キリストの昇天

2017年4月30 日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>使徒の働き1章3~14節
1:3 イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現れて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
1:4 彼らといっしょにいるとき、イエスは彼らにこう命じられた。「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
1:5 ヨハネは水でバプテスマを授けたが、もう間もなく、あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです。」
1:6 そこで、彼らは、いっしょに集まったとき、イエスにこう尋ねた。「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」
1:7 イエスは言われた。「いつとか、どんなときとかいうことは、あなたがたは知らなくてもよいのです。それは、父がご自分の権威をもってお定めになっています。
1:8 しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」
1:9 こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
1:10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
1:11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
1:12 そこで、彼らはオリーブという山からエルサレムに帰った。この山はエルサレムの近くにあって、安息日の道のりほどの距離であった。
1:13 彼らは町に入ると、泊まっている屋上の間に上がった。この人々は、ペテロとヨハネとヤコブとアンデレ、ピリポとトマス、バルトロマイとマタイ、アルパヨの子ヤコブと熱心党員シモンとヤコブの子ユダであった。
1:14 この人たちは、婦人たちやイエスの母マリヤ、およびイエスの兄弟たちとともに、みな心を合わせ、祈りに専念していた。
<要約>

神が主権をもって定めていること:

イエス様は、十字架と復活を中心とした、福音について、また、これからの宣教活動について、弟子たちに教えたのでしょう。また、旧約聖書に預言されていたご自分の生涯について解き明かされたのです。弟子たちはイエス様の復活の証人として宣教しました。そして弟子が弟子を生みました。その時から二千年の歳月が過ぎていますが、聖書は決して廃棄されることのない書物です。なぜなら今も世界中の人々に神のメッセージを語り続けているからです。みことばは必ず成就します。十字架の言葉は救いを得させる神の力です。とパウロが語った通りその効力は薄くなっていくことはありません。福音によって、今も、多くの人々が死から命に移され、絶望がしぼむことのない希望に、苦しみが感謝に、悲しみが喜びに変えられています。これこそまさに福音の力なのです。「エルサレムを離れないで、父の約束を待ちなさい」と。父の約束とは、聖霊が来られるということです。弟子たちは、「主よ。今こそ、イスラエルのために国を再興してくださるのですか。」とイエス様に問いました。弟子たちはまだ、ユダヤ民族の救い主としてのイエス様に期待を抱いていたようです。彼らにはまだ、神の国が理解できなかったのです。それに対してイエス様は、やがて来る神の国は、父なる神の主権の中できめられているので、いつどんな時かは、あなたがたは知らなくてよいのだというのです。十字架も復活も歴史的事実です。そして、神がたてられた人類救済のご計画は、現在進行形で進んでいます。神が主権をもって定めていることは、現在に至り、今、ここであなたに及んでいるということです。皆さんお一人お一人は神の人類救済のご計画のうちに組み込まれています。ですから、私たちは、ますます、神を恐れ、愛し、信頼していきましょう。

聖霊が臨まれた結果:

「しかし、聖霊があなたがたの上に臨まれるとき、あなたがたは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤとサマリヤの全土、および地の果てにまで、わたしの証人となります。」

聖霊が臨まれるとき力を受けます。イエス様が去って行った後に、天より聖霊が臨みます。それはペンテコステに起こった神のわざです。聖霊は霊ですから目に見えません。でも、聖霊はその働きとしてみることができます。風は見えないけれども、木の枝が揺れることにより、風があるのがわかるというのです。同様に、聖霊は見えませんが、聖霊によってイエス様を信じて新しく生まれた人を見ると聖霊がおられるのがわかるのです。ですから、聖霊はその働きによって知ることができます。聖霊が与える力とは何でしょうか。「イエス様の証人」となる力です。キリストの十字架による罪の赦しと復活によって与えられたいのちがあります。そして、それは体験したもののみが明かすことができます。聖霊によって生まれたもののみが福音を知らせることができるのです。イエス・キリストの十字架と復活の証人となること。これが福音宣教であり、神の国の到来です。そして、全世界に福音が伝えられています。また、聖霊の力は、敵をも愛する十字架の力です。また、聖霊の力は殉教をも恐れない力です。そのように聖霊が皆さん一人一人に臨まれた結果は、何でしょうか。それは、皆さんがイエス・キリストの十字架と復活の証人として生きることです。具体的には、皆さんがイエス様の心をいただき隣人に対して、小さなキリストとなるのです。

イエス様の昇天と再臨の希望:

弟子たちは天を見つめていました。雲に包まれて見えなくなったイエス様がまた、現れるのではないかと見ていたのでしょう。その時、白い衣をまとった二人の天使が言いました。「天に昇って行かれるのをあなた方が見た時と同じ有様で、また、おいでになります。」と。これは、再臨の約束です。イエス様は今、神の右に座しておられます。これは、天においても地においてもすべての権威を握っておられるということです。昇天された後、イエス様が不在になったのでしょうか。否、マタイ福音書によると、イエス様は昇天の時に、いつまでもあなた方とともにいると約束されました。イエス様は教会におられます。信者が二人三人いるところにおられます。聖餐式のパンとブドウ液とともにおられます。イエス様は、偏在の主です。どこにでもおられます。そして、信者の祈りを聞いてくださいます。父なる神にとりなしをしていてくださいます。再臨の時には、キリストは公平な審判者としてこられます。裁判官は、法に照らし、ある人を無罪、ある人を有罪と定めます。それが審判です。キリストはすべての人の全生涯を律法でさばきます。それは、行いばかりでなく、心のはかりごとまで全てを含みます。どんな罪にも神は怒りを持っておられます。み怒りの日には、だれがそれに耐えられよう、と書いています。でも、ご安心ください。神は、世を愛し、あなたが滅びてしまうのを惜しまれ、罪を取り除くために一人の御子キリストをお与えくださいました。そして、罪のないキリストをあなたの身代わりとして十字架につけ断罪しました。それゆえ、御子の十字架のあがないによりあなたのすべての罪は赦されて、神のいのちが与えられます。神は、イエス様の十字架と復活の証人である私たちを用いて全世界に宣教なさいます。教会はそのために建てられたのです。再臨は、信じる者にはこの上もない祝福と決して奪われることのない喜びなのです。

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