むなしい生き方からの解放

2,025年7月27日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>Ⅰ列王記18章19~40節
新改訳2017
18:19 今、人を遣わして、カルメル山の私のところに、全イスラエル、ならびにイゼベルの食卓に着く、四百五十人のバアルの預言者と四百人のアシェラの預言者を集めなさい。」
18:20 そこで、アハブはイスラエルのすべての人々に使者を遣わして、預言者たちをカルメル山に集めた。
18:21 エリヤは皆の前に進み出て言った。「おまえたちは、いつまで、どっちつかずによろめいているのか。もし【主】が神であれば、主に従い、もしバアルが神であれば、バアルに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。
18:22 そこで、エリヤは民に向かって言った。「私一人が【主】の預言者として残っている。バアルの預言者は四百五十人だ。
18:23 私たちのために、彼らに二頭の雄牛を用意させよ。彼らに、自分たちで一頭の雄牛を選び、それを切り裂いて薪の上に載せるようにさせよ。火をつけてはならない。私は、もう一頭の雄牛を同じようにし、薪の上に載せて、火をつけずにおく。
18:24 おまえたちは自分たちの神の名を呼べ。私は【主】の名を呼ぶ。そのとき、火をもって答える神、その方が神である。」民はみな答えて、「それがよい」と言った。
18:25 エリヤはバアルの預言者たちに言った。「おまえたちで一頭の雄牛を選び、おまえたちのほうから、まず始めよ。人数が多いのだから。おまえたちの神の名を呼べ。ただし、火をつけてはならない。」
18:26 そこで彼らは、与えられた雄牛を取って、それを整え、朝から真昼までバアルの名を呼んだ。「バアルよ、私たちに答えてください。」しかし何の声もなく、答える者もなかった。そこで彼らは、自分たちが造った祭壇のあたりで踊り回った。
18:27 真昼になると、エリヤは彼らを嘲って言った。「もっと大声で呼んでみよ。彼は神なのだから。きっと何かに没頭しているか、席を外しているか、旅に出ているのだろう。もしかすると寝ているのかもしれないから、起こしたらよいだろう。」
18:28 彼らはますます大声で叫び、彼らの慣わしによって、剣や槍で、血を流すまで自分たちの身を傷つけた。
18:29 このようにして、昼も過ぎ、ささげ物を献げる時まで騒ぎ立てたが、何の声もなく、答える者もなく、注目する者もなかった。
18:30 エリヤが民全体に「私のそばに近寄りなさい」と言ったので、民はみな彼に近寄って来た。彼は、壊れていた【主】の祭壇を築き直した。
18:31 エリヤは、【主】がかつて「あなたの名はイスラエルとなる」と言われたヤコブの子たちの部族の数にしたがって、十二の石を取った。
18:32 その石で、彼は【主】の御名によって一つの祭壇を築き、その祭壇の周りに、二セアの種が入るほどの溝を掘った。
18:33 それから彼は薪を並べ、一頭の雄牛を切り裂いて薪の上に載せ、
18:34 「四つのかめに水を満たし、この全焼のささげ物と薪の上に注げ」と命じた。それから「もう一度それをせよ」と言ったので、彼らはもう一度そうした。さらに、彼が「三度目をせよ」と言ったので、彼らは三度目をした。
18:35 水は祭壇の周りに流れ出した。彼は溝にも水を満たした。
18:36 ささげ物を献げるころになると、預言者エリヤは進み出て言った。「アブラハム、イサク、イスラエルの神、【主】よ。あなたがイスラエルにおいて神であり、私があなたのしもべであり、あなたのおことばによって私がこれらすべてのことを行ったということが、今日、明らかになりますように。
18:37 私に答えてください。【主】よ、私に答えてください。そうすればこの民は、【主】よ、あなたこそ神であり、あなたが彼らの心を翻してくださったことを知るでしょう。」
18:38 すると、【主】の火が降り、全焼のささげ物と薪と石と土を焼き尽くし、溝の水もなめ尽くした。
18:39 民はみな、これを見てひれ伏し、「【主】こそ神です。【主】こそ神です」と言った。
18:40 そこでエリヤは彼らに命じた。「バアルの預言者たちを捕らえよ。一人も逃すな。」彼らがバアルの預言者たちを捕らえると、エリヤは彼らをキション川に連れて下り、そこで彼らを殺した。

<要約>
偶像との戦い:

エリヤは、アハブに対決を挑みます。アハブは、全イスラエルの代表たちと、イゼベルの食卓に着いているバアル神の預言者四百五十人と、アシェラの預言者四百人とを招集しました。エリヤはイスラエルの全家に向かって話します。「いつまで、どっちつかずでよろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従え。もし、バアルが神であるならそれに従え」と。民は、真の神を全く捨ててしまったわけではなく、時には真の神に、ある時は偶像へと、不徹底な信仰だったのです。不徹底な信仰により神の恵はブロックされます。私たちクリスチャンも不徹底な信仰ではいけません。時には偶像と対決しなければなりません。一番、試されるのは、冠婚葬祭です。偶像はいっぱいあります。お葬式に出席することは良いと思います。しかし、焼香は礼拝行為ですから、辞退します。なぜなら、聖書によるとこれは姦淫だからです。現代のクリスチャンにとって、偶像とは、刻んだ像ばかりではありません。神以上に私たちの心を占領しているものです。神をいつも選び取っていく戦があります。神の国と神の義を第一としていく、戦いであると言えます。神を第一として、神中心の信仰にあゆみましょう。

キリストによる勝利:

エリヤは、いよいよ主の戦いに入る前に、まず祭壇を整えました。祈りの前にエリヤが整えた祭壇とは、現在では何を指すのでしょうか。悔い改めと言えます。エリヤはこの戦いは主の戦いであると知っていました。エリヤは、主が戦いに勝利してくださると確信していました。現在でも、イエス・キリストは勝利者です。聖書にある通りを信じましょう。私たちはイエス様にある限り圧倒的な勝利者だ、とロマ書に書いています。それでは、キリストの勝利にあずかり続けるためにはどうすればよいのでしょうか。そのためには、福音を繰り返し聞くことです。福音は、「目が見たことのないもの耳が聴いたことのないものそして人の心に思い浮かんだことのないもの」です。福音を繰り返し聞く必要があるのです。毎週説教で、皆さんが福音を思い起こして、もう一度、救いの恵みを得ていただきたいからです。あなたの罪が赦されていることイエス様があなたの代わりに十字架で死んで復活されたこと、そして、あなたは神の子とされ、永遠の命に与っていることです。


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