ナアマンにくだった救いの恵

2021年1月31日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅱ列王記5章1~17節
5:1 アラムの王の軍の長ナアマンは、その主君に重んじられ、尊敬されていた。それは、【主】が以前に、彼を通してアラムに勝利を与えられたからであった。この人は勇士であったが、ツァラアトに冒されていた。
5:2 アラムはかつて略奪に出たとき、イスラエルの地から一人の若い娘を捕らえて来ていた。彼女はナアマンの妻に仕えていた。
5:3 彼女は女主人に言った。「もし、ご主人様がサマリアにいる預言者のところに行かれたら、きっと、その方がご主人様のツァラアトを治してくださるでしょう。」
5:4 そこで、ナアマンはその主君のところに行き、イスラエルの地から来た娘がこれこれのことを言いました、と告げた。
5:5 アラムの王は言った。「行って来なさい。私がイスラエルの王に宛てて手紙を送ろう。」そこで、ナアマンは、銀十タラントと金六千シェケルと晴れ着十着を持って出かけた。
5:6 彼はイスラエルの王宛ての次のような手紙を持って行った。「この手紙があなたに届きましたら、家臣のナアマンをあなたのところに送りましたので、彼のツァラアトを治してくださいますように。」
5:7 イスラエルの王はこの手紙を読むと、自分の衣を引き裂いて言った。「私は殺したり、生かしたりすることのできる神であろうか。この人はこの男を送って、ツァラアトを治せと言う。しかし、考えてみよ。彼は私に言いがかりをつけようとしているのだ。」
5:8 神の人エリシャは、イスラエルの王が衣を引き裂いたことを聞くと、王のもとに人を遣わして言った。「あなたはどうして衣を引き裂いたりなさるのですか。その男を私のところによこしてください。そうすれば、彼はイスラエルに預言者がいることを知るでしょう。」
5:9 こうして、ナアマンは馬と戦車でやって来て、エリシャの家の入り口に立った。
5:10 エリシャは、彼に使者を遣わして言った。「ヨルダン川へ行って七回あなたの身を洗いなさい。そうすれば、あなたのからだは元どおりになって、きよくなります。」
5:11 しかしナアマンは激怒して去り、そして言った。「何ということだ。私は、彼がきっと出て来て立ち、彼の神、【主】の名を呼んで、この患部の上で手を動かし、ツァラアトに冒されたこの者を治してくれると思っていた。
5:12 ダマスコの川、アマナやパルパルは、イスラエルのすべての川にまさっているではないか。これらの川で身を洗って、私がきよくなれないというのか。」こうして、彼は憤って帰途についた。
5:13 そのとき、彼のしもべたちが近づいて彼に言った。「わが父よ。難しいことを、あの預言者があなたに命じたのでしたら、あなたはきっとそれをなさったのではありませんか。あの人は『身を洗ってきよくなりなさい』と言っただけではありませんか。」
5:14 そこで、ナアマンは下って行き、神の人が言ったとおりに、ヨルダン川に七回身を浸した。すると彼のからだは元どおりになって、幼子のからだのようになり、きよくなった。
5:15 ナアマンはその一行の者すべてを連れて神の人のところに引き返して来て、彼の前に立って言った。「私は今、イスラエルのほか、全世界のどこにも神はおられないことを知りました。どうか今、あなたのしもべからの贈り物を受け取ってください。」
5:16 神の人は言った。「私が仕えている【主】は生きておられます。私は決して受け取りません。」ナアマンは、受け取らせようとしてしきりに勧めたが、神の人は断った。
5:17 そこでナアマンは言った。「それなら、どうか二頭のらばに載せるだけの土をしもべに与えてください。しもべはこれからはもう、【主】以外のほかの神々に全焼のささげ物やいけにえを献げません。

<要約>

悩みは神と出会いのチャンス:

悩みは、人の心を暗くして、憂鬱にします。しかし、悩んでいる時、神はその人の近くにおられます。そして、その人を招いておられます。悩んで、祈りに導かれることは幸いです。詩編50:15「苦難の日にはわたしを呼び求めよ。わたしはあなたを助け出そう。あなたはわたしをあがめよう。」私たちも、自分の病、そして、家族の病を通して神は私たちに悩みを与え、「わたしに来なさい」と招いておられます。人は、悩んで祈り、神を求めるとき、神を体験し、神を崇めるようになります。そのように、悩みは、神と出会うチャンスであると言えます。そして、神と出会った私たちは神の愛を体験し信仰に導かれるのです。

無代価の救い、無償の愛:

エリシャは、ツァラトが癒されたナアマンに神の恵みはどういうものかを教えようとしました。神の救いの恵みは、金銭で買えないものであること、すなわち無代価な恵みです。なぜ、無代価なのでしょうか。それは、人のいのちが高価で貴く、いのちに値をつけることはできないのと同様に、この無代価の救いは、神のひとり子キリストのいのちを、あなたの罪の代価としてくださった神の無償の愛によるからです。ゆえに、どんな金銭でも得られるものではありません。神のことばは単純です。「あなたの罪のために、神のひとり子イエス・キリストがあなたに代わって十字架で死んでくださった。だから、イエス・キリストを信じる者は罪赦されて永遠の命に与るのです。」今日、是非、このイエス・キリストの救いを受け取っていただきたいと思います。何の条件もいりません。ただ、あなたの両手をあげて、心を天の神に向けて、罪の赦しと永遠のいのちを受け取ればよいのです。