みことばは止められない

2026年6月30日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

最悪の中に神のご計画がある:

ヘロデ・アグリッパはユダヤ全土を統括する王でした。彼の策略によっても、神のみ言葉を止める事はできませんでした。歴史を通して、聖書は消失することはありませんでした。逆に、聖書はあらゆる言語に翻訳されて、今も全世界に広がり続けています。ここに神の勝利があります。人間、そして、悪魔のいかなる策略に対しても聖書の言葉、神のみ言葉は決して止めることはできないのです。苦しみの中にもみ言葉は流れています。神のみことばは止めることのできません。この時から二千年たって、今、福音のみことばが私たちのところに届きました。このことは歴史が証明しています。福音宣教が全世界に拡大していることは誰も覆すことのできない事実です。最悪の中に神のご計画があるのです。私たちの人生を振り返った時に、最悪と思われるようなこともあったでしょう。最悪とまでいかなくてもマイナスであったと思われることもあったでしょう。しかし、その時、神のご計画があるということを知ることが大切です。私たちの姿勢は、神を愛し、神を恐れ、神に信頼することです。神は困難の内に働くからです。

信仰によりみことばを受けとる:

聖書の中心メッセージは、神はキリストを通してあなたを救うということです。それが福音です。あなたを罪と死と悪魔からお救いになるということです。ペテロもヤコブも他の聖徒たちも、ともに神から祝福された人生を歩みました。私たちも、信仰によって等しく神から祝福された神の子ども、天の国民、御国の世継ぎなのです。神がしてくださることへの応答は何でしょうか。それは、神が無代価で差し出してくださる、救い、恵み、ビジョンを何も持たない空の手で受け取ることです。みことばをいただき、信仰をもって一歩歩みだすならば、信仰の通り主は導いてくださいます。聖書のみ言葉に従って生きるなら、神の祝福はあなたのものです。あなた個人ばかりではありません。あなたの家族、そしてあなたの周りに神の祝福は届いていきます。私たちは人生で苦しいこと困難なことに出合います。そんな時にも、祈りを忘れず、神に信頼し、み言葉を握っていきましょう。具体的には、毎日聖書を読みましょう。毎日祈りましょう。祈りによって一日を始めるのです。みことばによって示されたなら、信じて従いましょう。神は祈りを聞いてくださいます。神は祈った以上の事を成してくださいます。

<聖書>使徒の働き12章1~17節
新改訳2017
12:1 そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人たちを苦しめようとしてその手を伸ばし、
12:2 ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。
12:3 それがユダヤ人に喜ばれたのを見て、さらにペテロも捕らえにかかった。それは、種なしパンの祭りの時期であった。
12:4 ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。過越の祭りの後に、彼を民衆の前に引き出すつもりでいたのである。
12:5 こうしてペテロは牢に閉じ込められていたが、教会は彼のために、熱心な祈りを神にささげていた。
12:6 ヘロデが彼を引き出そうとしていた日の前夜、ペテロは二本の鎖につながれて、二人の兵士の間で眠っていた。戸口では番兵たちが牢を監視していた。
12:7 すると見よ。主の使いがそばに立ち、牢の中を光が照らした。御使いはペテロの脇腹を突いて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい」と言った。すると、鎖が彼の手から外れ落ちた。
12:8 御使いは彼に言った。「帯を締めて、履き物をはきなさい。」ペテロがそのとおりにすると、御使いはまた言った。「上着を着て、私について来なさい。」
12:9 そこでペテロは外に出て、御使いについて行った。彼には御使いがしていることが現実とは思えず、幻を見ているのだと思っていた。
12:10 彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。彼らは外に出て、一つの通りを進んで行った。すると、すぐに御使いは彼から離れた。
12:11 そのとき、ペテロは我に返って言った。「今、本当のことが分かった。主が御使いを遣わして、ヘロデの手から、またユダヤの民のすべてのもくろみから、私を救い出してくださったのだ。」
12:12 それが分かったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリアの家に行った。そこには多くの人々が集まって、祈っていた。
12:13 彼が門の戸をたたくと、ロデという名の召使いが応対に出て来た。
12:14 そして、ペテロの声だと分かると、喜びのあまり門を開けもせずに奥に駆け込み、ペテロが門の前に立っていることを知らせた。
12:15 人々は彼女に「あなたは気が変になっている」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。それで彼らは「それはペテロの御使いだ」と言った。
12:16 だが、ペテロは門をたたき続けていた。彼らが開けると、そこにペテロがいたので非常に驚いた。
12:17 ペテロは静かにするように手で彼らを制してから、主がどのようにして自分を牢から救い出してくださったかを彼らに説明し、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言った。そして、そこを出て、ほかの場所へ行った。

