驚くべき力あるわざ

2024年7月28日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
目に見える聖霊の働き:

現代は、パウロの時代のような奇跡は見ないかもしれませんが、奇跡は常に起こっています。人が悔い改めてイエス様を信じるということは最大の奇跡です。なぜ、私が選ばれ救われたのだろうか?なぜ、あなたが選ばれ救われたのだろうか?不思議ではないですか。目に見える聖霊の働き、と題してお話ししています。祈って、手を置いたらすぐに病気が治り、悪霊も出ていくような肉眼で見える聖霊の働きは今の時代、耳にすることは少ないです。しかし、主は御心のままにそのようなわざを見せてくださいます。聖霊は、そしてイエス様は、生きて働かれています。ここに、クリスチャンになって間もない人も、長い人もおられます。皆さんが、過去を振り返って、今までの歩みを思い浮かべるとそこに聖霊が、あるいはイエス様があなたを助けておられたことが分かるのです。心の目を開いてみると必ず、あなたと共におられた主を見出すのです。必ずそこに主はおられ、あなたを守り導いてこられたことに気づきます。そうして、私たちは、主が守り導いておられることを信仰によって確信して強められるのです。

勢いをもって世界に届く福音:

人々に神への恐れに引き続き、悔い改めが起こりました。私たちも古い人がまだ、死に切れていないので、罪を犯します。しかし、その都度、悔い改めて、また、聖餐の恵みを受け、古い人を十字架で殺し、新しい人に生きるのです。罪に支配されません。なぜなら、イエス様があなたの過去現在未来までの罪をすべて赦しぬぐい取ってくださったからです。罪赦された私たちクリスチャンは、新しいいのちに生きるのです。それは、決してしぼむことのない、永遠のいのち、失敗を恐れない前向きの人生があるからです。勢いをもって世界に届く福音と題してお話ししています。現在、地球の裏側にまで、福音は届いています。神の方法は、人から人へと届けるということです。教会を通してみことばを聞き、信じてバプテスマを受けて救われました。私たちは、家族の中で、地域の中で、なぜ、最初に救われたのでしょうか。そうです。それは、あなたが、バプテスマによって新しい人として生きる生き方を通してあなたの家族や知人に福音が届き、家族知人がバプテスマにあずかり、希望と祝福に生きるためです。それこそが驚くべき神のわざです。

<聖書>使徒の働き19章8~20節
【新改訳2017】
19:8 パウロは会堂に入って、三か月の間大胆に語り、神の国について論じて、人々を説得しようと努めた。
19:9 しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日ティラノの講堂で論じた。
19:10 これが二年続いたので、アジアに住む人々はみな、ユダヤ人もギリシア人も主のことばを聞いた。
19:11 神はパウロの手によって、驚くべき力あるわざを行われた。
19:12 彼が身に着けていた手ぬぐいや前掛けを、持って行って病人たちに当てると、病気が去り、悪霊も出て行くほどであった。
19:13 ところが、ユダヤ人の巡回祈祷師のうちの何人かが、悪霊につかれている人たちに向かって、試しに主イエスの名を唱え、「パウロの宣べ伝えているイエスによって、おまえたちに命じる」と言ってみた。
19:14 このようなことをしていたのは、ユダヤ人の祭司長スケワという人の七人の息子たちであった。
19:15 すると、悪霊が彼らに答えた。「イエスのことは知っているし、パウロのこともよく知っている。しかし、おまえたちは何者だ。」
19:16 そして、悪霊につかれている人が彼らに飛びかかり、皆を押さえつけ、打ち負かしたので、彼らは裸にされ、傷を負ってその家から逃げ出した。
19:17 このことが、エペソに住むユダヤ人とギリシア人のすべてに知れ渡ったので、みな恐れを抱き、主イエスの名をあがめるようになった。
19:18 そして、信仰に入った人たちが大勢やって来て、自分たちのしていた行為を告白し、明らかにした。
19:19 また魔術を行っていた者たちが多数、その書物を持って来て、皆の前で焼き捨てた。その値段を合計すると、銀貨五万枚になった。
19:20 こうして、主のことばは力強く広まり、勢いを得ていった。


