2017年12月 31日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>ルカの福音書2章21~38節
2:21 八日が満ちて幼子に割礼を施す日となり、幼子はイエスという名で呼ばれることになった。胎内に宿る前に御使いがつけた名である。
2:22 さて、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子を主にささげるために、エルサレムへ連れて行った。
2:23 ──それは、主の律法に「母の胎を開く男子の初子は、すべて、主に聖別された者、と呼ばれなければならない」と書いてあるとおりであった──
2:24 また、主の律法に「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定められたところに従って犠牲をささげるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。
2:26 また、主のキリストを見るまでは、決して死なないと、聖霊のお告げを受けていた。
2:27 彼が御霊に感じて宮に入ると、幼子イエスを連れた両親が、その子のために律法の慣習を守るために、入って来た。
2:28 すると、シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、あなたのしもべを、みことばどおり、安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 御救いはあなたが万民の前に備えられたもので、
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です。」
2:33 父と母は、幼子についていろいろ語られる事に驚いた。
2:34 また、シメオンは両親を祝福し、母マリヤに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。
2:35 剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」
2:36 また、アセル族のパヌエルの娘で女預言者のアンナという人がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代のあと七年間、夫とともに住み、
2:37 その後やもめになり、八十四歳になっていた。そして宮を離れず、夜も昼も、断食と祈りをもって神に仕えていた。
2:38 ちょうどこのとき、彼女もそこにいて、神に感謝をささげ、そして、エルサレムの贖いを待ち望んでいるすべての人々に、この幼子のことを語った。
<要約>
救うために人となったイエス:
マリヤもヨセフもイエス様を特別な方法で生まれた特別な人として扱うことをせず、一般の貧しい家庭に生まれた長男として育てました。イエス様は神の御子で罪のないお方なのに、ユダヤ人の普通の長男として律法の定めに従いました。律法をお定めになった神が律法の下にあるものと自らなられたのです。イエス様は、私たちの代わりに、その律法の要求をすべて満たしてくださいました。その生涯において一度も罪を犯したことが無かったのです。あるお父さんが、朝、息子に自分は出かけて夕方に帰ってくるので、それまでに、薪を割っておくように、と命じて出かけていきました。腕が細く、力のない息子は「困ったな。まきを割るための斧を振り上げることもできない。どうしよう。」そうしているうちにお昼が過ぎ、日が傾いてきました。「もう時間がない。お父さんに叱られる。」そうしたら、お兄さんがやってきました。困っている弟を見て、その手から斧を取ってまきを割り始めました。そして、あっという間に薪を割って整えてくれたのです。お父さんは帰って来て、仕事が終わっているのを見て満足しました。同様に、イエス様は私たちが満たすことのできない律法の要求を私たちに代わって、また、人類の代表とし成し遂げてくださったのです。代わりに薪を割った兄ゆえに弟を叱ることがなかった父親のように、神はキリストのゆえに、信じるものを裁くことができないのです。罪に定める律法はその力を失ったとも言えます。そしてまた、イエス様は律法による罪の裁きをあなたの代わりに自ら進んで受けてくださいました。それが十字架刑です。イエス様の身代わりの十字架がなければ、誰一人、罪の裁きである永遠の滅びと死を免れることはできません。人を罪と死の滅びから救うために神が人となって来てくださった。それがイエス・キリストです。
心を刺し貫かれても救う神:
シメオンの預言の前半は、キリストの使命についての預言です。後半はキリストの生涯についての預言です。最初に、前半のキリストの使命についての預言を見ましょう。「御救いは、万民に備えられたもの」キリストはイスラエル民族ばかりでなくすべての人の救いであるということです。キリストは啓示の光、光栄というのです。救い主は暗闇の中に、光として来てくださいました。イエス様の使命は、罪にとらえられて死の陰に座っている人々に光となり、救いとなることです。次に、後半のキリストの使命についての預言です。シメオンは両親を祝福し、そして、マリヤへ言葉を向けます。彼は謎のような言葉を彼女に与えます。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。剣があなたの心さえも刺し貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」ローマ書には、イエス・キリストはつまずきの石となり、イスラエルの多くの人はつまずいて倒れるとあります。すなわち、民は主イエスを神の御子、救い主とは認めることができずに、反って、十字架にかけて殺してしまいました。主イエスを信じることができずに、倒れて砕かれてしまったということです。また、それとは逆に、キリストに信頼するものは失望させられないとあるように、立ち上がる人々も起こるのです。キリストが反対を受けるしるしとなることは、この後のローマ帝国による迫害の歴史においても起きました。しかし、そのような世の迫害にもかかわらず、立ち上がる人々は消えることがなかったのです。次に、「剣があなたの心さえも貫くでしょう。それは多くの人の心の思いが表われるためです」についてみます。マリヤにとっては、剣で心臓を突き刺されるような思いであったでしょう。そこにキリストの受難の生涯があります。また、この「剣があなたの心さえも貫くでしょう」のことばには、もう一つの意味が隠されています。それは、イエス様は見せかけではない真の平和をもたらすために剣を持って来たとおっしゃられるからです。神から離れた人間が安住しているのは、実は偽の平和であることをイエス様は指摘しました。真の平和は神との和解からくると言えます。神との平和がなければ、個人的にも、民族的にも、国家的にも平和はありません。イエス様は、あなたが神と和解し、神との平和に生きるために来られました。「多くの人が倒れ、また、立ち上がるために定められ、また、反対を受けるしるしとして定められています。それは多くの人の心の思いが現れるためです。」多くの人々の思いが判別されることです。イエス様に対する態度によってその人の立場が明らかにされます。中立はないのです。キリストの十字架を見てどのように反応するかが求められています。神は、すべての人をイエス・キリストによって、二つに分けられるのです。歴史はイエス・キリストにより、紀元前と紀元後に分けられています。人間も分けられるのです。羊飼いが羊とヤギを分けるように、すべての国民を分けると書いています。「剣があなたの心を刺し貫く」というのは、やがて経験するマリヤの心の苦しみを言っています。かたや、イエス・キリストはやがて十字架上で文字通り兵士によって、槍で胸を刺し貫かれました。同時にこの「剣が心を刺し貫く」というのは、御子イエスに対する父なる神の御苦しみでもあります。人が、そしてあなたが、自らの罪のために滅んでしまうのを惜しまれて、御子を身代わりの死に追いやった父の痛みです。神は、ご自身のいのちをかけてあなたを救おうとされているのですから、あなたの応答を求めています。あなたが御救いをあなたのものにするのかしないのか、決断を求めています。
祝福された高齢者の生き方:
もう一人の老人が登場します。アンナという女性です。彼女は7年間の結婚生活の後、やもめになり、その後独身生活を守り、84歳になっていました。この世的には、幸せな人生とは言えませんが、心は満たされていました。それは、救い主を待ち望んでいたからです。宮を離れず昼も夜も断食をして祈っていたというのです。
ここにも祝福された高齢者の生き方があると思います。それは、キリストを待ち望むということと、教会を離れない、祈りの生活を守るということです。