パウロの回心

2024年6月23日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

神に敵対する人生:

パウロは、神を愛するということを自らの行いで追求しました。神の御心である律法(十戒)を守り行う事で、神の前で自らの義を立てようとしました。すなわち、行いで自身が正しい人間であることを立証しようしました。善行に励むことは良いのですが、それを自分の手柄にしていたのです。自己満足、自慢のための律法(十戒)となったのです。そして、ついにはキリストを迫害することを良しとするまでになりました。それは神に敵対する人生でした。神は、打ち砕かれた悔いた心を尊ばれます。私たちは謙遜にへりくだり律法(十戒)に向かわなければなりません。私たちは愛と信仰によって神を求めなければなりません。律法(十戒)は鏡のようにあなたに罪を示します。私たちは、打ち砕かれ、へりくだり、罪を認めるのです。そこで初めて、キリストの十字架による罪の赦しが分かるのです。赦された者は律法(十戒)の責めを負うことはなくなりました。赦された者には、律法(十戒)は慕わしい神の命令となり、感謝のささげものとなるのです。

神を愛する喜びの人生:

パウロと同じように、クリスチャンは、神から特別に選ばれた者たちです。そして、神から使命が与えられています。それが、イエス様を運ぶ器であるということです。大きな器も小さな器もあるでしょう。しかし、すべての信者は器なのです。土の器だけれども、イエス様を運んでいるのです。すなわちイエス様を届ける使命があるということです。イエス様の救いをまだ信じていない人々に伝えるということです。家族、知人に伝えるということです。イエス様の素晴らしい救いです。神のいのちです。他のどのような宝も比べ物にならない祝福です。パウロの苦しみは、宣教に伴う苦しみと言えます。私たちはパウロほどの苦しみに会うことは少ないと思いますが、反対されたりけなされたりすることはよくあります。それでも恐れることはないのです。パウロは苦しみましたが、また、喜んだ人でした。ピリピ人への手紙を読むと獄中から、喜びの手紙と言われるくらい喜びという言葉がたくさん出てきます。本当にパウロは喜びにあふれた人であったのでこれはイエス様を信じる者たちに与えられる特権です。苦しいこともあるがそれ以上に喜びに満ちた人生であるということです。是非、この喜びの人生を自分のものとしていただきたいと思います。

<聖書>使徒の働き9章1~20節
【新改訳2017】
9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
9:2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
9:3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
9:5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
9:8 サウロは地面から立ち上がった。しかし、 目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。
9:9 彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。
9:10 さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。
9:11 すると、主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。
9:12 彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」
9:13 しかし、アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
9:14 彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」
9:15 しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。
9:16 彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」
9:17 そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
9:18 するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、
9:19 食事をして元気になった。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、
9:20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。

