2019年08月04日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>ルカによる福音書10章25~37節
10:25 さて、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試みようとして言った。「先生。何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか。」
10:26 イエスは彼に言われた。「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか。」
10:27 すると彼は答えた。「『あなたは心を尽くし、いのちを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』、また『あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい』とあります。」
10:28 イエスは言われた。「あなたの答えは正しい。それを実行しなさい。そうすれば、いのちを得ます。」
10:29 しかし彼は、自分が正しいことを示そうとしてイエスに言った。「では、私の隣人とはだれですか。」
10:30 イエスは答えられた。「ある人が、エルサレムからエリコへ下って行ったが、強盗に襲われた。強盗たちはその人の着ている物をはぎ取り、殴りつけ、半殺しにしたまま立ち去った。
10:31 たまたま祭司が一人、その道を下って来たが、彼を見ると反対側を通り過ぎて行った。
10:32 同じようにレビ人も、その場所に来て彼を見ると、反対側を通り過ぎて行った。
10:33 ところが、旅をしていた一人のサマリア人は、その人のところに来ると、見てかわいそうに思った。
10:34 そして近寄って、傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで包帯をし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行って介抱した。
10:35 次の日、彼はデナリ二枚を取り出し、宿屋の主人に渡して言った。『介抱してあげてください。もっと費用がかかったら、私が帰りに払います。』
10:36 この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」
10:37 彼は言った。「その人にあわれみ深い行いをした人です。」するとイエスは言われた。「あなたも行って、同じようにしなさい。」
<要約>
向き合うことのできない人間:
彼は答えて言った。「『心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、知性を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』、また『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』」これは、律法の戒めを包括する教えであり、的を得た答えです。イエス様は「その通りです。それを実行しなさい。」と言われました。しかし彼は自分の正しさを示そうとして「隣人とはだれですか」とイエスに問いました。イエス様は、「良きサマリヤ人のたとえ」のお話をされました。このたとえ話で、イエス様は、隣人はユダヤ人ばかりでなく異邦人も敵をも含んでいることを示されたのです。隣人愛を実践する前に「心を尽くして、思いを尽くして、知性を尽くして神を愛しなさい」というのです。それは別の言い方では、神としっかり向き合いなさいとの勧めです。人間は神と向き合うことをやめて、神の思いより自分の思いを優先し、神から遠く離れてしまっています。ですから、神を知ろうともせず、神と向き合うということもわからないのです。そのような人間は自分とも向き合えない家族とも向き合えない、ましてや隣人とどうして向き合えるでしょうか。
向き合ってくださる神:
中学生の時にいじめにあった長谷川少年は金八先生のような熱血教師と出会いました。その先生は、いじめにあっていた長谷川少年と向き合ってくれました。ある時、長谷川少年はこういう手紙を書いたそうです。仮に、町が大火事になり、先生はヘリコプターに助けられて上空に出ました。その時、下の方で、先生の息子さんが、逃げ惑っていました。すぐに助けようとヘリコプターは下降しました。そうしたら、その息子のそばに逃げ惑う長谷川少年を発見したのです。ヘリコプターにはあと一人しか乗せられません。先生はどうしますか?という内容です。「自分も人間だから、息子の方を助けると思う」という返事でした。長谷川少年はその先生が自分と最後まで向き合ってくれると、信じたかったのです。しかし、人間が自分の子どものいのちを犠牲にして他人のいのちを救うことはありません。その起こりえないことを父なる神は、してくださったのです。それが、キリストの十字架です。その神が、ここにおられる皆さん一人一人と向き合ってくださいます。