる意味がどこにあるのでしょうか。天のみ位に座しておられるからこそ神と言えるのではないでしょうか。でも、神は人を愛し、人が自らの罪のために滅びることを惜しまれて、死の滅びから救うために神の独り子を世に与え、十字架におかけになったのです。そして神は、死に至るまで従い通したキリストを死者のうちから蘇らせたのです。それがキリストの復活です。最後の敵である死を完全に打ち破ったのです。そのことにより、信じる者は罪赦されて復活のいのち、永遠のいのちを頂くのです。決して失望に終わらない希望を神は約束しておられます。

悲しみは喜びに変えられる

2023年4月2日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書28章1~10、16~20節
【新改訳2017】
28:1 さて、安息日が終わって週の初めの日の明け方、マグダラのマリアともう一人のマリアが墓を見に行った。
28:2 すると見よ、大きな地震が起こった。主の使いが天から降りて来て石をわきに転がし、その上に座ったからである。
28:3 その姿は稲妻のようで、衣は雪のように白かった。
28:4 その恐ろしさに番兵たちは震え上がり、死人のようになった。
28:5 御使いは女たちに言った。「あなたがたは、恐れることはありません。十字架につけられたイエスを捜しているのは分かっています。
28:6 ここにはおられません。前から言っておられたとおり、よみがえられたのです。さあ、納められていた場所を見なさい。
28:7 そして、急いで行って弟子たちに伝えなさい。『イエスは死人の中からよみがえられました。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれます。そこでお会いできます』と。いいですか、私は確かにあなたがたに伝えました。」
28:8 彼女たちは恐ろしくはあったが大いに喜んで、急いで墓から立ち去り、弟子たちに知らせようと走って行った。
28:9 すると見よ、イエスが「おはよう」と言って彼女たちの前に現れた。彼女たちは近寄ってその足を抱き、イエスを拝した。
28:10 イエスは言われた。「恐れることはありません。行って、わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えます。」
28:11 彼女たちが行き着かないうちに、番兵たちが何人か都に戻って、起こったことをすべて祭司長たちに報告した。
28:12 そこで祭司長たちは長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『弟子たちが夜やって来て、われわれが眠っている間にイエスを盗んで行った』と言いなさい。
28:14 もしこのことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
28:15 そこで、彼らは金をもらって、言われたとおりにした。それで、この話は今日までユダヤ人の間に広まっている。
28:16 さて、十一人の弟子たちはガリラヤに行き、イエスが指示された山に登った。
28:17 そしてイエスに会って礼拝した。ただし、疑う者たちもいた。
28:18 イエスは近づいて来て、彼らにこう言われた。「わたしには天においても地においても、すべての権威が与えられています。
28:19 ですから、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。父、子、聖霊の名において彼らにバプテスマを授け、
28:20 わたしがあなたがたに命じておいた、すべてのことを守るように教えなさい。見よ。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたとともにいます。」

<要約>
世の権威は自由を奪い不安と恐れを与える:

一般に、人間が権威を持つと、それが権力となって、さらに決定権を握ります。国の最高権威を握った人は、行政や司法の決定権を握り独裁者となり、人のいのちを殺めたり人のいのちを救ったり、人々を思うままに動かし、自分に栄光を帰そうとします。そして、人民は自由を奪われています。独裁者に逆らうものであれば、命の危険もあります。聖書は何と言っているでしょうか。私たちは人を恐れるより、神を恐れなさいと言っています。真の権威、すべての権威を持っておられる方はただ一人、神です。そして、人は偏った裁きを与えますが、正しくさばかれるのは主です。イエス様に再びお会いするまでは、弟子たちは悲しみ、恐れ、不安、失望を味わっていたことでしょう。しかし、どんでん返しが起きました。イエス様は復活したのです。悲しみは喜びに恐れ不安は平安に、失望は希望に代えられたのです。心の目でイエス様を見て心の耳で聞くならば、あなたにご自身を現してくださいます。信じて一歩を踏み出していただきたいと思います。

キリストの権威は罪を赦し自由を与える:

人の生き死にもキリストの手の中にあります、世界がいつ終わるかも彼の手にあります。一国の盛衰も彼の手の中にあるのです。また、あなたや私の一個人が何をするべきか、あるいは何をするべきでないかについても権威をもっています。ではどのようにして、イエス様にそのようなすべての権威が与えられたのでしょうか。それは、 神であられるのにイエス様は、最もへりくだられてこの世に来られ、ご自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。それゆえ、神は、この方を高くあげてすべての名にまさる名を与えになりました。神の御子イエス様は愛とあわれみに富んでおられるかたです。イエス様は あなたを生かしあなたに何物にも奪われることのない本当の自由をお与えくださるのです。なぜ、人は自由になれないのでしょうか。人が真の自由を得ることができないのは、生まれながら持っている罪のためです。すべての人はこの罪と死と滅びの法則に縛られて、自由になれないのです。しかし、イエス様は十字架と復活により、すべての人の罪を取り除き、罪と死の原理から解放してくださいました。イエス様は あなたを生かしあなたに何物にも奪われることのない本当の自由をお与えくださるのです。