2024年6月16日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
ヨハネは、イスラエルがイエス様をお迎えするための道備えをした人物です。荒野で叫ぶ者の声として登場し、ヨルダン川で人々に悔い改めのバプテスマを授けていました。ヨハネはイエス・キリストに会って、そのとき確信を持って言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」と。しかし、ヨハネほどの人物が、イエス様のことを「おいでになるはずのお方はあなたですか。」と言って確信を失ったのです。「誰も私につまずかないものは幸いです」とイエス様はおっしゃいました。信仰や人生に疑念を持つとき、と題してお話ししています。ヨハネほどの人物も周囲の状況が開けず、自分が思い描いた通り進んでいかないのを見て、自分の信仰を疑ったり、確信が揺らいだりしました。また、自分がこれまで信じて歩んできた人生に疑問を抱きました。私たちも同じように、迷いやすい人間です。しかし、そのようなときに、イエス様から離れるのではなく、イエス様のところへ行き自分の悩みや疑問を申し上げるのが大切です。具体的には、聖書を調べ、牧師に疑問点を聞くことです。決して教会から離れないようにしましょう。
人間の考えに勝る神の最善:
ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けました。悔い改めて、神に立ち返りなさいというものでした。ですからヨハネは罪を鋭く指摘しました。ところが、イエス様は罪に苦しむ者に赦しを与え、罪からくるとされていた様々な障害や死からも解放を与えました。ヨハネは正義の執行、悪に対する裁きを期待していましたが、イエス様がなさっていたことは、まず、病からの癒し、障害からの解放、最後の敵である死からの解放でした。私たち信者は周りで起こる様々な事象について、明白な回答を得ることは難しいと言えるでしょう。すべてのことは、神の主権の下で起こっています。天変地異も災害も神のみ許しの下で起こっています。しかし、神の私たちにお示しになった神の愛は、 歴史の中ではっきりと示されました。それは十字架です。神は、あなたをご自身の命にかけて、あるいはご自身の命を捨てても惜しくないほどにあなたを愛しておられます。そのような神の愛を信じる時に、神に対する絶対的な信頼が生まれてきます。神はあなたを最善の人生に導かれます。あなたに最善の人生を用意してくださるのです。 それは永遠の神のご計画の中に仕組まれた確かな事です。
<聖書>マタイの福音書11章2~11節
11:2 さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて
11:3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
11:4 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
11:6 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
11:7 この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
11:8 そうでなければ、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。柔らかな衣を着た人なら王の宮殿にいます。
11:9 そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。
11:10 この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。
11:11 まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。