全世界に届く聖霊の働き

2024年7月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
人間の思いをはるかに超える神のご計画

私たちがこの道だと思っても主によって閉ざされることがあります。私たち人間が立てる計画と神の思いと違っている事がよくあります。自由に働かれる聖霊が行くべき道を示してくださいます。まず、第一に神は志を与えてくださるというのです。一歩あゆみだすために目の前のことを示されるのです。その際、神はみ心の全貌を前もって示されないことがあります。なぜでしょうか。それは、私たちが神を信頼して歩むようにさせるためです。私たちは信仰のチャレンジを与えられます。次がわからない、でも目の前の一歩は示されているということです。それは、あなたが、信仰によって歩みだすことを願っておられるからです。みこころに従う道は、その時は苦労が多いと感じます。そこに至るまで、私たちは一歩一歩この地上の人生を歩んでいきます。そのときに、みことばが灯台のように、私の道の光として導いてくださいます。その都度、神を信頼して神の約束を握って進んでいくのです。勝利のゴールは約束されています。

福音はあなた、家族、地域社会へと届く:

リディアは、現代に生きる信徒の模範と言えます。まず、彼女は、神の国と神の義を第一としていました。祈り場にいつも出ていたのです。主日礼拝を第一としていたのです。また、神の賜物であるビジネスを神の栄光のために、宣教のために用いました。リディアは金持ちでしたが、お金がなくても私たちは与えられた賜物を主のために用いることができます。また、リディアは他の信徒と協力して教会を建てあげました。神は、パウロを用いて、ピリピの人々に福音を届けました。そして、その福音は信者を通して、家族や職場の人々へ、さらに地域社会へと広がっていったのです。神は、人を用いてこの素晴らしい福音を届けておられます。ですから、使徒の働きは28章で終わりではなく、今も続いているのです。神は、キリストの十字架と復活通して、死と滅びの人生から、新しいいのち、決して滅びない永遠のいのちの人生へとすべての人を招いています。リディアとその家族がバプテスマを受けたと書いています。リディアが最初に信じて、家族に伝えたからです。そこから、神は、あなたの家族を救うためにまず、あなたを選んだといえます。あなたが救われ、家族が救われ、地域社会が救われていく、そして、全世界に救いが届けられていくのが神の方法と言えます。

<聖書>使徒の働き16章6~15節

【新改訳2017】
16:6 それから彼らは、アジアでみことばを語ることを聖霊によって禁じられたので、フリュギア・ガラテヤの地方を通って行った。
16:7 こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。
16:8 それでミシアを通って、トロアスに下った。
16:9 その夜、パウロは幻を見た。一人のマケドニア人が立って、「マケドニアに渡って来て、私たちを助けてください」と懇願するのであった。
16:10 パウロがこの幻を見たとき、私たちはただちにマケドニアに渡ることにした。彼らに福音を宣べ伝えるために、神が私たちを召しておられるのだと確信したからである。
16:11 私たちはトロアスから船出して、サモトラケに直航し、翌日ネアポリスに着いた。
16:12 そこからピリピに行った。この町はマケドニアのこの地方の主要な町で、植民都市であった。私たちはこの町に数日滞在した。
16:13 そして安息日に、私たちは町の門の外に出て、祈り場があると思われた川岸に行き、そこに腰を下ろして、集まって来た女たちに話をした。
16:14 リディアという名の女の人が聞いていた。ティアティラ市の紫布の商人で、神を敬う人であった。主は彼女の心を開いて、パウロの語ることに心を留めるようにされた。
16:15 そして、彼女とその家族の者たちがバプテスマを受けたとき、彼女は「私が主を信じる者だとお思いでしたら、私の家に来てお泊まりください」と懇願し、無理やり私たちにそうさせた。

隠された神の知恵

2024年7月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

人間の知恵に頼る生き方:

人間の知恵に頼る生き方は、死ねば終わりと言う生き方です。この世にいる間だけがいのちであると考えます。死んで自分の存在が無くなれば、すなわち自分が意識できない世界は否定します。他の動植物の死を見て、死ねば無に帰すと想像しています。しかし、それで納得できないのが、人間です。人間には実存の悩みがあります。難しい言葉ですが、簡単に言えば、なぜ、自分は生きているのだろうか?自分がこの世に生きている意味は何だろうか?人間は意味を問う動物です。他の動物は本能、あるいは、決められたプログラムの中でしか生きません。霊がありません。しかし、人間は鼻から神の霊を吹き込まれて生まれました。神に似せて創られました。ですから、永遠を意識します。正義を愛し、不正を憎みます。文明文化をつくりだします。そして、無数の宗教が生まれました。真の神を求めているからです。そこに人間は霊的存在者であることが分かります。人生は死んで終わりではありません。死後すべての人は罪の裁きを受けなければなりません。罪の報酬は死とあるように、神の怒りは罪に対して燃え上がり、罪人は永遠の滅び、容赦のない裁きに会うのです。人間の知恵は人生に希望を与えない。

神の知恵に生きる希望の人生:

神の知恵は、聖書の中に掲示されています。神の知恵はイエス・キリストによる十字架と復活と言う神の行為によって明らかにしてくださいました。神の知恵は、御霊によってしかわきまえることはできません。私たち信者は、信じてバプテスマを受け聖霊をいただきました。聖霊がすべてのことを明らかにしてくださるのです。聖霊は、イエス様の十字架と復活により私たちを新しいいのちに生かしてくださいます。神は、イエス様の十字架により、あなたの過去、現在、未来までの全ての罪を既に赦してくださいました。それは、古い自分がイエス様と一緒に十字架で既に死んだ、ということです。そして、イエス様は復活しました。イエス様と一緒に十字架で死んだ私たちは、新しいいのちに生きる者となったのです。それは、神を愛し、人を愛する生き方です。失敗を恐れず、前向きに、喜んで神のみこころを選んでいく人生です。感謝と喜びと希望の人生です。永遠のいのちに生きる言葉で言いつくせない素晴らしい人生です。それがクリスチャンライフです。

<聖書>Ⅰコリント2章1~12節
【新改訳2017】
2:1 兄弟たち。私があなたがたのところに行ったとき、私は、すぐれたことばや知恵を用いて神の奥義を宣べ伝えることはしませんでした。
2:2 なぜなら私は、あなたがたの間で、イエス・キリスト、しかも十字架につけられたキリストのほかには、何も知るまいと決心していたからです。
2:3 あなたがたのところに行ったときの私は、弱く、恐れおののいていました。
2:4 そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものではなく、御霊と御力の現れによるものでした。
2:5 それは、あなたがたの信仰が、人間の知恵によらず、神の力によるものとなるためだったのです。
2:6 しかし私たちは、成熟した人たちの間では知恵を語ります。この知恵は、この世の知恵でも、この世の過ぎ去って行く支配者たちの知恵でもありません。
2:7 私たちは、奥義のうちにある、隠された神の知恵を語るのであって、その知恵は、神が私たちの栄光のために、世界の始まる前から定めておられたものです。
2:8 この知恵を、この世の支配者たちは、だれ一人知りませんでした。もし知っていたら、栄光の主を十字架につけはしなかったでしょう。
2:9 しかし、このことは、「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、人の心に思い浮かんだことがないものを、神は、神を愛する者たちに備えてくださった」と書いてあるとおりでした。
2:10 それを、神は私たちに御霊によって啓示してくださいました。御霊はすべてのことを、神の深みさえも探られるからです。
2:11 人間のことは、その人のうちにある人間の霊のほかに、いったいだれが知っているでしょう。同じように、神のことは、神の霊のほかにはだれも知りません。
2:12 しかし私たちは、この世の霊を受けたのではなく、神からの霊を受けました。それで私たちは、神が私たちに恵みとして与えてくださったものを知るのです。