百人隊長の信仰から学ぶ

2022年1月23日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ルカの福音書7章1~10節
【新改訳2017】
7:1 イエスは、耳を傾けている人々にこれらのことばをすべて話し終えると、カペナウムに入られた。
7:2 時に、ある百人隊長に重んじられていた一人のしもべが、病気で死にかけていた。
7:3 百人隊長はイエスのことを聞き、みもとにユダヤ人の長老たちを送って、自分のしもべを助けに来てくださいとお願いした。
7:4 イエスのもとに来たその人たちは、熱心にお願いして言った。「この人は、あなたにそうしていただく資格のある人です。
7:5 私たちの国民を愛し、私たちのために自ら会堂を建ててくれました。」
7:6 そこで、イエスは彼らと一緒に行かれた。ところが、百人隊長の家からあまり遠くないところまで来たとき、百人隊長は友人たちを使いに出して、イエスにこう伝えた。「主よ、わざわざ、ご足労くださるには及びません。あなた様を、私のような者の家の屋根の下にお入れする資格はありませんので。
7:7 ですから、私自身があなた様のもとに伺うのも、ふさわしいとは思いませんでした。ただ、おことばを下さい。そうして私のしもべを癒やしてください。
7:8 と申しますのは、私も権威の下に置かれている者だからです。私自身の下にも兵士たちがいて、その一人に『行け』と言えば行きますし、別の者に『来い』と言えば来ます。また、しもべに『これをしろ』と言えば、そのようにします。」
7:9 イエスはこれを聞いて驚き、振り向いて、ついて来ていた群衆に言われた。「あなたがたに言いますが、わたしはイスラエルのうちでも、これほどの信仰を見たことがありません。」
7:10 使いに送られた人たちが家に戻ると、そのしもべは良くなっていた。

<要約>

「みことばをください」とへりくだる信仰:

百人隊長は、結局のところ、イエス様を直接見ることなく、イエス様を信じました。現代の私たちクリスチャンも、イエス様をこの目で見ることなく信じています。そのように 彼は、その後、見ないで信じるすべての信者の初穂と言えるかもしれません。百人隊長は、自分のしもべの癒しのために、イエス様のおことばをいただきたいと言いました。かれは、イエス様の言葉を握って、信仰の通りになりました。神の言葉を全身全霊をもって信頼したのです。神のことばは力があり、無から有を作り出すのです。聖霊が、預言者や使徒や福音書記者らに働いて、聖書が書かれました。聖書全体は、誤りのない神のことばです。聖書は、イエス・キリストによる全人類の救いが書かれています。試練や困難に直面する私たちの人生ですが、この百人隊長のように、私たちにとって大切な神への日々の訴え、祈りがあります。それこそが、「みことばをください」ということではないでしょうか。みことばを求めへりくだる者に、神は近づいてくださいます。神のことばは生きています。日々、体験して歩んでいただきたいと願います。

神のみことばの権威と力を信じる信仰:

イエス様は「これほどの信仰を見たことがない」と言って、百人隊長の信仰を褒めました。イエス様は、「天地は消え去ります。しかし、わたしのことばは決して消え去ることがありません。」とおっしゃいました。隊長の権威に裏付けられた命令には兵士はその通り従うことを例に挙げて、権威に裏付けられた言葉には力があることを百人隊長は述べました。まして、病を癒し、人のいのちを保っておられる全能の神の権威による神の言葉があれば、しもべはいやされると信じたのです。神のみことばの権威は絶対です。イエス様のことばは、決して消えさらないとおっしゃいます。ですから、私たちは、百人隊長のように神のみことばの権威と力を信じ切って行きましょう。そして、百人隊長のように、神のみことばを常に待ち望むものでありたいと思います。死にかけていたしもべは百人隊長の信仰のとおりにいやされました。もし、あなたが信仰に生きるなら、後に、自分の人生を振り返るときにあなたの人生は信仰のとおりになっていることに気づくのです。