勝利の秘訣

2020年12月27日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>士師記6章1~14節
6:1 イスラエルの子らは、【主】の目に悪であることを行った。そこで、【主】は七年の間、彼らをミディアン人の手に渡された。
6:2 ミディアン人の勢力がイスラエルに対して強くなったので、イスラエル人はミディアン人を避けて、山々にある洞窟や洞穴や要害を自分たちのものとした。
6:3 イスラエルが種を蒔くと、いつもミディアン人、アマレク人、そして東方の人々が上って来て、彼らを襲った。
6:4 彼らはイスラエル人に向かって陣を敷き、その地の産物をガザに至るまで荒らして、いのちをつなぐ糧も、羊も牛もろばもイスラエルに残さなかった。
6:5 実に、彼らは自分たちの家畜と天幕を持って上り、いなごの大群のように押しかけて来た。彼らとそのらくだは数えきれないほどであった。彼らは国を荒らそうと入って来たのであった。
6:6 こうして、イスラエルはミディアン人の前で非常に弱くなった。すると、イスラエルの子らは【主】に叫び求めた。
6:7 イスラエルの子らがミディアン人のゆえに【主】に叫び求めたとき、
6:8 【主】は一人の預言者をイスラエルの子らに遣わされた。預言者は彼らに言った。「イスラエルの神、【主】はこう言われる。わたしはあなたがたをエジプトから上らせ、奴隷の家から導き出し、
6:9 エジプト人の手と、圧迫するすべての者の手から助け出し、あなたがたの前から彼らを追い出して、その地をあなたがたに与えた。
6:10 わたしはあなたがたに言った。『わたしが【主】、あなたがたの神である。あなたがたが住んでいる地のアモリ人の神々を恐れてはならない』と。ところが、あなたがたはわたしの声に聞き従わなかった。」
6:11 さて【主】の使いが来て、アビエゼル人ヨアシュに属するオフラにある樫の木の下に座った。このとき、ヨアシュの子ギデオンは、ぶどうの踏み場で小麦を打っていた。ミディアン人から隠れるためであった。
6:12 【主】の使いが彼に現れて言った。「力ある勇士よ、【主】があなたとともにおられる。」
6:13 ギデオンは御使いに言った。「ああ、主よ。もし【主】が私たちとともにおられるなら、なぜこれらすべてのことが、私たちに起こったのですか。『【主】は私たちをエジプトから上らせたではないか』と言って、先祖が伝えたあの驚くべきみわざはみな、どこにあるのですか。今、【主】は私たちを捨てて、ミディアン人の手に渡されたのです。」
6:14 すると、【主】は彼の方を向いて言われた。「行け、あなたのその力で。あなたはイスラエルをミディアン人の手から救うのだ。わたしがあなたを遣わすのではないか。」

<要約>

神から離れ敗北する人間(敗北のサイクル)

イスラエルの民は世に妥協したために、彼らは敗北のサイクルに入っていきました。それは、現代の私たちに当てはめると、神にすべてをあけ渡すことなく、この世の流れに流されている人の姿を表しています。この世と妥協して、この世の生活に合わせるならばその人は敗北します。パウロは「あなた方は、この世と調子を合わせてはいけません」と言いました。むしろ神は、「彼らの中から出て行って、彼らと分離せよ」と言っておられます。イスラエルの民のように敗北のサイクルに入ってはいけません。敗北のサイクルは、神のみことばを無視すること、そして、神に信頼を置かないことから始まるのです。それは罪であり行き着くところは死であり滅びです。

神は叫び求める者を世に遣わす(勝利のサイクル)

主の臨在と栄光を仰ぐ時、救い主、解放者であるイエス・キリストは私たちと共にいてくださいます。キリストは私たちの罪をご自身に負われて十字架の上で死んで罪を取り除いてくださいました。キリストは私たちを罪の呪いから救い解放してくださったのです。私たちはキリストにより勝利のサイクルに入れられるのです。勝利は私たちが得るのではなく、すでにキリストが世と悪魔と死に勝利されていますので、私たちはただその勝利にあやかるだけです。私たちに必要なのは信仰です。勝利の結果、嘆きは賛美と感謝と献身の思いに変えられるのです。勝利のサイクルにとどまる秘訣は、旧約の神の民のようにリーダーを見失うのではなく、私たちのリーダーであり贖い主であるキリストから目を離さないことです。キリストを信じ続けることです。

