厳かな命令

2021年2月7日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅱテモテ4章1~8節
4:1 神の御前で、また、生きている人と死んだ人をさばかれるキリスト・イエスの御前で、その現れとその御国を思いながら、私は厳かに命じます。
4:2 みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。忍耐の限りを尽くし、絶えず教えながら、責め、戒め、また勧めなさい。
4:3 というのは、人々が健全な教えに耐えられなくなり、耳に心地よい話を聞こうと、自分の好みにしたがって自分たちのために教師を寄せ集め、
4:4 真理から耳を背け、作り話にそれて行くような時代になるからです。
4:5 けれども、あなたはどんな場合にも慎んで、苦難に耐え、伝道者の働きをなし、自分の務めを十分に果たしなさい。
4:6 私はすでに注ぎのささげ物となっています。私が世を去る時が来ました。
4:7 私は勇敢に戦い抜き、走るべき道のりを走り終え、信仰を守り通しました。
4:8 あとは、義の栄冠が私のために用意されているだけです。その日には、正しいさばき主である主が、それを私に授けてくださいます。私だけでなく、主の現れを慕い求めている人には、だれにでも授けてくださるのです。

<要約>
クリスチャンの最大の使命とは?

パウロが福音宣教を厳かに命じる理由はなんでしょうか。厳かという字を辞書で調べると、「重々しくいかめしい様」とあります。すべての人は、死を迎えます。死はそれぞれにとって重大な事件と言えます。なぜなら、死んですべてが無になるのではないからです。人には霊があるからです。ある人は、自らの罪のために永遠の滅びに落ちます。神の愛から完全に断絶された暗黒の世界で孤独に永遠を過ごすのです。また、別の人は、罪赦されて永遠のいのちをいただき、永遠の安息、永遠の祝福に入るのです。福音宣教は、人々に永遠のいのちに至らせるキリストの救いを伝えることです。これは、決して軽々しく扱うことのできない重大な働きであることをパウロは心に刻み込もうとしているのです。福音宣教を最優先課題として、どんな困難や抵抗があっても遂行しなさいと言っているのです。

死と滅びからあなたを救う福音:

他人事でない、自分の死と言うものを直視したときに、誰でもが持っているこの痛みを「霊的な痛み」といっております。「自分はどこから来てどこへ行くのか分からない。」という実存の悩みです。しかし、信者はキリストこそが唯一の救いへの希望である事を知っています。罪からくる報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、わたしたちの主キリスト・イエスにある永遠の命です。あなたが認めようと認めまいと世界には罪と死とのろいの原理があります。聖書は語っています。罪を犯したことのない人は誰もいない。すべての人が迷い出て無益なものになった、と。悔い改めで神に帰らない限りそのままでは人は罪により死と呪いに定められています。その人を救うためにキリストは来てくださったのです。もしあなたが、まだ、あなたの死に対する準備ができていないならば、今すぐに、悔い改めて、イエスキリストをあなたの罪の贖い主、救い主として信じましょう。