献金は信頼と献身の表れ

2025年10月5日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<要約>
最高権威者、圧倒的勝利者キリスト:

イエス様は十字架により私たちを罪と死と悪魔から解放して、完全にお救いになります。圧倒的な勝利者として今も、神の右の座につかれ、世の終わりにもう一度来られて、すべての悪を滅ぼし、信じる者を死と滅びと悪魔から救い出してくださるのです。キリストはダビデの家系の中に組み込まれダビデの子孫としてお生まれになりました。しかし、イエス様の証言から、イエス様は真の神でした。そして、神が処女マリヤが聖霊により身ごもり誕生したのが、イエス・キリストです。そのことからイエス様は罪のない神の独り子と呼ばれます。ですから、私たちはイエス様に全き信頼を置いて、すべてを委ねて安心して歩んでいいのです。今の困難や苦難はやがてキリストにより圧倒的な勝利にのまれます。この方に信頼して、安心していきましょう。私たちに必要なのは、もうしばらくの忍耐です。

外面を繕う律法学者と貧しいやもめ:

イエス様は献金箱に献金を投げ入れる一人の貧しいやもめをご覧になり、神に信頼し、全てを委ねるその貧しいやもめを神は大変喜びお褒めになりました。自分の身体もいのちもすべてを神が支えてくださるという信頼に基づいた行動です。ここではっきりわかることは、献金は額でないということです。しかし、神の求めるものは、献金で表される献身と神への信頼です。神は、私たちの罪を赦し私たちを永遠の滅びから救い出してくださいました。この大きな恩恵に対して、溢れるばかりの感謝を捧げることです。献金は神の恵みに対する感謝の応答です。大切なのは、「いやいやながらでなく、強いられてでもなく」喜んで感謝して捧げることです。アブラハム以来、イスラエルの民は持っているものの十分の一を祭壇のいけにえとしてささげるようになりました。また、それらは、祭司やレビ人の収入となりました。十一献金には大きな恵が伴います。人は献金することで、神への信頼が深まり、神の大きな愛とあわれみと助けを体験するのです。律法学者は、自分を正しく見せることをに注力しました。自分の弱さを隠し、傲慢になり、他の人を見下すような生き方です。それに対してやもめは自分の貧しさ、弱さを知り、謙遜でした。先のことがわからなくても神をどこまでも信頼していきます。不安定な現代社会で平安と感謝と希望に生きていくためには、人に頼る生き方ではなく、目には見えませんが、生きて働かれる神に頼って生きることです。

<聖書>マルコによる福音書12章35~44節
【新改訳2017】
12:35 イエスは宮で教えていたとき、こう言われた。「どうして律法学者たちは、キリストをダビデの子だと言うのですか。
12:36 ダビデ自身が、聖霊によって、こう言っています。『主は、私の主に言われた。「あなたは、わたしの右の座に着いていなさい。わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまで。」』
12:37 ダビデ自身がキリストを主と呼んでいるのに、どうしてキリストがダビデの子なのでしょう。」大勢の群衆が、イエスの言われることを喜んで聞いていた。
12:38 イエスはその教えの中でこう言われた。「律法学者たちに気をつけなさい。彼らが願うのは、長い衣を着て歩き回ること、広場であいさつされること、
12:39 会堂で上席に、宴会で上座に座ることです。
12:40 また、やもめたちの家を食い尽くし、見栄を張って長く祈ります。こういう人たちは、より厳しい罰を受けます。」
12:41 それから、イエスは献金箱の向かい側に座り、群衆がお金を献金箱へ投げ入れる様子を見ておられた。多くの金持ちがたくさん投げ入れていた。
12:42 そこに一人の貧しいやもめが来て、レプタ銅貨二枚を投げ入れた。それは一コドラントに当たる。
12:43 イエスは弟子たちを呼んで言われた。「まことに、あなたがたに言います。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れている人々の中で、だれよりも多くを投げ入れました。
12:44 皆はあり余る中から投げ入れたのに、この人は乏しい中から、持っているすべてを、生きる手立てのすべてを投げ入れたのですから。」


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