2017年11月 26日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>創世記24章1~27
24:1 アブラハムは年を重ねて、老人になっていた。【主】は、あらゆる面でアブラハムを祝福しておられた。
24:2 そのころ、アブラハムは、自分の全財産を管理している家の最年長のしもべに、こう言った。「あなたの手を私のももの下に入れてくれ。
24:3 私はあなたに、天の神、地の神である【主】にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。
24:4 あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。」
24:5 しもべは彼に言った。「もしかして、その女の人が、私についてこの国へ来ようとしない場合、お子を、あなたの出身地へ連れ戻さなければなりませんか。」
24:6 アブラハムは彼に言った。「私の息子をあそこへ連れ帰らないように気をつけなさい。
24:7 私を、私の父の家、私の生まれ故郷から連れ出し、私に誓って、『あなたの子孫にこの地を与える』と約束して仰せられた天の神、【主】は、御使いをあなたの前に遣わされる。あなたは、あそこで私の息子のために妻を迎えなさい。
24:8 もし、その女があなたについて来ようとしないなら、あなたはこの私との誓いから解かれる。ただし、私の息子をあそこへ連れ帰ってはならない。」
24:9 それでしもべは、その手を主人であるアブラハムのももの下に入れ、このことについて彼に誓った。
24:10 しもべは主人のらくだの中から十頭のらくだを取り、そして出かけた。また主人のあらゆる貴重な品々を持って行った。彼は立ってアラム・ナハライムのナホルの町へ行った。
24:11 彼は夕暮れ時、女たちが水を汲みに出て来るころ、町の外の井戸のところに、らくだを伏させた。
24:12 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、【主】よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。
24:13 ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。
24:14 私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」
24:15 こうして彼がまだ言い終わらないうちに、見よ、リベカが水がめを肩に載せて出て来た。リベカはアブラハムの兄弟ナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘であった。
24:16 この娘は非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかった。彼女は泉に降りて行き、水がめに水を満たし、そして上がって来た。
24:17 しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」
24:18 すると彼女は、「どうぞ、お飲みください。だんなさま」と言って、すばやく、その手に水がめを取り降ろし、彼に飲ませた。
24:19 彼に水を飲ませ終わると、彼女は、「あなたのらくだのためにも、それが飲み終わるまで、水を汲んで差し上げましょう」と言った。
24:20 彼女は急いで水がめの水を水ぶねにあけ、水を汲むためにまた井戸のところまで走って行き、その全部のらくだのために水を汲んだ。
24:21 この人は、【主】が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。
24:22 らくだが水を飲み終わったとき、その人は、重さ一ベカの金の飾り輪と、彼女の腕のために、重さ十シェケルの二つの金の腕輪を取り、
24:23 尋ねた。「あなたは、どなたの娘さんですか。どうか私に言ってください。あなたの父上の家には、私どもが泊めていただく場所があるでしょうか。」
24:24 彼女が答えた。「私はナホルの妻ミルカの子ベトエルの娘です。」
24:25 そして言った。「私たちのところには、わらも、飼料もたくさんあります。それにまたお泊まりになる場所もあります。」
24:26 そこでその人は、ひざまずき、【主】を礼拝して、
24:27 言った。「私の主人アブラハムの神、【主】がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。【主】はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」
<要約>
アブラハムの決断:
アブラハムにはなお、神の約束の成就のために信仰の次の段階がありました。それは、世継ぎと決まったイサクに嫁を迎えることです。将来を見据えての決断です。それは、アブラハムの家の最年長のしもべを自分の生まれ故郷に遣わしてイサクの嫁を連れてくることでした。ここから、信仰者の決断を学ぶことができます。神は、私たち一人一人に約束を与えてくださいます。それが成就されていくためには、私たちがみことばに応答して一歩進みだす必要があります。アブラハムの家は豊かになり、イサクにすべてを継承する準備ができていました。そして、イサクが嫁を貰い、アブラハムから独立する時が来たのです。これは、イサクにとっては独立ですが、アブラハムにとっては、子離れと言えます。アブラハムはイサクを自分の子であっても、神の約束の子どもであるとしっかり認識していました。子育て中の皆さんも、神があなた方にお与えくださった子どもたちは、神があなたに託した神の約束の子どもです。その認識が大切です。子どもたちはあなた方から独立して必ず離れていきます。私たちは、子どもたちを神にお返ししていくのです。「あなたの子孫にこの地を与える」という約束に基づいてアブラハムは行動しております。