2023年5月7日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>マタイの福音書19章13~15節
【新改訳2017】
19:13 そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちがみもとに連れて来られた。すると弟子たちは、連れて来た人たちを叱った。
19:14 しかし、イエスは言われた。「子どもたちを来させなさい。わたしのところに来るのを邪魔してはいけません。天の御国はこのような者たちのものなのです。」
19:15 そして手を子どもたちの上に置いてから、そこを去って行かれた。
<要約>
大人中心のこの世界:
自分たちがお話ししているところに割入ってきた人たちを邪魔と感じ、叱責したのでしょう。現実的には、大人が社会を支えて、動かしています。また、未来を担う子どもたちのために、能力がある大人のリーダーが必要なことは言うまでもありません。現代社会は、力ある者たちが動かす世界であるといえましょう。その見方からすると、大人にとって住みやすい社会を作っているということです。そのマイナスな面の結果が生じています。それが、少産少子化です。子どもたちを厄介者扱いにした弟子たちに対して、イエス様はどのようでしたか。マルコの福音書では、イエス様は弟子たちに憤るほどに小さなものたちを重んじておられることがわかります。大人中心の世界から子どもあるいは障害を持つ方々を中心に持っていく社会に大きくシフトしていく必要を覚えます。
小さい者たちを重んじる神の国:
「神の国はこのような者たちのもの」とは、どういう意味でしょうか。子どもの特質を考えます。第一に子どもは素直、あるいは従順です。素直に神の国を受け入れます。子どもは、親や上の権威に従順であります。つまり父なる神に従順であります。第二に子どもは謙遜です。別のことばでは、へりくだっている、低い心であると言えます。イエス様は、はっきり、子どものように低い心を持つ者が天国で一番偉いと言われています。第三に子どもは、大人に頼っています。そして、背後におられる神に頼っています。この従順、謙遜、信頼、この三つの徳は、イエス様の十字架に完全に表されています。イエス様は、父なる神に従順でした。実に十字架の死に至るまで従い通しました。神が人を愛し、人を罪から救うためにその独り子イエス様をすべての人の贖いの代価として十字架で身代わりの死を遂げさせることです。それが神のご計画でした。イエス様は、この上なく謙遜でした。神のみ位におられる方が、最も貧しい幼子となられた、罪一つもないのに、十字架の判決を受け入れ極悪人にかぞえられることを良しとなさいました。それはひとえに、すべての人をそしてあなたを罪と死と滅びから救い出し永遠の命をお与えになるためです。そして、父なる神を完全に信頼していました。もしあなたが、素直に従順になり、そしてへりくだり、神を信頼するならば、神はあなたを祝福します。あなたも天の御国へ招かれており、あなたは救われるのです。