2025年6月29日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
約束の通り背後で導く神:
ヤコブは神の下さった約束を握って祈ります。ヤコブは、過去の神の恵みを思い起こして、神が約束を守る真実なお方であることを確認しています。私たちが問題に出会ったときに、まず、私たちは祈ります。そして、今自分にできることを準備するのです。与えられた知恵や才能を使って準備をするのです。それが、信仰的な態度です。ヤコブは不安を抱いたときに祈りました。神は、私たちに祈り求めるよう命令しております。そして、神ご自身が助け出すと約束しております。祈ったとき、祈りの答えが自分の思い通りのものでなかったとしても、最後には平安が与えられるのです。苦難の中で祈り続けます。そうすれば、最後に「神は真実なかたである」という確信に行きつくのです。それが祈りの力です。私たちは、祈るたびに、神が真実な方であること、あわれみ深い方であることがわかります。祈らなければ、わからない。祈らなければ神をよく知ることはできません。祈らなければそばにいて見守っておられる神を感じるということもありません。
貪欲に神を求める祝福:
ヤコブは、もともと、押しのけてでも人の先に立とうとする人でした。ヤコブは、貪欲にみ使いに迫ります。そして、何とか自分と自分の家族を守ってほしいと力ずくで迫ったのです。そこで、二人は取っ組み合いとなりました。一晩中戦いましたが、勝負がつきません。すると、その人は、ヤコブの腿を打ってから、やっと口を開いて、私を去らせなさいと云いました。ヤコブは、いいえ、私を祝福してくださらなければ放しません、と必死にしがみついたのです。その人はついにヤコブを祝福しました。神は、同様に私たちが貪欲に求めることを望んでいます。なぜなら、神は私たちを思いっきり祝福したいからです。ですから、求めなさいと勧めています。私たちは毎日、切に神を求めましょう。また、神は、ヤコブの腿のつがいを打ったように、私たちを打つことがあります。私たちの罪の古い性質である自分中心の性質を改め指すためです。打たれて謙遜になるのです。ヤコブは兄エソウと会いまみえ抱き合ってともに泣きました。和解がなされました。十字架の目的は、人が神と和解することです。すべての敵意が取り除かれました。まだ、キリストの和解を受けていない人は、今、十字架の和解をいただきましょう。そして、和解を受けた私たちは貪欲に祝福を求めて生きましょう。
<聖書>創世記32章1~5、22~32節
【新改訳2017】
32:1 さて、ヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現れた。
32:2 ヤコブは彼らを見たとき、「ここは神の陣営だ」と言って、その場所の名をマハナイムと呼んだ。
32:3 ヤコブは、セイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使いを送った。
32:4 ヤコブは彼らに命じた。「私の主人エサウにこう伝えなさい。『あなた様のしもべヤコブがこう申しております。私はラバンのもとに寄留し、今に至るまでとどまっていました。
32:5 私には牛、ろば、羊、それに男女の奴隷がおります。それで私の主人であるあなた様にお知らせして、ご好意を得ようと使いをお送りしました。』」
32:22 その夜、彼は起き上がり、二人の妻と二人の女奴隷、そして十一人の子どもたちを連れ出し、ヤボクの渡し場を渡った。
32:23 彼らを連れ出して川を渡らせ、また自分の所有するものも渡らせた。
32:24 ヤコブが一人だけ後に残ると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。
32:25 その人はヤコブに勝てないのを見てとって、彼のももの関節を打った。ヤコブのももの関節は、その人と格闘しているうちに外れた。
32:26 すると、その人は言った。「わたしを去らせよ。夜が明けるから。」ヤコブは言った。「私はあなたを去らせません。私を祝福してくださらなければ。」
32:27 その人は言った。「あなたの名は何というのか。」彼は言った。「ヤコブです。」
32:28 その人は言った。「あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたが神と、また人と戦って、勝ったからだ。」
32:29 ヤコブは願って言った。「どうか、あなたの名を教えてください。」すると、その人は「いったい、なぜ、わたしの名を尋ねるのか」と言って、その場で彼を祝福した。
32:30 そこでヤコブは、その場所の名をペヌエルと呼んだ。「私は顔と顔を合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた」という意味である。
32:31 彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に昇ったが、彼はそのもものために足を引きずっていた。
32:32 こういうわけで、イスラエルの人々は今日まで、ももの関節の上の、腰の筋を食べない。ヤコブが、ももの関節、腰の筋を打たれたからである。