神のご計画と最善の人生

2024年6月16日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

信仰や人生に疑念を持つとき

ヨハネは、イスラエルがイエス様をお迎えするための道備えをした人物です。荒野で叫ぶ者の声として登場し、ヨルダン川で人々に悔い改めのバプテスマを授けていました。ヨハネはイエス・キリストに会って、そのとき確信を持って言いました。「見よ。世の罪を取り除く神の子羊」と。しかし、ヨハネほどの人物が、イエス様のことを「おいでになるはずのお方はあなたですか。」と言って確信を失ったのです。「誰も私につまずかないものは幸いです」とイエス様はおっしゃいました。信仰や人生に疑念を持つとき、と題してお話ししています。ヨハネほどの人物も周囲の状況が開けず、自分が思い描いた通り進んでいかないのを見て、自分の信仰を疑ったり、確信が揺らいだりしました。また、自分がこれまで信じて歩んできた人生に疑問を抱きました。私たちも同じように、迷いやすい人間です。しかし、そのようなときに、イエス様から離れるのではなく、イエス様のところへ行き自分の悩みや疑問を申し上げるのが大切です。具体的には、聖書を調べ、牧師に疑問点を聞くことです。決して教会から離れないようにしましょう。

人間の考えに勝る神の最善:

ヨハネは悔い改めのバプテスマを授けました。悔い改めて、神に立ち返りなさいというものでした。ですからヨハネは罪を鋭く指摘しました。ところが、イエス様は罪に苦しむ者に赦しを与え、罪からくるとされていた様々な障害や死からも解放を与えました。ヨハネは正義の執行、悪に対する裁きを期待していましたが、イエス様がなさっていたことは、まず、病からの癒し、障害からの解放、最後の敵である死からの解放でした。私たち信者は周りで起こる様々な事象について、明白な回答を得ることは難しいと言えるでしょう。すべてのことは、神の主権の下で起こっています。天変地異も災害も神のみ許しの下で起こっています。しかし、神の私たちにお示しになった神の愛は、 歴史の中ではっきりと示されました。それは十字架です。神は、あなたをご自身の命にかけて、あるいはご自身の命を捨てても惜しくないほどにあなたを愛しておられます。そのような神の愛を信じる時に、神に対する絶対的な信頼が生まれてきます。神はあなたを最善の人生に導かれます。あなたに最善の人生を用意してくださるのです。 それは永遠の神のご計画の中に仕組まれた確かな事です。

<聖書>マタイの福音書11章2~11節
11:2 さて、牢獄でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、自分の弟子たちを通じて
11:3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方はあなたですか。それとも、別の方を待つべきでしょうか。」
11:4 イエスは彼らに答えられた。「あなたがたは行って、自分たちが見たり聞いたりしていることをヨハネに伝えなさい。
11:5 目の見えない者たちが見、足の不自由な者たちが歩き、ツァラアトに冒された者たちがきよめられ、耳の聞こえない者たちが聞き、死人たちが生き返り、貧しい者たちに福音が伝えられています。
11:6 だれでも、わたしにつまずかない者は幸いです。」
11:7 この人たちが行ってしまうと、イエスはヨハネについて群衆に話し始められた。「あなたがたは何を見に荒野に出て行ったのですか。風に揺れる葦ですか。
11:8 そうでなければ、何を見に行ったのですか。柔らかな衣をまとった人ですか。ご覧なさい。柔らかな衣を着た人なら王の宮殿にいます。
11:9 そうでなければ、何を見に行ったのですか。預言者ですか。そうです。わたしはあなたがたに言います。預言者よりもすぐれた者を見に行ったのです。
11:10 この人こそ、『見よ、わたしはわたしの使いをあなたの前に遣わす。彼は、あなたの前にあなたの道を備える』と書かれているその人です。
11:11 まことに、あなたがたに言います。女から生まれた者の中で、バプテスマのヨハネより偉大な者は現れませんでした。しかし、天の御国で一番小さい者でさえ、彼より偉大です。

クリスチャン生活の霊的秘訣

2024年6月2日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>

闇の者から光の子へ:

