願いと神の応答

2017年2月5日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>Ⅰ列王記3章1~15節
3:1 ソロモンはエジプトの王パロと互いに縁を結び、パロの娘をめとって、彼女をダビデの町に連れて来、自分の家と【主】の宮、および、エルサレムの回りの城壁を建て終わるまで、そこにおらせた。
3:2 当時はまだ、【主】の名のための宮が建てられていなかったので、民はただ、高き所でいけにえをささげていた。
3:3 ソロモンは【主】を愛し、父ダビデのおきてに歩んでいたが、ただし、彼は高き所でいけにえをささげ、香をたいていた。
3:4 王はいけにえをささげるためにギブオンへ行った。そこは最も重要な高き所であったからである。ソロモンはそこの祭壇の上に一千頭の全焼のいけにえをささげた。
3:5 その夜、ギブオンで【主】は夢のうちにソロモンに現れた。神は仰せられた。「あなたに何を与えようか。願え。」
3:6 ソロモンは言った。「あなたは、あなたのしもべ、私の父ダビデに大いなる恵みを施されました。それは、彼が誠実と正義と真心とをもって、あなたの御前を歩んだからです。あなたは、この大いなる恵みを彼のために取っておき、きょう、その王座に着く子を彼にお与えになりました。
3:7 わが神、【主】よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。
3:8 そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。
3:9 善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」
3:10 この願い事は主の御心にかなった。ソロモンがこのことを願ったからである。
3:11 神は彼に仰せられた。「あなたがこのことを求め、自分のために長寿を求めず、自分のために富を求めず、あなたの敵のいのちをも求めず、むしろ、自分のために正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、
3:12 今、わたしはあなたの言ったとおりにする。見よ。わたしはあなたに知恵の心と判断する心とを与える。あなたの先に、あなたのような者はなかった。また、あなたのあとに、あなたのような者も起こらない。
3:13 そのうえ、あなたの願わなかったもの、富と誉れとをあなたに与える。あなたの生きているかぎり、王たちの中であなたに並ぶ者はひとりもないであろう。
3:14 また、あなたの父ダビデが歩んだように、あなたもわたしのおきてと命令を守って、わたしの道を歩むなら、あなたの日を長くしよう。」
3:15 ソロモンが目をさますと、なんと、それは夢であった。そこで、彼はエルサレムに行き、主の契約の箱の前に立って、全焼のいけにえをささげ、和解のいけにえをささげ、すべての家来たちを招いて祝宴を開いた。

<要約>

ソロモン王の献身:

「ソロモンは主を愛し」と書かれています。ソロモンは、ギブオンでは一千頭の全焼のいけにえをささげています。この後、神殿奉献では牛、二万二千頭、羊十二万頭と桁外れの数のいけにえをささげています。ソロモンの惜しみなく捧げる所から、ソロモンが神を愛し第一とする人であったことがわかります。そして、「父ダビデのおきてに歩んでいた」とあります。ソロモンはダビデの信仰を見て育ったのです。ダビデのように神を愛し、ダビデのように神に従い、ダビデのように神を恐れ、ダビデのように神に信頼していたのです。また、ダビデも惜しみなく捧げる人でした。しかし、気になるのは、「父ダビデのおきてに歩んでいた」というのは、父ダビデに倣ったということです。このことから、ソロモンはダビデと同じ失敗をしました。それは、女性の問題です。私たちの信仰は人に倣ってはいけません。キリストに倣って、聖書に生きるのです。ソロモンが神の祭壇があるところで一千頭の全焼のいけにえをささげたその夜、主が夢の中に現れて仰せられました。

ソロモン王の願い:

