出エジプトと十字架

2022年9月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>出エジプト12章29~42節
【新改訳2017】
12:29 真夜中になったとき、【主】はエジプトの地のすべての長子を、王座に着いているファラオの長子から、地下牢にいる捕虜の長子に至るまで、また家畜の初子までもみな打たれた。
12:30 その夜、ファラオは彼の全家臣、またエジプト人すべてとともに起き上がった。そして、エジプトには激しく泣き叫ぶ声が起こった。それは死者のいない家がなかったからである。
12:31 彼はその夜、モーセとアロンを呼び寄せて言った。「おまえたちもイスラエル人も立って、私の民の中から出て行け。おまえたちが言うとおりに、行って【主】に仕えよ。
12:32 おまえたちが言ったとおり、羊の群れも牛の群れも連れて出て行け。そして私のためにも祝福を祈れ。」
12:33 エジプト人は民をせき立てて、その地から出て行くように迫った。人々が「われわれはみな死んでしまう」と言ったからである。
12:34 それで民は、パン種を入れないままの生地を取り、こね鉢を衣服に包んで肩に担いだ。
12:35 イスラエルの子らはモーセのことばどおりに行い、エジプトに銀の飾り、金の飾り、そして衣服を求めた。
12:36 【主】はエジプトがこの民に好意を持つようにされたので、エジプト人は彼らの求めを聞き入れた。こうして彼らはエジプトからはぎ取った。
12:37 イスラエルの子らはラメセスからスコテに向かって旅立った。女、子どもを除いて、徒歩の壮年男子は約六十万人であった。
12:38 さらに、入り混じって来た多くの異国人と、羊や牛などおびただしい数の家畜も、彼らとともに上った。
12:39 彼らはエジプトから携えて来た生地を焼いて、種なしのパン菓子を作った。それにはパン種が入っていなかった。彼らはエジプトを追い出されてぐずぐずしてはいられず、また自分たちの食糧の準備もできなかったからである。
12:40 イスラエルの子らがエジプトに滞在していた期間は、四百三十年であった。
12:41 四百三十年が終わった、ちょうどその日に、【主】の全軍団がエジプトの地を出た。
12:42 それは、彼らをエジプトの地から導き出すために、【主】が寝ずの番をされた夜であった。それでこの夜、イスラエルの子らはみな、代々にわたり、【主】のために寝ずの番をするのである。

<要約>

神の裁きとキリストの十字架の救い:

ファラオをはじめとするエジプト人は、主こそ真の神と思っていたと考えます。でも、パロをはじめエジプト人は謙遜になって真の神にひれ伏そうとせず、依然、神を無視して、偶像を頼りとしていました。ここに人間の愚かさが見えます。神は全知全能ですべての創り主であるとは聞いているし、その通りだと思う。しかし、自分の神として信じることはできない。そのように言う人は大変多いのです。しかし、創り主なるまことの神は、聖書を通して、そして、人となった救い主キリストを通して、ご自身を表しています。しかし、ファラオとエジプトは神を無視し続けました。それ故、神はエジプト全土を裁かれました。聖書にはやがて、世の終りの時に裁きが行われる、すべての人は審判者である神の前に立たされます。神の正しい裁きがエジプトのすべての人々の家に下ったのと同じように世のすべての人に下るのです。神の裁きと十字架の救いは今もすべての人に及んでいます。神ご自身が、キリストの十字架によってあなたを裁かず、あなたを救うと約束しております。

真の自由をもたらす十字架:

出エジプトで、イスラエル人は奴隷の身分から自由の身分になりました。これはわたしたち人間が罪と死と悪魔から自由になることを表しています。それを得させるために、贖いの業がなされました。贖いというのは、代価を払って買い取る、あるいは、買い戻すという意味です。出エジプトの時、奴隷であったイスラエルの家々の長子のために傷のない一才の雄羊が犠牲になりました。傷のない、すなわち、罪のないキリストが、すべての人の罪を引き受けて身代わりとなって裁かれました。すなわち、キリストが十字架の死といういのちの代価を払って、すべての人のいのちを買い取ってくださったのです。誰でもイエス・キリストの十字架を信じれば、罪赦され、神の子とせられて、永遠のいのちが与えられます。現代の私たちの出エジプトは、キリストの十字架により罪と死と悪魔から救われることです。イエス様を信じている者は心の自由が与えられています。すなわち、あらゆる困難や苦しみ、迫害、死からさえも自由にされています。ですから、今度はその自由をもって、隣人のために自ら喜んで仕えることができるのです。