キリスト再臨の日には、闇の者は裁かれます。しかし、同時に、光の子ども、昼の子どもには救いが起こるということです。キリストを知らず、認めず、神から遠く離れている者にとっては突如として襲う滅びであります。しかしキリストにある者にとっては、それは、救いであり希望です。ですから、まだ、イエス様を信じておらず闇の中にいる方々に対して聖書は勧めております。そのようなあなたの心の闇に神は光を与えて、罪を赦し、暗闇を取り除いてくださいます。そして、夜の子から昼の子にしてくださいます。信仰、希望、愛に生きることは、特別なことではありません。今までの様に、礼拝を守り、信者は交わりを保ち、互いに励まし、愛し合い、得を高め合い、信仰と希望と愛に生きなさいということです。教会から足を遠のけてはいけません。受けるだけではいけません。たがいに仕え合うのです。それが、信仰と希望と愛に生きることです。そしてそれは、表題の「闇の者から光の子へ」と言うことの結論ということができます。

悪にとどまらずいつも善を行う者へ:

「悪にとどまらずいつも善を行う者へ」と題してお話ししています。それは、「すべての人に対していつも善を行うよう努めなさい」と言うみことばから来ています。その秘訣は、「いつも喜んでいなさい」「絶えず祈りなさい」「すべてのことにおいて感謝しなさい」です。この三つに生きることは、神が私たちに望んでおられることです。そして、クリスチャンライフのモットーと言えます。「いつも喜んでいなさい」「絶えず祈りなさい」「すべてのことにおいて感謝しなさい」です。私たちは決して揺るがされることのない喜びをいただいています。ですからどんなことにも感謝できるのです。その喜びと感謝の土台は、イエス・キリストです。十字架の贖いによる罪の赦しです。罪が赦されて神と和解できたのです。罪によってさえぎられていた神の恵みが降り注がれるのです。今、どんな状況にあっても揺るがされることのない喜びを自分のものにしていただきたいと思います。

<聖書>Ⅰテサロニケ5章1~22節
【新改訳2017】
5:1 兄弟たち。その時と時期については、あなたがたに書き送る必要はありません。
5:2 主の日は、盗人が夜やって来るように来ることを、あなたがた自身よく知っているからです。
5:3 人々が「平和だ、安全だ」と言っているとき、妊婦に産みの苦しみが臨むように、突然の破滅が彼らを襲います。それを逃れることは決してできません。
5:4 しかし、兄弟たち。あなたがたは暗闇の中にいないので、その日が盗人のようにあなたがたを襲うことはありません。
5:5 あなたがたはみな、光の子ども、昼の子どもなのです。私たちは夜の者、闇の者ではありません。
5:6 ですから、ほかの者たちのように眠っていないで、目を覚まし、身を慎んでいましょう。
5:7 眠る者は夜眠り、酔う者は夜酔うのです。
5:8 しかし、私たちは昼の者なので、信仰と愛の胸当てを着け、救いの望みというかぶとをかぶり、身を慎んでいましょう。
5:9 神は、私たちが御怒りを受けるようにではなく、主イエス・キリストによる救いを得るように定めてくださったからです。
5:10 主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目を覚ましていても眠っていても、主とともに生きるようになるためです。
5:11 ですからあなたがたは、現に行っているとおり、互いに励まし合い、互いを高め合いなさい。
5:12 兄弟たち、あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人たちを重んじ、
5:13 その働きのゆえに、愛をもって、この上ない尊敬を払いなさい。また、お互いに平和を保ちなさい。
5:14 兄弟たち、あなたがたに勧めます。怠惰な者を諭し、小心な者を励まし、弱い者の世話をし、すべての人に対して寛容でありなさい。
5:15 だれも、悪に対して悪を返さないように気をつけ、互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行うように努めなさい。
5:16 いつも喜んでいなさい。
5:17 絶えず祈りなさい。
5:18 すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
5:19 御霊を消してはいけません。
5:20 預言を軽んじてはいけません。
5:21 ただし、すべてを吟味し、良いものはしっかり保ちなさい。
5:22 あらゆる形の悪から離れなさい。