救い主への期待

2020年12月20日(日)礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ルカによる福音書2章22~38
2:22 そして、モーセの律法による彼らのきよめの期間が満ちたとき、両親は幼子をエルサレムに連れて行った。
2:23 それは、主の律法に「最初に胎を開く男子はみな、主のために聖別された者と呼ばれる」と書いてあるとおり、幼子を主に献げるためであった。
2:24 また、主の律法に「山鳩一つがい、あるいは家鳩のひな二羽」と言われていることにしたがって、いけにえを献げるためであった。
2:25 そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルが慰められるのを待ち望んでいた。また、聖霊が彼の上におられた。
2:26 そして、主のキリストを見るまでは決して死を見ることはないと、聖霊によって告げられていた。
2:27 シメオンが御霊に導かれて宮に入ると、律法の慣習を守るために、両親が幼子イエスを連れて入って来た。
2:28 シメオンは幼子を腕に抱き、神をほめたたえて言った。
2:29 「主よ。今こそあなたは、おことばどおり、しもべを安らかに去らせてくださいます。
2:30 私の目があなたの御救いを見たからです。
2:31 あなたが万民の前に備えられた救いを。
2:32 異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの栄光を。」
2:33 父と母は、幼子について語られる様々なことに驚いた。
2:34 シメオンは両親を祝福し、母マリアに言った。「ご覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人が倒れたり立ち上がったりするために定められ、また、人々の反対にあうしるしとして定められています。
2:35 あなた自身の心さえも、剣が刺し貫くことになります。それは多くの人の心のうちの思いが、あらわになるためです。」
2:36 また、アシェル族のペヌエルの娘で、アンナという女預言者がいた。この人は非常に年をとっていた。処女の時代の後、七年間夫とともに暮らしたが、
2:37 やもめとなり、八十四歳になっていた。彼女は宮を離れず、断食と祈りをもって、夜も昼も神に仕えていた。
2:38 ちょうどそのとき彼女も近寄って来て、神に感謝をささげ、エルサレムの贖いを待ち望んでいたすべての人に、この幼子のことを語った。

<要約>

平安な死を得るために

三浦綾子さんが人間には最後に「死ぬ」という仕事があると、言われたのを思い出します。自分の地上での生涯を総括し、心はばかることなく神のもとに帰ることが出来れば、平安であり祝福でしょう。でも人は最後に、心に残しているものがあり、平安が無いことがあります。それは、罪の責めであったり、人に伝えておかなければならないことであったりします。そして、聖書によると、人は天国に行くには、罪が赦されていることが必要と成ります。罪赦され永遠の御国に入る恵は、キリストから与えられるのです。この後シメオンは、御救いを見たことから、すべての重荷や罪は取り除かれ、平安のうちに約束された永遠の御国の民に加えられたことでしょう。私たちも、イエス様を信じて、救いを自分のものと確信しましょう。やがて来る肉体の死は、永遠のいのちへの門です。そのことを信じて平安を得ましょう。

キリストへの応答で永遠が決まる

イエス様の生涯を見ると、神はどういうお方かを知ることができます。また、シメオンが慰めを得たように、イエス様は、待ち望む者に慰めと平安をくださいます。イエス様は光となって多くの人々の心の中を照らし、隠された思いをあらわにします。人々はイエス様に対する態度によって自らの立場を表明することになります。私たちには究極的には中立の立場ではありえないのです。人々は、キリストのみ苦しみを見て、どのように応答するかによって、どちらの側に立っているかが明らかになるのです。クリスマスはイエス様との出会いです。神は あなたに応答を求めておられます。イエス様を通してあなたは神に近づくか、遠ざかるか。神を信じ、イエス様にある永遠のいただくのか、そのまま通り過ぎて自らの罪のために滅びに向かうのか。神はあなたに、重大な応答を求めておられるのです。

