無力の中に働く神の力

2017年1月22日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>士師記7章1~15節
7:1 それで、エルバアル、すなわちギデオンと、彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にあった。
7:2 そのとき、【主】はギデオンに仰せられた。「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。イスラエルが『自分の手で自分を救った』と言って、わたしに向かって誇るといけないから。
7:3 今、民に聞こえるように告げ、『恐れ、おののく者はみな帰りなさい。ギルアデ山から離れなさい』と言え。」すると、民のうちから二万二千人が帰って行き、一万人が残った。
7:4 すると、【主】はギデオンに仰せられた。「民はまだ多すぎる。彼らを連れて水のところに下って行け。わたしはそこで、あなたのために彼らをためそう。わたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行かなければならない』と言うなら、その者は、あなたといっしょに行かなければならない。またわたしがあなたに、『この者はあなたといっしょに行ってはならない』と言う者はだれも、行ってはならない。」
7:5 そこでギデオンは民を連れて、水のところに下って行った。すると、【主】はギデオンに仰せられた。「犬がなめるように、舌で水をなめる者は残らず別にしておき、また、ひざをついて飲む者も残らずそうせよ。」
7:6 そのとき、口に手を当てて水をなめた者の数は三百人であった。残りの民はみな、ひざをついて水を飲んだ。
7:7 そこで【主】はギデオンに仰せられた。「手で水をなめた三百人で、わたしはあなたがたを救い、ミデヤン人をあなたの手に渡す。残りの民はみな、それぞれ自分の家に帰らせよ。」
7:8 そこで彼らは民の糧食と角笛を手に取った。こうして、ギデオンはイスラエル人をみな、それぞれ自分の天幕に送り返し、三百人の者だけを引き止めた。ミデヤン人の陣営は、彼から見て下の谷にあった。
7:9 その夜、【主】はギデオンに仰せられた。「立って、あの陣営に攻め下れ。それをあなたの手に渡したから。
7:10 しかし、もし下って行くことを恐れるなら、あなたに仕える若い者プラといっしょに陣営に下って行き、
7:11 彼らが何と言っているかを聞け。そのあとで、あなたは、勇気を出して、陣営に攻め下らなければならない。」そこで、ギデオンと若い者プラとは、陣営の中の編隊の端に下って行った。
7:12 そこには、ミデヤン人や、アマレク人や、東の人々がみな、いなごのように大ぜい、谷に伏していた。そのらくだは、海辺の砂のように多くて数えきれなかった。
7:13 ギデオンがそこに行ってみると、ひとりの者が仲間に夢の話をしていた。ひとりが言うには、「私は今、夢を見た。見ると、大麦のパンのかたまりが一つ、ミデヤン人の陣営にころがって来て、天幕の中にまで入り、それを打ったので、それは倒れた。ひっくり返って、天幕は倒れてしまった。」
7:14 すると、その仲間は答えて言った。「それはイスラエル人ヨアシュの子ギデオンの剣にほかならない。神が彼の手にミデヤンと、陣営全部を渡されたのだ。」
7:15 ギデオンはこの夢の話とその解釈を聞いたとき、主を礼拝した。そして、イスラエルの陣営に戻って言った。「立て。【主】はミデヤン人の陣営をあなたがたの手に下さった。」

<要約>

人間の力を無に帰する神:

