終わりのときを前にして

2024年2月4日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅰペテロの手紙1章13~25節
【新改訳2017】
1:13 ですから、あなたがたは心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストが現れるときに与えられる恵みを、ひたすら待ち望みなさい。
1:14 従順な子どもとなり、以前、無知であったときの欲望に従わず、
1:15 むしろ、あなたがたを召された聖なる方に倣い、あなたがた自身、生活のすべてにおいて聖なる者となりなさい。
1:16 「あなたがたは聖なる者でなければならない。わたしが聖だからである」と書いてあるからです。
1:17 また、人をそれぞれのわざにしたがって公平にさばかれる方を父と呼んでいるのなら、この世に寄留している時を、恐れつつ過ごしなさい。
1:18 ご存じのように、あなたがたが先祖伝来のむなしい生き方から贖い出されたのは、銀や金のような朽ちる物にはよらず、
1:19 傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。
1:20 キリストは、世界の基が据えられる前から知られていましたが、この終わりの時に、あなたがたのために現れてくださいました。
1:21 あなたがたは、キリストを死者の中からよみがえらせて栄光を与えられた神を、キリストによって信じる者です。ですから、あなたがたの信仰と希望は神にかかっています。
1:22 あなたがたは真理に従うことによって、たましいを清め、偽りのない兄弟愛を抱くようになったのですから、きよい心で互いに熱く愛し合いなさい。
1:23 あなたがたが新しく生まれたのは、朽ちる種からではなく朽ちない種からであり、生きた、いつまでも残る、神のことばによるのです。
1:24 「人はみな草のよう。その栄えはみな草の花のようだ。草はしおれ、花は散る。
1:25 しかし、主のことばは永遠に立つ」とあるからです。これが、あなたがたに福音として宣べ伝えられたことばです。

<要約>

苦難と困難のときを前にしての勧め:

13節から1章の終わりまでをまとめてみますと、救いの恵にしっかりとどまりキリストを待ち望みなさい。従順な子どもとなり、聖なる方であるキリストに倣い、聖なるものとなりなさい。正しく裁かれる神を恐れなさい。クリスチャンは、この世に身を寄せている旅人で、天の故郷を目指しているので、心を引き締め、身を慎んで過ごしなさい。そして、罪のない神の御子キリストがあなたの罪のために十字架で身代わりとなって裁かれ血を流されたのです。ですから、あなた方は小羊キリストの貴い血によって神の聖なる者とされました。あなた方は、信仰により、キリストが復活した栄光を目にしています。人の栄は草花のように消え去る、しかし、神のことばは永遠に朽ちることはないのです。みことばにしっかり立って歩みなさい。当時と比べると、現在の私たちは、いかに恵まれているかと言うことができます。信教の自由が保証されています。大きな迫害もありません。そのような時代に生きている私たちですが、真剣に信仰に生きようとするならば人生において試練を経験します。クリスチャンライフは平穏であるだけではありません。苦難も伴うのです。

キリストにならうクリスチャンライフ:

私たちはキリストに従うものとして、主が歩まれた後を歩んでいくのです。そこにはさまざまな試練や苦しみが伴うことがあるということが言えます。イエス様を信じていくと試練が来ます。しかし、思いがけないことが起こったかのように驚き怪しんではいけません。むしろ感謝して喜びなさい、と言うのです。イエス様の御生涯は苦しみと悲しみで終わったのではありません。そうです。イエス・キリストは十字架で殺され、墓に葬られ、よみにくだり、3日目によみがえられました。復活しました。私たち信者は信仰の結果である、罪の赦しからくる救いを得ています。人生は死んで終わりではありません。やがて、信仰の報いである天での栄えに満ちた喜び踊る生活があなたを待っています。私たちは天国を先取りして今、喜んでいます。この救いはことばだけのむなしいものではありません。私たちは信仰により確信しています。キリストの福音は決して失望に終わらない希望であることを。