神が人となって世に来られた

2020年12月13日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>ヨハネによる福音書1章1~18節、20章31節

1:1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
1:2 この方は、初めに神とともにおられた。
1:3 すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった。
1:4 この方にはいのちがあった。このいのちは人の光であった。
1:5 光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。
1:6 神から遣わされた一人の人が現れた。その名はヨハネであった。
1:7 この人は証しのために来た。光について証しするためであり、彼によってすべての人が信じるためであった。
1:8 彼は光ではなかった。ただ光について証しするために来たのである。
1:9 すべての人を照らすそのまことの光が、世に来ようとしていた。
1:10 この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
1:11 この方はご自分のところに来られたのに、ご自分の民はこの方を受け入れなかった。
1:12 しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとなる特権をお与えになった。
1:13 この人々は、血によってではなく、肉の望むところでも人の意志によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
1:14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
1:15 ヨハネはこの方について証しして、こう叫んだ。「『私の後に来られる方は、私にまさる方です。私より先におられたからです』と私が言ったのは、この方のことです。」
1:16 私たちはみな、この方の満ち満ちた豊かさの中から、恵みの上にさらに恵みを受けた。
1:17 律法はモーセによって与えられ、恵みとまことはイエス・キリストによって実現したからである。
1:18 いまだかつて神を見た者はいない。父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。

20:31 これらのことが書かれたのは、イエスが神の子キリストであることを、あなたがたが信じるためであり、また信じて、イエスの名によっていのちを得るためである。

<説教メモ>
光のキリストが与える永遠のいのち

あなたが、光であるキリストを心の目で見ることができないのは、あなたの霊の目が罪で曇っているからです。罪というと、犯罪をイメージするかもしれませんが、聖書のいう罪は、思いの罪です。言葉や行動に表れる前に心に浮かぶ罪です。その最大の罪は、神を知らない、神を認めない、神よりも自分の考えを優先するという心の罪です。霊の目が曇っているので神を見ることができません。低くなって、悔い改め、すなわち、罪を離れ、思いを変えて、天を見上げて、神を呼び求めることです。必ず神はあなたにこたえてくださいます。真理といのちの源であるキリストを、是非、心の目ではっきり見ることができるようにお祈りします。神の子キリストを信じ、滅びから救われ永遠の命を得ていただきたいと思います。

キリストが与える恵とまこと

キリストはあなたの罪のために十字架で死んで、あなたの命のために復活したのです。恵みとまことはイエスキリストによって実現したと書いています。恵とは、受けるに値しない者に注がれる神の愛です。まことは神の与える真実です。神の真実は不動の真実、揺らぐことのない真実、相手によって影響されることはない一方的な真実と言えます。キリストの恵とまことは、キリストがあなたのためにご自身の命を捨てることをよしとしたその愛。そして不動の真実。それはあなたに対し揺らぐことない誠実を尽くすことを意味します。ですから、恵とまことの主に、素直に自分を明け渡して、あなたの心とを開いて、外で叩いておられる主を受け入れてください。神の約束は必ずあなたのうちに成就します。 あなたは、神の子となり、豊かな神の祝福に満ちた人生を歩むことになります。

聖霊により処女マリヤから生まれた主

2020年12月6日主日礼拝説教 ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>イザヤ書7章1~16節、マタイの福音書1章18~20節

