2020年4 月5日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>ヨハネの福音書5章1~18節
5:1 その後、ユダヤ人の祭りがあって、イエスはエルサレムに上られた。
5:2 エルサレムには、羊の門の近くに、ヘブル語でベテスダと呼ばれる池があり、五つの回廊がついていた。
5:3 その中には、病人、目の見えない人、足の不自由な人、からだに麻痺のある人たちが大勢、横になっていた。
5:4 【本節欠如】
5:5 そこに、三十八年も病気にかかっている人がいた。
5:6 イエスは彼が横になっているのを見て、すでに長い間そうしていることを知ると、彼に言われた。「良くなりたいか。」
5:7 病人は答えた。「主よ。水がかき回されたとき、池の中に入れてくれる人がいません。行きかけると、ほかの人が先に下りて行きます。」
5:8 イエスは彼に言われた。「起きて床を取り上げ、歩きなさい。」
5:9 すると、すぐにその人は治って、床を取り上げて歩き出した。ところが、その日は安息日であった。
5:10 そこでユダヤ人たちは、その癒やされた人に、「今日は安息日だ。床を取り上げることは許されていない」と言った。
5:11 しかし、その人は彼らに答えた。「私を治してくださった方が、『床を取り上げて歩け』と私に言われたのです。」
5:12 彼らは尋ねた。「『取り上げて歩け』とあなたに言った人はだれなのか。」
5:13 しかし、癒やされた人は、それがだれであるかを知らなかった。群衆がそこにいる間に、イエスは立ち去られたからである。
5:14 後になって、イエスは宮の中で彼を見つけて言われた。「見なさい。あなたは良くなった。もう罪を犯してはなりません。そうでないと、もっと悪いことがあなたに起こるかもしれない。」
5:15 その人は行って、ユダヤ人たちに、自分を治してくれたのはイエスだと伝えた。
5:16 そのためユダヤ人たちは、イエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
5:17 イエスは彼らに答えられた。「わたしの父は今に至るまで働いておられます。それでわたしも働いているのです。」
5:18 そのためユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとするようになった。イエスが安息日を破っていただけでなく、神をご自分の父と呼び、ご自分を神と等しくされたからである。
<要約>
新しい人生に招かれる主:
- 真の神から離れた人生を生きる人は失われた人である
- キリストは失われた人を探して救うために来られた
- 人任せで無気力に流されていた人生が信仰により救われる
- 日常のことを思い煩わないで願いを全能の父に申し上げる
神は失われた人を救うためにいのちの代価を払ってくださいました。それがイエス・キリストの十字架です。罪によって失われたいのちを神のひとり子のいのちに代えて買い戻してくださったのです。今、みことばを聞いている方々に罪の赦しと永遠のいのちが提供されています。キリストの十字架の贖いにより無代価で提供された罪の赦しです。そして同時に信じて受け止める者には罪が完全に赦されて決して滅びることのない永遠のいのちが与えられます。
律法(十戒)は幸せのルール:
- 神は安息日にも休むことなく私たちのために働いておられる
- 神は信じる者に将来と希望を与えてくださる
- キリストを通して神と親子の関係に入れてくださる
神は、38年間病床に臥せっていたこの男に、「良くなりたいか」と声をかけられました。この言葉は、今日、みことばを聞くすべての人に投げかけられています。「良くなりたいか」。あるいは「幸せになりたいか」と言い換えることもできると思います。神はあなたに自由と幸せな人生を与えようとされています。その自由は、死からさえも自由にします。信じる者に将来と希望を与えてくださるのです。それが神の約束です。救い主イエス・キリストを信じて、神との親しい関係に入り、神の子供としてその祝福を受け継ぐ決断をしてみませんか。それは神のいのちにつながる永遠に続く素晴らしい祝福と恵みです。