イスラエル人は真の神である主を忘れ、他民族の偶像を神として不道徳に走りました。主は、彼らをミデヤン人に渡しました。ミデヤン人はイスラエル人の土地に侵入して、産物を荒らし、イスラエル人を襲いました。民は主に助けを叫び求めました。そこで、主は、民にお語りになりました。それは、彼らが、神の声に聞き従わず、不信仰になって、神から離れてしまったことです。そのために非常に弱くなり、周辺民族ここではミデヤン人から多大な圧迫を受けるようになったのです。主は、民をあわれみ、ギデオンを立てて彼らに遣わしました。いよいよ、ミデヤン人の陣営にギデオンが率いるイスラエル軍が戦闘を開始する時が来ました。ミデヤン人の軍隊は十三万五千人でありました。しかし、イスラエル軍は、三万二千人でした。圧倒的な劣勢です。しかし、主は「あなたと一緒にいる民は多すぎるからミデヤン人を渡さないと言われました。」それは、イスラエルが「自分の手で自分を救った」と言って神に向かって高慢にならないためでした。これは、人間の罪の性質を神はよく知っているからです。私たちは少しの手柄を誇り、自分の力に頼りやすいのです。そして、神はいらないと不信仰になるのです。さらに主は、主が選ぶ者だけが戦闘に加われるようギデオンに話します。そこでギデオンは泉の所へ民を連れて行き、精鋭三百人を残します。神は徹底的に、人間の力を打ち崩し、人間は誇ることはできない状況にギデオンを追い込まれました。私たちは自分の弱さ、無力さを知り、反対に神の力を知ることを学ばなければなりません。修道院ではラテン語で「メメントモリ」という言葉を挨拶に交わしていると聞いたことがあります。それは、「私たちは死ぬべきものであることを心に銘記せよ」という意味です。私たちのこの世のいのちはかないものです。明日もわかりません。どうせ死ぬのだからあきらめなさい、というのではなく、死があるからこそ永遠を与える神を恐れ信頼しなさい、というのが、「メメントモリ」です。私たちにいのちを与え、今、支えてくださっているのは造り主の神なのです。罪によって死が入ったと書いているように、私たちが死ぬべきものになったのは神を無視し、神から遠く離れた人間の罪のためです。あなたは、自分で生きているように錯覚しています。そして、神は必要ないと言います。神から心が遠く離れていることです。それは、神のいのちから断絶されている状況です。その罪を取り除き、人が神と和解し、本来のいのちである永遠のいのちを与えるために神のイエス・キリストが人となって来てくださったのです。

御力を現す神:

人間の力を無に帰した神は、そこで御力を現わされるのです。徹底的に力をそがれたギデオンは、人間の力が及ばないことを覚えました。ギデオンは、心の奥は不安と恐れで満ちていたと思います。恐れがあってもよいのです。神に申しあげればよいのです。神は、ギデオンが臆病なのをよくご存じで配慮なさったのです。私たちも恐れ不安の時は主に申しあげることです。主は恐れ不安を確信に変えてくださいます。ギデオンが、陣営に下って行って、そこで、耳にしたのが、敵の陣営で二人の歩哨たちの会話です。これによって、ギデオンは勝利を確信しました。そして、主を礼拝しました。また、具体的な作戦を立てることができました。それは、角笛とからの壺、そして松明です。その三つを用いて、300人が三つに分かれて周囲から攻め入る方法です。そして「主のためだ。ギデオンのためだ」と宣言するのです。真夜中の夜番が始まるころ、三体に分かれた男たちはまず、角笛を吹き鳴らしました。そして、手に持っていた壺を打ち壊しました。そして、「主のためだ。ギデオンのためだ。」と叫ぶのです。番兵が交代したばかりで、体制が緩んだ時でした、騒音で、びっくりした兵士は敵がすでに陣営に侵入したと思い、恐怖で包まれます。壺の割れる音や大きな叫び声で多くのラクダが暴走し始めたと思います。そして、三百の松明がうねるように山の上から降りてくる情景を見て大群の襲来と思い、恐怖に包まれて、パニックになりました。「陣営のものは走り出し、おお声を上げて逃げた」のです。混乱した兵士は、闇の中に浮かぶ影が味方なのか敵なのか判断できずに、同士討ちが始まります。ギデオンは大勝利をおさめて民を救ったのです。この戦いは徹底的に神の御力のあらわれでした。

勝利の秘訣:

ギデオンの勝利は、新約の民であるクリスチャンに勝利の秘訣を教えます。クリスチャンには三つの敵があると言いました。サタン、この世、私の不信仰な罪の性質。旧約の神の民は、不信仰のために世と妥協し世の誘惑に負けて失敗しました。サタンと世の力、人間の不信仰は強いのです。私たちは徹底的に無力を知って、神の力に頼るのです。私たちクリスチャンは、「世にあって世のものではない者たち」とイエス様が言いました。世と分離した存在です。しかし、同時に世の中で生きています。そして、世の光、世の塩として世に遣わされていると言えます。世の本質は不遜です。世は神に敵対しています。また、サタンは人々を神から引き離そうと一生懸命です。そして、私たちには神に頼りたくない不信仰があります。しかし、私たちは自分の力に頼らず神の力に頼るとき勝利するのです。なぜなら、キリストがすでにそれらに勝利してくださっているからです。死は勝利の飲まれたと聖書は宣言しています。キリストの十字架の贖いにより、信じる者は死からいのちに移されています。この肉体は死を迎えても神のいのちにつながっていますので、信じる者は永遠に生きるものとされました。それが福音です。この世にあっては艱難がある。しかし、勇敢でありなさい。わたしは世に勝ったのです。と言われた主イエスを心にお迎えして神により頼む人生こそ勝利です。

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