祝福と希望のクリスチャンライフ

2023年12月3日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>テトスへの手紙2章11~15節
【新改訳2017】
2:11 実に、すべての人に救いをもたらす神の恵みが現れたのです。
2:12 その恵みは、私たちが不敬虔とこの世の欲を捨て、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活し、
2:13 祝福に満ちた望み、すなわち、大いなる神であり私たちの救い主であるイエス・キリストの、栄光ある現れを待ち望むように教えています。
2:14 キリストは、私たちをすべての不法から贖い出し、良いわざに熱心な選びの民をご自分のものとしてきよめるため、私たちのためにご自分を献げられたのです。
2:15 あなたは、これらのことを十分な権威をもって語り、勧め、戒めなさい。だれにも軽んじられてはいけません。

<要約>

不敬虔とこの世の欲を捨てる:

イエス様にお会いする前までの私たちの人生は、不敬虔とこの世の欲と生まれながら持つ罪の力に縛られていました。この世は不敬虔であると言えます。神を敬わず、神を認めない社会です。世は、神なんかいない、あるいは神なんか信頼するに足りないというメッセージを一人一人に送っています。そして、サタンがこの世の君として、君臨しています。世の支配者です。それが、人間社会を悪い方へ引っ張っています。また、「不敬虔とこの世と欲」の欲は、私たちすべての人が持っている罪の性質です。それは、ねたみ、不満、憤り、怒り、そしり、など、私たち人間の内側の悪い思いです。そのため、私たちは平和を求め、いたわりや愛を求めていますが、反対に、怒りには怒り、復讐には復習と悪の連鎖に陥ってしまいます。そのような不敬虔とこの世の欲を捨てるということはどういうことでしょうか。第一に、この世の価値観に捕らわれてはいけないということです。世の価値観は、神が教える健全な教えとはかけ離れています。また、第二に、この世と調子を合わせてはいけないということです。それでは、今の世にあって、慎み深く、正しく、敬虔に生活するためには、どうすればよいのでしょうか。それは、キリストの再臨を待ち望むことです。

キリストを待ち望む人生:

信者はキリストにより、不法から贖いだされています。つまり、罪から贖いだされている、と言うこと。もう少し詳しく言うと、キリストの十字架により罪の代価が支払われたということです。罪の刑罰はキリストが代わって受けて下さったので、無罪とされました。さらに罪の束縛から解放され自由になりました。このように、キリストはご自身を私たちのために捧げられたのです。そして、私たちは神に選ばれて、良いわざに熱心なものとされました。再臨を待ち望むことは、祝福に満ちた希望です。それは、私たちが現在、困難や苦難の中にいて希望が見えないようでもやがて、この生涯の終わりには、祝福に満ちた希望があるということです。人生の最後のときは、すべてのマイナスはプラスに変えられるということです。やがて、信じて贖われた者たちは約束された御国に入り、永遠のいのちを神と共に送るのです。キリストを待ち望む人生は、祝福に満ちた希望の人生です。そして、神の栄光を見続ける人生です。

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