キリストにある喜び

2020年10月4日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師  森田友明

<聖書>ピリピ人への手紙2章1~18節
2:1 ですから、キリストにあって励ましがあり、愛の慰めがあり、御霊の交わりがあり、愛情とあわれみがあるなら、
2:2 あなたがたは同じ思いとなり、同じ愛の心を持ち、心を合わせ、思いを一つにして、私の喜びを満たしてください。
2:3 何事も利己的な思いや虚栄からするのではなく、へりくだって、互いに人を自分よりすぐれた者と思いなさい。
2:4 それぞれ、自分のことだけでなく、ほかの人のことも顧みなさい。
2:5 キリスト・イエスのうちにあるこの思いを、あなたがたの間でも抱きなさい。
2:6 キリストは、神の御姿であられるのに、神としてのあり方を捨てられないとは考えず、
2:7 ご自分を空しくして、しもべの姿をとり、人間と同じようになられました。人としての姿をもって現れ、
2:8 自らを低くして、死にまで、それも十字架の死にまで従われました。
2:9 それゆえ神は、この方を高く上げて、すべての名にまさる名を与えられました。
2:10 それは、イエスの名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが膝をかがめ、
2:11 すべての舌が「イエス・キリストは主です」と告白して、父なる神に栄光を帰するためです。
2:12 こういうわけですから、愛する者たち、あなたがたがいつも従順であったように、私がともにいるときだけでなく、私がいない今はなおさら従順になり、恐れおののいて自分の救いを達成するよう努めなさい。
2:13 神はみこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださる方です。
2:14 すべてのことを、不平を言わずに、疑わずに行いなさい。
2:15 それは、あなたがたが、非難されるところのない純真な者となり、また、曲がった邪悪な世代のただ中にあって傷のない神の子どもとなり、
2:16 いのちのことばをしっかり握り、彼らの間で世の光として輝くためです。そうすれば、私は自分の努力したことが無駄ではなく、労苦したことも無駄でなかったことを、キリストの日に誇ることができます。
2:17 たとえ私が、あなたがたの信仰の礼拝といういけにえに添えられる、注ぎのささげ物となっても、私は喜びます。あなたがたすべてとともに喜びます。
2:18 同じように、あなたがたも喜んでください。私とともに喜んでください。

<要約>
キリストが与える喜びをいただく:

イエス様は、十字架の死に至るまで父なる神に従い通しました。そして、死んで墓に葬られました。イエス様は十字架ですべての人の罪を背負って、罪の裁きを受けてくださいました。罪に対する神の怒りの杯を飲み干してくださったのです。そのイエス様の功績のゆえに、神はイエス様を復活させられたのです。「イエスよ。よくやった。あなたは最後まで私に従ってくれた。人の命のために、あなたは罪びとと数えられて十字架で死んでくれた。それゆえ、私はあなたを復活させて、すべての名にまさる名をあなたに与える。あなたを主の主、王の王にする」と。そして、同時に、神が、私たち信じる者に下さるものは何でしょうか。イエス・キリストの十字架と復活の福音は信じる人々に、永遠のいのち、復活のいのち、それによるしぼむことのない希望を与え続けたと言えます。そして、それを思うときに、死によっても奪い去ることのできない喜びを味わうものとされたのです。

キリストの喜びがあなたと周りを変える:

神はへりくだる者、神に従う者を高めてくださるということです。そしてそのような人々に、神は御心を示して、良いことを行なわせてくださいます。ですから、不平を言わず疑わず行いなさいとあります。喜んで信仰をもって行いなさいということです。そうすれば、ついには、あなたは純真なものとなって、この世代の中にあって、神の子どもとして、いのちのことばを握って世の光として輝くのです。周囲の人々にも感化していくのです。そこに、キリストの与える喜びを自分の物として行く素晴らしい生き方があるのです

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