2023年4月23日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>マタイの福音書15章21~28節
【新改訳2017】
15:21 イエスはそこを去ってツロとシドンの地方に退かれた。
15:22 すると見よ。その地方のカナン人の女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ。私をあわれんでください。娘が悪霊につかれて、ひどく苦しんでいます」と言って叫び続けた。
15:23 しかし、イエスは彼女に一言もお答えにならなかった。弟子たちはみもとに来て、イエスに願った。「あの女を去らせてください。後について来て叫んでいます。」
15:24 イエスは答えられた。「わたしは、イスラエルの家の失われた羊たち以外のところには、遣わされていません。」
15:25 しかし彼女は来て、イエスの前にひれ伏して言った。「主よ、私をお助けください。」
15:26 すると、イエスは答えられた。「子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのは良くないことです。」
15:27 しかし、彼女は言った。「主よ、そのとおりです。ただ、小犬でも主人の食卓から落ちるパン屑はいただきます。」
15:28 そのとき、イエスは彼女に答えられた。「女の方、あなたの信仰は立派です。あなたが願うとおりになるように。」彼女の娘は、すぐに癒やされた。
<要約>
信仰の試練と勝利:
イエス様を見た彼女は、「わたしを憐れんでください。娘が悪霊に着かれて苦しんでいます。救ってください」と叫び続けました。イエス様は沈黙を守られ、女性を無視されたということです。彼女には願いがくじかれ、信仰の試練の時と言えます。このひれ伏して懇願する女性に対して、イエス様はどう答えられたのでしょうか。「子どもたちのパンを取り上げて、子犬に投げてやるのはよくないことです」と。しかし、この女性は、冷静で機知に富んだ返答をしております。「主よ。その通りです。ただ子犬でも主人の食卓から落ちたパンくずは頂きます」と。イエス様のとの対話の中で、直観的にこの方こそ真の救い主、この方に信頼する者は失望されることがない、と確信に至ったのです。神の癒しと救いは、試練を通して与えられるということがあります。現実、多くの方々は、病を通して、また、様々な試練を通して、自分の限界を知らされ、真の神に立ち返って、信じて洗礼を受けます。この女性は信仰の戦いに勝利しました。
愛と恵の主キリスト:
この女性に対して、「あなたの信仰は立派です」と、信仰を褒めてくださいました。神は高慢な心ではなく、悔いた低い心を喜ばれます。イエス様は、あなたの命を大切に思っておられる愛の神です。そして、受けるに値しない私たち罪人に無条件の愛を注がれる恵の神です。キリストの十字架、それは苦しみと悲しみと絶望を意味します。神が人となって世に来られた。わざわざ、人の罪を担い、その代価を払うために身代わりとなって、裁かれ、死んでくださいました。これこそが人類史上、最大の不条理です。神が、天のみ位を捨てる意味がどこにあるのでしょうか。天のみ位に座しておられるからこそ神と言えるのではないでしょうか。でも、神は人を愛し、人が自らの罪のために滅びることを惜しまれて、死の滅びから救うために神の独り子を世に与え、十字架におかけになったのです。そして神は、死に至るまで従い通したキリストを死者のうちから蘇らせたのです。それがキリストの復活です。最後の敵である死を完全に打ち破ったのです。そのことにより、信じる者は罪赦されて復活のいのち、永遠のいのちを頂くのです。決して失望に終わらない希望を神は約束しておられます。