アブラハムの失敗

2017年10月 8日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>創世記12章10節~13章2節
12:10 さて、この地にはききんがあったので、アブラムはエジプトのほうにしばらく滞在するために、下って行った。この地のききんは激しかったからである。
12:11 彼はエジプトに近づき、そこに入ろうとするとき、妻のサライに言った。「聞いておくれ。あなたが見目麗しい女だということを私は知っている。
12:12 エジプト人は、あなたを見るようになると、この女は彼の妻だと言って、私を殺すが、あなたは生かしておくだろう。
12:13 どうか、私の妹だと言ってくれ。そうすれば、あなたのおかげで私にも良くしてくれ、あなたのおかげで私は生きのびるだろう。」
12:14 アブラムがエジプトに入って行くと、エジプト人は、その女が非常に美しいのを見た。
12:15 パロの高官たちが彼女を見て、パロに彼女を推賞したので、彼女はパロの宮廷に召し入れられた。
12:16 パロは彼女のために、アブラムによくしてやり、それでアブラムは羊の群れ、牛の群れ、ろば、それに男女の奴隷、雌ろば、らくだを所有するようになった。
12:17 しかし、【主】はアブラムの妻サライのことで、パロと、その家をひどい災害で痛めつけた。
12:18 そこでパロはアブラムを呼び寄せて言った。「あなたは私にいったい何ということをしたのか。なぜ彼女があなたの妻であることを、告げなかったのか。
12:19 なぜ彼女があなたの妹だと言ったのか。だから、私は彼女を私の妻として召し入れていた。しかし、さあ今、あなたの妻を連れて行きなさい。」
12:20 パロはアブラムについて部下に命じた。彼らは彼を、彼の妻と、彼のすべての所有物とともに送り出した。
13:1 それで、アブラムは、エジプトを出て、ネゲブに上った。彼と、妻のサライと、すべての所有物と、ロトもいっしょであった。
13:2 アブラムは家畜と銀と金とに非常に富んでいた。

<要約>

アブラハムを失敗へと招いたこと:

アブラハムは、妻サライが非常に美しいので、エジプト人はサライを自分のものとしようとして、夫のアブラハムを殺害するのではないかと恐れました。そこで、サライには、アブラハムの妹であると言ってくれと頼みました。そうすれば、自分のいのちは守られて、かえって妹のゆえに自分は利益を受けるだろうと考えました。アブラハムはその嘘のためにパロから多くの財をもらうことになったのです。アブラハムが妻サライを妹と嘘をついて、失敗へ招いた原因は、恐れと富みの誘惑です。悪魔は彼を恐れと富の誘惑で失脚させようとしたのです。アブラハムほどの人が、なぜ、失敗したのでしょうか。それは、まず、神に祈らなかった、神に伺わなかったからと言えます。クリスチャンはどんなときにも祈るべきです。そして、み心を求めて聖書を紐解くのです。聖霊は聖書の言葉を用いて、信じる者に語ってくださいます。クリスチャンには三つの敵があります。一つは、サタンと言われる悪魔です。あなたを神から引き離そうと知恵を働かせています。二つ目は、この世です。世は、神への尊敬を持ちません。世の本質は不遜です。三つめは、あなたや私の内側にある罪の性質です。神の利益より自分の利益を大切にします。神に栄光を帰すのではなく、自分に栄光を与えようとします。私たちは常にこの三つの敵を意識しながら信仰の戦いをしていかなければなりません。

人の失敗と神の約束:

サラを召し入れたパロとその家族は主によって、ひどい災害に痛めつけられました。それは別訳では疫病です。その罪を離れて、パロは神の裁きを免れました。神がアブラハムの嘘がもたらした悲惨で恐ろしい結果をあわれみによって免れさせてくださったのです。アブラハムは、このままでは神の祝福を完全に失います。当然、アブラハムとサラの夫婦関係も破壊されるでしょう。そして、アブラハムは自分の妻を娼婦にまで落として、自分の利をむさぼるような人間にまで落とされてしまうのです。聖書は人間をありのままに描いています。神はアブラハムを選び、彼に祝福の約束を与えられました。また、神はアブラハムの名を「多くの国民の父」とまで高めてくださいました。その様な人間がこれほどまでの失敗を犯してしまうのです。アブラハムの失敗にかかわらず、神はご自身の約束を守られました。彼の失敗を逆に用いて、もう一度アブラハムをカナンの地に戻されたのです。神はご自身の計画を着実に推進される方であることがわかります。神は哀れみの神です。それでも、神は正しい方ですから、不正を見逃すことができません。ですから罪のもたらす裁きである呪いと死はあるのです。しかし、神は罪のために滅んでいく人を惜しまれて、罪のない神のひとり子に人の罪を負わせて代わりに御子を十字架で裁き、信じる者の罪を赦し、呪いを祝福に、死を永遠のいのちに代えてくださったのです。アブラハムは信仰によって義とされたとあります。義というのは罪がない状態です。アブラハムは失敗し罪を犯しましたが、義とされた、罪を認めないとされたのです。それは、神を信じる信仰によったのです。私たちも信仰によって、義とされています。失敗や罪があっても悔い改めて赦されるのです。

罪から救い、出エジプト:

旧約聖書の事件や記事の多くは、来るべきイエス・キリストを予表しています。例えば、ヨナ記の記事で、ヨナが大魚の腹の中で三日間いたのは、キリストがよみに三日間おられて復活したことを予表しています。イスラエルの民が航海を渡ったのは水のバプテスマを予表しています。アブラハムがモリヤの山で、イサクは死者の中から取り戻されました。これはキリストが死者の中から復活した型です。このように、旧約聖書はいたるところでやがて来られるキリストを予め示しています。また、旧約聖書の様々な事件や記事がその後のイスラエルの民の辿ろうとしている道を予表しています。今日のこの事件も今後のイスラエルの民が辿ろうとしている道を暗示しています。すなわち、この後、数百年後にイスラエルの民に起こる出エジプト事件です。孫のヤコブの時代に七年に及ぶ大飢饉が起こりました。その時、ヤコブとその家族は男だけで70人の大家族となっていました。ヤコブは彼らを連れてエジプトで寄留生活をすることになったのです。そして、それが民にとっては約400年にわたる奴隷生活の始まりとなったのです。時至って、ついに、モーセ率いるイスラエルの民はエジプトを脱出して約束のカナンの地に向かうのでした。この歴史的事件は、出エジプトと呼ばれるものです。そして、この出エジプトは罪と死と悪魔の束縛により奴隷とされている人類、そしてあなたを神が救出することを示しています。そして、あなたを約束と祝福の地、あるいは天のみ国へ導くための神のわざを予め示しているのです。出エジプトは、あなたが神の救いにあずかることを意味しています。アブラハムは失敗し、つまずきましたが、神の哀れみにより、約束の地、カナンへ戻されました。アブラハムには信仰があったからです。これは、あなたの人生へのメッセージでもあります。あなたも様々な人生の失敗やつまずきも経験して今があると思います。そのたびに主はあなたに対する約束を果たされ、罪と死と悪魔からこの救いに戻してくださっているのです。そこで求められているのは信仰です。