2025年3月20日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>ヨハネによる福音書20章1~18節
【新改訳2017】
20:1 さて、週の初めの日、朝早くまだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓にやって来て、墓から石が取りのけられているのを見た。
20:2 それで、走って、シモン・ペテロと、イエスが愛されたもう一人の弟子のところに行って、こう言った。「だれかが墓から主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私たちには分かりません。」
20:3 そこで、ペテロともう一人の弟子は外に出て、墓へ行った。
20:4 二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子がペテロよりも速かったので、先に墓に着いた。
20:5 そして、身をかがめると、亜麻布が置いてあるのが見えたが、中に入らなかった。
20:6 彼に続いてシモン・ペテロも来て、墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。
20:7 イエスの頭を包んでいた布は亜麻布と一緒にはなく、離れたところに丸めてあった。
20:8 そのとき、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来た。そして見て、信じた。
20:9 彼らは、イエスが死人の中からよみがえらなければならないという聖書を、まだ理解していなかった。
20:10 それで、弟子たちは再び自分たちのところに帰って行った。
20:11 一方、マリアは墓の外にたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。
20:12 すると、白い衣を着た二人の御使いが、イエスのからだが置かれていた場所に、一人は頭のところに、一人は足のところに座っているのが見えた。
20:13 彼らはマリアに言った。「女の方、なぜ泣いているのですか。」彼女は言った。「だれかが私の主を取って行きました。どこに主を置いたのか、私には分かりません。」
20:14 彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。そして、イエスが立っておられるのを見たが、それがイエスであることが分からなかった。
20:15 イエスは彼女に言われた。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」彼女は、彼が園の管理人だと思って言った。「あなたがあの方を運び去ったのでしたら、どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります。」
20:16 イエスは彼女に言われた。「マリア。」彼女は振り向いて、ヘブル語で「ラボニ」、すなわち「先生」とイエスに言った。
20:17 イエスは彼女に言われた。「わたしにすがりついていてはいけません。わたしはまだ父のもとに上っていないのです。わたしの兄弟たちのところに行って、『わたしは、わたしの父であり、あなたがたの父である方、わたしの神であり、あなたがたの神である方のもとに上る』と伝えなさい。」
20:18 マグダラのマリアは行って、弟子たちに「私は主を見ました」と言い、主が自分にこれらのことを話されたと伝えた。
<要約>
悲しみと絶望は喜びと希望に変わる:
死がもたらす別離の悲しみは多くの人が経験するものです。人の死は、自分の死を見つめる機会となります。死を見つめることは大切であることを聖書は説いています。イエス様を信じる者には、死が、喜びへの入り口であり、希望であります。そこに福音の力があります。イエス様の救いは、罪と死と滅びからの救いです。生まれながらの人間は自らの罪により死と滅びに定められています。しかし、イエス様の十字架はその罪を取り除いてくださったのです。信じる者には、罪の報酬としての死はもうなくなりました。ただ、神からのプレゼントとしての永遠の命があるのです。これが、イエス様が十字架で死んで復活されたことの意味です。イエス・キリストが歴史的人物で偉大な聖人であると聞いていても、救い主であることを知らない人々がほとんどです。そのような方々には、いまだに、死の別離は大きな悲しみであり、また、やがて来る自分の死もあきらめて受け入れていかなければならないものに違いないのです。それに対して、キリストの十字架と復活を信じる者には、永遠のいのちが与えられます。信じる者には、悲しみは喜びに、絶望は希望に変わるということです。
すがりつく信仰と祝福:
マリヤは「だれかが私の主を取っていきました」と「私の主」と言いました。マリヤは、私たちの主、ではなく、私の主とイエス様を独占しています。弟子のトマスもイエス様を「私の主、私の神よ」と言っています。これは何を意味しているのでしょうか?私たちは、イエス様を独り占めにしておすがりしてよいということです。主は、あなたを個人的に求めておられます。私の主と言って、主を独占し、主にすがりつき、主の元から離れない信仰者の代表でした。イエス様はすがりつく者の声に耳を傾けてくださいます。すがりつく者はイエス様をそれだけ深く体験していると言えるでしょう。それは大きな祝福です。神を身近に体験できるということは何という祝福でしょうか。イエス様と疎遠になっていませんか?イエス様に近づきましょう。具体的には主を呼び求めることです。朝に夕に主を呼び求めることです。主はみことばを持って答えてくださいます。聖書の言葉をとおして私たちに語りかけ私たちを強めてくださいます。聖書を毎日読みましょう。あなたに苦難や困難に乗り越える力を与えくださいます。