2025年9月21日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
神との関係を無視する人間:
神は最初にイスラエルを選ばれました。イスラエル民族を通して、すべての民族を祝福し、人類を罪から救おうとしました。それに対して、民の指導者たちは神を拒絶し続けました。そのことがこのたとえ話です。これは一見イスラエル民族だけの問題のようですが、私たちすべての人間の問題でもあります。私たちは目先のことに心を奪われて、心で見えるはずの神を見ることができなくなっています。そして、神の存在を心で否定しています。今日の個所では、神が選んで聖なる国民としたイスラエル、ユダヤ民族について、歴史の中で、彼らが、真の神を無視し、捨てたことをイエス様は怒られました。その間、真の神に立ち返るように何度も預言者を送りましたが、彼らは無視し、殺してしまいました。そして、最後に神の御子、王国の王子であるイエス・キリストをお送りになりましが、十字架で殺してしまったのです。しかし、そのようなイスラエルに対して、神は最初の約束を忘れることはありません。これは、神のあわれみと約束によりメシヤ、キリストによる十字架の贖いがなされること。それにより、イスラエルの罪を消し去ってくださることの預言です。あなたに関心をもって心配しておられる神を無視することはやめましょう。
礼服(キリスト)を着て御国に入る:
神の救いに与る条件は、良い人間、悪い人間など、その人の人格は関係ありません。ただ、神が提供してくださった礼服であるイエス・キリストを着るということだけでよいのです。これは、イエス・キリストを救い主として信じることでよいのです。これが神の恵みです。想像するに、招かれた人々は大通にいた人々です。ですから、礼服の下は普段着で汚れていたでしょう。内側はどんなに汚れていても礼服を着ていたのでそれでオーケーということです。私たちも自分の内側を見ると、罪、けがれでいっぱい、王子の祝宴にふさわしくないと感じる人もいるかもしれません。しかし、キリストを着ていればそれでオーケーということです。それは、キリストを信じて心の内にお迎えすることです。すべての人にイエス・キリストの救いが提供されています。しかし、洗礼を受けてキリストを着る、すなわち救われる人は少ないと言えます。あなたの神がお与えくださる祝福を味わい、また、それを知らない人々に伝えていきましょう。
<聖書>マタイによる福音書22章1~14節
【新改訳2017】
22:1 イエスは彼らに対し、再びたとえをもって話された。
22:2 「天の御国は、自分の息子のために、結婚の披露宴を催した王にたとえることができます。
22:3 王は披露宴に招待した客を呼びにしもべたちを遣わしたが、彼らは来ようとしなかった。
22:4 それで再び、次のように言って別のしもべたちを遣わした。『招待した客にこう言いなさい。「私は食事を用意しました。私の雄牛や肥えた家畜を屠り、何もかも整いました。どうぞ披露宴においでください」と。』
22:5 ところが彼らは気にもかけず、ある者は自分の畑に、別の者は自分の商売に出て行き、
22:6 残りの者たちは、王のしもべたちを捕まえて侮辱し、殺してしまった。
22:7 王は怒って軍隊を送り、その人殺しどもを滅ぼして、彼らの町を焼き払った。
22:8 それから王はしもべたちに言った。『披露宴の用意はできているが、招待した人たちはふさわしくなかった。
22:9 だから大通りに行って、出会った人をみな披露宴に招きなさい。』
22:10 しもべたちは通りに出て行って、良い人でも悪い人でも出会った人をみな集めたので、披露宴は客でいっぱいになった。
22:11 王が客たちを見ようとして入って来ると、そこに婚礼の礼服を着ていない人が一人いた。
22:12 王はその人に言った。『友よ。どうして婚礼の礼服を着ないで、ここに入って来たのか。』しかし、彼は黙っていた。
22:13 そこで、王は召使いたちに言った。『この男の手足を縛って、外の暗闇に放り出せ。この男はそこで泣いて歯ぎしりすることになる。』
22:14 招かれる人は多いが、選ばれる人は少ないのです。」