神は、ソロモンに「あなたに何を与えようか。願え。」と言われました。神はクリスチャンに、「大胆に神に願いなさい」と奨めておられます。イエス様は主の祈りを教えられました。また、求めなさい、たたきなさい、捜しなさい、と奨めています。イエス様を信じて洗礼を受けた者の身分は何でしょうか。神の子、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有の民です。クリスチャンは王の王である神の王子、王女なのです。プリンス、プリンセスなのです。だから、父であり王である神に大胆に願っていいのです。さて、ソロモンは、何を願ったのでしょうか。まず、最初にソロモンは過去の神の恵みを感謝しています。父ダビデを選び大いなる恵みを与えられたことです。そして、ダビデは全き心を持って主に仕えました。彼は、誠実と正義と真心をもって、御前を歩んだとあります。そこには、神の選びと、ダビデの子孫に人類の救い主を誕生させるという神のご計画があったのです。次にソロモンは神の継続する恵みに感謝しています。ダビデへの恵みをその子ソロモンに与えてくださった事を感謝しています。神の恵みは、継続する恵みです。自分たち一代に終わるものではありません。信仰が子どもたち、孫たちに継承されていくように祈らなければなりません。ソロモンは、神の民であるイスラエル民族を正しく治めることができるように、善悪を判断して民を治め、正しく裁く知恵を求めたのです。神はイスラエルの先祖アブラハムを選んで、その子孫を祝福し空の星、海辺の砂のようにその数を増やすと約束しました。それがイスラエル民族です。そして、イスラエル民族を通して恵みと祝福を全民族に届けようとなさいました。選ばれた種族、聖なく国民、王なる祭司の身分が与えられました。しかし、彼らは神を愛し恐れることをせず、また、神を信頼することがなく、周辺諸国の神々に心惹かれて神から離れてしまいました。そこで、神はダビデを、民を救う王としてお立てになりました。そして、王国の世継ぎのソロモンはエルサレムに神殿を建て、その神殿を中心とした国家を打ち立てようとしました。しかし、ソロモンの堕落以後、国家は分裂し周辺の大国に支配されるのです。イスラエル民族は心が神から離れてしまい、ついには、救い主である神の子イエス・キリストを十字架で殺してしまいました。この選びの民が、捨てた石が礎となって、恵みと祝福が全民族に及んでいるのです。『家を建てる者たちの見捨てた石、それが礎の石になった。』見捨てた石、それはイエス・キリストのことです。不思議なことですが、このような形で聖書の預言は成就しました。すなわち、イスラエル民族を通して全人類を祝福するという約束です。アブラハムの子孫にキリストが出て、全人類の救い主となったのです。キリストを通してすべての人は罪赦されて永遠の祝福に与ることができるのです。神の祝福、それはいのちの祝福です。イエス・キリストが十字架であなたの罪の呪いである死を味わってくださいました。それゆえ、信じる者は罪の呪いが取り除かれて、神のいのちにつながるのです。それは永遠の命です。永遠の滅びから永遠の命に移されるのです。ソロモンはキリストのタイプ、ひな型です。預言者ナタンが神のことばをダビデに語りました。「あなたの身から出る世継ぎの子を、あなたのあとに起こし、彼の王国を確立させる。彼はわたしの名のために一つの家を建て、わたしはその王国の王座をとこしえまでも堅く立てる。」「あなたの身から出る世継ぎの子」というのは直接的にはソロモンを指しますが、とこしえの王座というのはキリストを指しています。ソロモンは王国の世継ぎでした、キリストは御国の世継ぎです。ソロモンは神殿を完成させました。この神殿は、キリストの身体のひな型です。かつては、民はエルサレムの神殿に詣でて神を礼拝しましたが、今は、キリストを通して神を礼拝します。それはまた、私たちクリスチャンを恵みの王国の王としてキリストが治めてくださっているということです。

神の応答:

この願い事は主の御心にかなったとあります。ソロモンは、自分のために長寿や富や敵のいのちを求めないで、正しい訴えを聞き分ける判断力を求めたので、神はソロモンに知恵の心と判断力をお与えになりました。さらに願わなかった富と誉もお与えになったのです。そして、王たちの中でソロモンに並ぶものはないと彼を高く引き上げたのです。ソロモンはエルサレムで神の箱の前で感謝と和解のいけにえをささげました。この和解のいけにえは、キリストが神と人類の間に立って和解のいけにえとなったことをあらかじめ示しているのです。このように、旧約聖書はいたるところでキリストを映しています。今日は読まなかったのですが、ソロモンに与えられた知恵によって解決した事件が紹介されています。二人の遊女が王の所にやってきました。二人にはそれぞれ乳児がいましたが、一人の女は夜の間に自分の子の上に伏したためにその子は亡くなりました。そこで、その女は死んだ自分の子ともう一人の女の子どもと夜の間に取り換えたのです。双方が、これは自分の子だと主張しています。この種の問題は、通常役人や長老たちにより裁かれるが、この場合は、判決が難しく、王の所に持ってきたのだろうと思われます。ソロモンは神から与えられた知恵を早速用いました。二人の話が食い違っているのを聞いて、ソロモンは剣で子どもを二つに切り、二人で分けるように命じます。この命令を聞いて、一人の女性は子どもを哀れに思って胸が熱くなり、「あの女にあげるから、子どもを殺さないで」と言いました。しかし、もう一人の女性は王の命令に賛成したのです。ソロモンは二人のことばを聞いて最初の女性が本当の母であると判断しました。王の下した裁きに対して、人々は驚嘆し王を恐れたのです。今日はソロモンの願いと神の応答について学びました。クリスチャンはイエス・キリストを信じ、罪赦され、神の子とされ、御国の世継ぎとされた者たちです。神は世継ぎとされたソロモンに対してと同じようにクリスチャンに声をかけてくださっています。「何をしてあげよう。願え」と。私たちは日々、神に願い求めていますか?み心にかなう願いをするとき、神は、私たちが願った以上のことをしてくださいます。