それは、この偶像礼拝のカナン人の娘ではなく、同じ真の神を知っている親族のいる自分の故郷から嫁を迎えることでした。そのことを最年長のしもべに約束をさせました。しもべは言います。「もし、その女性がこの土地について来ない場合はどうします?」その時の答えは、イサクをアブラハムの郷里において帰ってはいけない、必ず戻しなさいというものです。アブラハムは自分の郷里にイサクの妻となる人がいるかどうか、この時点では、見えていなかったようです。アブラハムは、結果を前もって見ることはできなくても、二つのことにしっかり立っていました。一つは、神は約束を撤回することはないという信仰です。二つ目は、人は神の約束を撤回してはいけないということです。私たちも、前もって結果を見ることのできないことが多くあります。しかし、神様の約束を疑ってはいけません。神は約束を撤回なさらないと信じることです。神はあなたを幸せにすると、そして喜びにあふれる人生を与えると約束しているのですから、疑ってはいけません。まだ、結果が見えなくても、み言葉を握って約束を信じ続けるのです。アブラハムは神の約束をしっかり握って、決断して実行しました。人間は未来を読むことができません。しかし、神は約束を守られます。私たち信者に必要なことは、決断し、信じて従っていくことです。
しもべの勇気:
しもべは十頭のラクダと高価な品々をもって、目的地ナホルの町につきました。そこで、ラクダを伏させて祈りました。おそらく彼は、主人アブラハムの敬虔な祈りの姿を見て、神を知ったのでしょう。これは、私たちクリスチャンが、主イエスを通して神を知り、神を拝していることと似ています。このしもべはアブラハムを通して真の神と出会いました。私たちも主イエスを通して、真の神を知ることができます。この一連の出来事に、彼は、祈りで始め、礼拝と祈りで終わっています。かれは、私の主人アブラハムの神と言っています。アブラハム契約を与え実行してくださる神、約束の神であることを念頭に置いた祈りです。その約束をかなえてくださいとの願いを込めて神に呼び掛けているのです。彼は勇気と信仰をもって大胆に神に近づいています。私たちクリスチャンも私たちが信じている神はどのような方であるかを覚えるようにとイエス様は主の祈りを教えてくださいました。初めに「天にいます私たちの父よ」と祈ります。私たちがこの祈りで何を念頭に置いて祈るべきかを教えています。それは、私たちの神は、天地の創造主であり人知を超えた高いところにおられます。そして、私たちのお父さんです。だから、私たちのすべての必要を知っておられ、それらを与えて、守ってくださる方であることを信じて祈りなさいということです。次にこのしもべは、自分に与えられた任務が果たせるように主の取り計らいを祈りました。そして、主人アブラハムへの恵みを祈ります。これは、彼自身の祝福は主人の祝福であり同時に、主人の祝福は彼の祝福でもあるということです。私たちクリスチャンもイエス様の喜びを自分の喜びとするときに、祝福あふれる人生を送ることができるのです。そして、彼がイサクにとってふさわしい女性を与えてくださいと祈っています。祈りは即座に聞かれました。彼の祈りがまだ終わらないうちに目の前に、リベカが表われました。彼女は親戚の娘です。非常に美しく、処女で、男が触れたことがなかったとあります。水がめに水を満たして肩に担いで上がってきたところでした。そして、しもべの願いを聞いてすぐに対応しています。また、全部のラクダに水を飲ませました。そして、彼女がアブラハムの親戚の娘であることがわかり、そこで彼は主を礼拝して、主をほめたたえ、感謝をささげるのでした。イサクの妻にリベカが選らばれたのは、全く神の主権の中で繰り広げられたことです。このしもべは節理のうちにみこころがあらわされるように祈りました。そして、その通りの人が与えられました。私たちも、祈るときに節理のうちに神の御心があらわされていくことを願うのです。その為に、勇気をもって大胆に神に近づくのです。
リベカの行動力:
最後に、リベカの行動を見てみましょう。急いで水がめの水を水舟にあけて、井戸のところまで走っていきました。そして、十頭のラクダに水を飲ませるために往復するのです。ここに、「すばやく」「急いで」「走って」という言葉から、リベカの行動力がよく表現されています。想像するに、リベカは非常に美しいばかりでなく、健康で体力もあり。また、進んで人に奉仕する易しく気配りのある女性であったことがわかります。オープンで勇気があり積極的な女性であったと想像します。また、リベカは自分の親や家族を離れて、イサクの下へ旅立つのです。そこに、リベカの信仰と行動力を見ます。この三人はイサクの嫁探しということでイサクにために用いられた人たちです。イサクは前にも話しましたが、イエス・キリストのひな型です。このイサクのために用いられた三人の資質を見ると、決断、勇気、行動ということができると思います。それは、同時に、キリストのために生きる者の資質ということができます。決断と勇気と行動です。神はそれぞれにタラントを与えておられます。多い少ないは問題ではありません。神に与えられたタラントを用いることを神は望んでいます。そこに必要なのは、決断と勇気と行動です。この後、リベカはイサクと会い、結婚し救い主の系図に書き記されました。神が人類救済のご計画を遂行されるためにこれらの人々を用いました。その時から約二千年を経て、イエス・キリストがお生まれになりました。アブラハムへの約束は、イサクに引き継がれ、ヤコブに継がれ、イスラエル民族に、そして、ダビデを経て、ダビデの子孫であるキリストに至ったのです。「すべての民族はアブラハムによって祝福される」というアブラハムの契約は、イエス・キリストによって成就しました。現在、イエス・キリストによって全世界のあらゆる民族は祝福されています。それは、キリストが全人類の罪の身代わりとなって十字架にかかり、私たちの罪を赦し永遠のいのちに生きる者としてくださったからです。その名を信じた者には神の子どもとされる特権をお与えになったのです。キリストを信じる者は神の子とされる身分が与えられて神の国の相続者として永遠の祝福にあずかるのです。