2022年5月29日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>エペソ人への手紙2章1~10節
【新改訳2017】
2:1 さて、あなたがたは自分の背きと罪の中に死んでいた者であり、
2:2 かつては、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者、すなわち、不従順の子らの中に今も働いている霊に従って歩んでいました。
2:3 私たちもみな、不従順の子らの中にあって、かつては自分の肉の欲のままに生き、肉と心の望むことを行い、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。
2:4 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、
2:5 背きの中に死んでいた私たちを、キリストとともに生かしてくださいました。あなたがたが救われたのは恵みによるのです。
2:6 神はまた、キリスト・イエスにあって、私たちをともによみがえらせ、ともに天上に座らせてくださいました。
2:7 それは、キリスト・イエスにあって私たちに与えられた慈愛によって、この限りなく豊かな恵みを、来たるべき世々に示すためでした。
2:8 この恵みのゆえに、あなたがたは信仰によって救われたのです。それはあなたがたから出たことではなく、神の賜物です。
2:9 行いによるのではありません。だれも誇ることのないためです。
2:10 実に、私たちは神の作品であって、良い行いをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行いに歩むように、その良い行いをあらかじめ備えてくださいました。
<要約>
バッドニュース(1~3節):
人間は神によってつくられ、神によって存在させられている者たちです。従って神を離れて生きることなどできません。ですから、肉体的には生きていてもそれは本当のいのちから離れた状態で、あたかも糸の切れた凧と同じで、どこへ行ってしまうかわからないのです。どうしてそんなことになってしまうのでしょうか。それが、「自分が犯した背きと罪」なのです。「背き」は、背を向けるという意味ですね。あなたを愛しあなたに関心をもって見つめておられる神に背中を向けていることです。また、「罪」は的外れという意味です。やがて、神から完全に離れ、人生の意味や価値が失われているのです。神から離れている人生のもう一つのことは、「それらの罪の中にあって、この世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って歩んでいる」ということです。悪魔、サタンのことです。聖書は、悪魔はこの世の支配者であると教えています。神から離れた人生のさらにもう一つのことは、「自分の肉欲に生き、肉と心の望むままを行っている」ということです。これ以上のバッドニュースはこの世界にはありません。
グッドニュース(4~10節):
そのような、希望もなく、喜びもなく、滅びに向かっていた人間に対して、神は何をしてくださったでしょうか。人の「罪」のために、神が用意してくださった解決が、イエス・キリストです。私たちの罪にために死なれて、葬られ、三日目によみがえられました。それを信じ罪赦された者は、キリストと同じ復活のいのちが与えられます。神は私たち人間に、二つの相反する御思いを抱いておられます。一つは、私たち人間の罪のゆえに私たちを怒っておられるということ。もう一つは、私たちをご自身のいのちを捨てるほどに愛しておられるということ。罪に沈む人間を何とか救いたいという神の愛。神はその両方に筋を通されました。神の怒りはキリストの十字架に落ちたので、信じるものの上には神の怒りはなく、もう一方のいのちの祝福のみが注がれるのです。それは、イエス様を信じて受け入れ、信仰を持って神の救いをいただくことです。そして罪と死と悪魔の力から救い出していただく。これ以上のグッドニュースは どこを探してもありません。