2023年1月8日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>ルカの福音書2章39~52節
【新改訳2017】
2:39 両親は、主の律法にしたがってすべてのことを成し遂げたので、ガリラヤの自分たちの町ナザレに帰って行った。
2:40 幼子は成長し、知恵に満ちてたくましくなり、神の恵みがその上にあった。
2:41 さて、イエスの両親は、過越の祭りに毎年エルサレムに行っていた。
2:42 イエスが十二歳になられたときも、両親は祭りの慣習にしたがって都へ上った。
2:43 そして祭りの期間を過ごしてから帰路についたが、少年イエスはエルサレムにとどまっておられた。両親はそれに気づかずに、
2:44 イエスが一行の中にいるものと思って、一日の道のりを進んだ。後になって親族や知人の中を捜し回ったが、
2:45 見つからなかったので、イエスを捜しながらエルサレムまで引き返した。
2:46 そして三日後になって、イエスが宮で教師たちの真ん中に座って、話を聞いたり質問したりしておられるのを見つけた。
2:47 聞いていた人たちはみな、イエスの知恵と答えに驚いていた。
2:48 両親は彼を見て驚き、母は言った。「どうしてこんなことをしたのですか。見なさい。お父さんも私も、心配してあなたを捜していたのです。」
2:49 すると、イエスは両親に言われた。「どうしてわたしを捜されたのですか。わたしが自分の父の家にいるのは当然であることを、ご存じなかったのですか。」
2:50 しかし両親には、イエスの語られたことばが理解できなかった。
2:51 それからイエスは一緒に下って行き、ナザレに帰って両親に仕えられた。母はこれらのことをみな、心に留めておいた。
2:52 イエスは神と人とにいつくしまれ、知恵が増し加わり、背たけも伸びていった。
<要約>
崇高と栄光の神があなたのお父さんとなる:
ここでイエス様は「自分は必ず自分の父の家にいる」と、お応えになりました。神を父と呼んだのです。神を自分の父と呼んだのはイエス様が初めてです。私たちの先祖の神、私たちの父たちの神と呼びましたが、神を父と呼ぶことは誰もありませんでした。そして、私たちクリスチャンも「天のお父様」とも親しく呼びかけます。しかし、私たちは、生まれながら罪によって、神に近づくこともみ前に立つこともできないのです。まして、「お父さん」と呼ぶことなど絶対にできません。そのように深い断絶があるにもかかわらず、神は近づこうとしてくださっています。そして、イエス様を通して、私たちは神と父子の関係に入れてくださったのです。どのようにしてでしょうか。神の御子イエスが、神と私たち人間を隔てている罪の仕切りを取り除いてくださったのです。それは、人の罪の裁きを身代わりとなって受けてくださったことによります。そのように、イエス・キリストが十字架であなたの罪を取り除いてくださったと信じるなら、神はあなたのお父さんなのです。
神を父としイエスを模範として歩む:
イエス様が、私たちに望んでおられることは、自分の力を尽くして、神と人を愛しなさいと言うことです。イエス様は、あなたと私のために十字架でご自身のいのちを捨て、私たちの罪の代価を身代わりとなって支払ってくださいました。そのことにより、神を父と呼ぶことができ、逆から言えば、神の子どもとされたのです。そして、天のあらゆる恵みと祝福をお与えくださったのです。こんなに大きな恵みと賜物を頂いたものとして、完全に父なる神にお従いになったイエス様を模範として生きるのです。イエス様の弟子になるということは苦しみを背負うことのように聞こえます。しかし、歴史を通して数えきれない人々が、キリストの弟子となり、信仰の故の苦しみを負ってもイエス様の後を歩き続けたのです。私たちクリスチャンもその弟子のひとりです。神の求めていることは、感謝と喜びの応答です。苦労は多いとしても、こんなに祝福された人生を与えてくださっている、また、どんな時もともにいてくださると約束しておられるインマヌエルの主です。主に感謝して喜んで、奉仕や礼拝出席、献金、隣人愛の実践に励むのです。そのことを主は大変お喜びになるのです。