7:1 ウジヤの子のヨタムの子、ユダの王アハズの時代、アラムの王レツィンと、イスラエルの王レマルヤの子ペカが、戦いのためにエルサレムに上って来たが、これを攻めきれなかった時のことである。
7:2 ダビデの家に「アラムがエフライムと組んだ」という知らせがもたらされた。王の心も民の心も、林の木々が風に揺らぐように揺らいだ。
7:3 そのとき、【主】はイザヤに言われた。「あなたと、あなたの子シェアル・ヤシュブは、上の池の水道の端、布さらしの野への大路に出向いて行ってアハズに会い、
7:4 彼に言え。『気を確かに持ち、落ち着いていなさい。恐れてはならない。あなたは、これら二つの煙る木切れの燃えさし、アラムのレツィンとレマルヤの子の燃える怒りに、心を弱らせてはならない。
7:5 アラムは、エフライムすなわちレマルヤの子とともに、あなたに対して悪事を企てて、
7:6 「われわれはユダに上ってこれを脅かし、これに攻め入ってわがものとし、タベアルの子をその王にしよう」と言っているが、
7:7 【神】である主はこう言われる。それは起こらない。それはあり得ない。
7:8 アラムのかしらはダマスコ、そのダマスコのかしらがレツィンだから。──エフライムは六十五年のうちに、打ちのめされて、一つの民ではなくなる──
7:9 エフライムのかしらはサマリア、そのサマリアのかしらがレマルヤの子だから。あなたがたは、信じなければ堅く立つことはできない。』」
7:10 【主】はさらにアハズに告げられた。
7:11 「あなたの神、【主】に、しるしを求めよ。よみの深みにでも、天の高みにでも。」
7:12 アハズは言った。「私は求めません。【主】を試みません。」
7:13 イザヤは言った。「さあ、聞け、ダビデの家よ。あなたがたは人々を煩わすことで足りず、私の神までも煩わすのか。
7:14 それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女が身ごもっている。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。
7:15 この子は、悪を退けて善を選ぶことを知るころまで、凝乳と蜂蜜を食べる。
7:16 それは、その子が悪を退けて善を選ぶことを知る前に、あなたが恐怖を抱いている二人の王の土地が見捨てられるからだ。

1:18 イエス・キリストの誕生は次のようであった。母マリアはヨセフと婚約していたが、二人がまだ一緒にならないうちに、聖霊によって身ごもっていることが分かった。
1:19 夫のヨセフは正しい人で、マリアをさらし者にしたくなかったので、ひそかに離縁しようと思った。
1:20 彼がこのことを思い巡らしていたところ、見よ、主の使いが夢に現れて言った。「ダビデの子ヨセフよ、恐れずにマリアをあなたの妻として迎えなさい。その胎に宿っている子は聖霊によるのです。

<要約>
危機の中で主のみことばと約束を握る

神はあわれみの神です。私たちの罪がいくら大きくても、悔い改めるなら完全に赦し日々新しくしてくださるのです。聖書の言葉は必ず成就します。神の言葉は一つも地に落ちない、とある通りです。 神は一人も滅びることを良しとせず、御子キリストの命に代えて、あなたが、残りの民に加わるように招いておられます。クリスチャンになると試練や苦しみや困難がなくなるということではありません。常にそれらはつきものです。しかし、私たちは静まって神の約束に心を注ぎ、目に見えない、しかし、生きて働かれる神を信じなければなりません。「恐れてはならない」のみことばをしっかり握り、私たちは 堅く立つのです。

危機の中であなたと共におられる主:

アハズ王は、真の神に信頼するより、アッシリア王に信頼を置きました。このように 神が共におられるのにも気付くことがなく、自らの罪を悔い改めることのない王であったようです。私たちもアハズ王を反面教師として、み言葉に親しみ、不信仰を悔い改めて、霊の目で共におられるイエス様をいつも覚えることができますようお祈りします。どんな危機の中にあっても、神の約束は変わりません。そして、堅固です。イエス様を信じるあなたと、主はどこまでも一緒にいてくださるからです。

暗黒の世界に神が人となって来られた

キリストはあなたの苦しみと困難のただ中に来てくださいます。いな、これまでもキリストはあなたのところへ来て下さっていたのです。でも、あなたはそれに気付かなかったのです。あなたのすべての思い煩いをキリストに委ねてみませんか。キリストは喜んであなたの思い煩い、マイナスを受け取ってくださいます。あなたのために十字架で苦しみ、あなたのいのちのために復活してくださった主キリストが、あなたを喜びと感謝で引き上げてくださるのです。これが、クリスマスの祝福です。