2021年7月11日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>Ⅰコリント1章1~14節
2:1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
2:10 それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。
2:11 人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12 しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。
2:13 それについて語るのに、私たちは人間の知恵によって教えられたことばではなく、御霊に教えられたことばを用います。その御霊のことばによって御霊のことを説明するのです。
2:14 生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れません。それらはその人には愚かなことであり、理解することができないのです。御霊に属することは御霊によって判断するものだからです。
<要約>
人間の知恵に頼る生き方:
最初の人アダムの罪によって、死が入り、そしてすべての人が罪を犯したので、私たちは罪人です。生まれたばかりの赤ちゃんでも、神の知恵で養われない限り、そのままでは、やがて神を認めない人生を歩んでいきます。それが、全ての人が持つ原罪です。このように、私たち人間は、信仰によって生まれ変わらない限り、神に属することを理解できません。受け入れません。そして、神があなたを愛していると、言われるのに、あなたがそっぽを向いているなら、それは、あなたが神に敵対して歩んでいると言えます。イエス・キリストがあなたのために十字架で苦難を負って死んでくださった、というのに、そんなのわたしに関係ない、とあなたが言うならば、それは、あなたは十字架に敵対して歩んでいると言えます。神が、人を愛し、御子キリストを人として世に送り、彼を人の罪の身代わりとして十字架で断罪しました。そして、そのことを信じる者は罪赦され救われる、というのが十字架のメッセージです。もし、あなたが人間の智恵にとどまり続けるならば、それは、神に敵対して歩み続けるということです。ですから私たちは、罪を悔い改めて、神を仰がなければなりません。
神の知恵に生きる人生:
この知恵は目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に浮かんだことがないものでした。すなわち、決して人間には見たり聞いたりすることが出来ないもの、心で想像することさえできないもの、私たち人間の理性や思考を超えた素晴らしいものを神は用意してくださったのです。それは、神の下さった救いです。キリストはその十字架と復活により、罪を取り除き、罪の結果である死を滅ぼし、永遠のいのちをお与えくださいます。それが福音です。ですから、私たちは神の知恵に耳を傾けることが必要です。人間がおごり高ぶった自分の知恵では、神に近づくことができない、神を見出すことができない、ようにされたのです。本当にへりくだって、自分を神の下に置くことができる人でしか神を見出すことができないのです。神は自分を隠される神なのです。神の知恵に生きる人生をどのようにしたら自分のものにできるでしょうか。それは、「思いを変える」ことです。自分の知識に立つのをやめて、神のみことばに立つのです。そこに本来の人としての祝福の人生があるのです。