ゆるぎない平安

2025年3月16日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>マタイの福音書6章25~34節
【新改訳2017】
6:25 ですから、わたしはあなたがたに言います。何を食べようか何を飲もうかと、自分のいのちのことで心配したり、何を着ようかと、自分のからだのことで心配したりするのはやめなさい。いのちは食べ物以上のもの、からだは着る物以上のものではありませんか。
6:26 空の鳥を見なさい。種蒔きもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。それでも、あなたがたの天の父は養っていてくださいます。あなたがたはその鳥よりも、ずっと価値があるではありませんか。
6:27 あなたがたのうちだれが、心配したからといって、少しでも自分のいのちを延ばすことができるでしょうか。
6:28 なぜ着る物のことで心配するのですか。野の花がどうして育つのか、よく考えなさい。働きもせず、紡ぎもしません。
6:29 しかし、わたしはあなたがたに言います。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも装っていませんでした。
6:30 今日あっても明日は炉に投げ込まれる野の草さえ、神はこのように装ってくださるのなら、あなたがたには、もっと良くしてくださらないでしょうか。信仰の薄い人たちよ。
6:31 ですから、何を食べようか、何を飲もうか、何を着ようかと言って、心配しなくてよいのです。
6:32 これらのものはすべて、異邦人が切に求めているものです。あなたがたにこれらのものすべてが必要であることは、あなたがたの天の父が知っておられます。
6:33 まず神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはすべて、それに加えて与えられます。
6:34 ですから、明日のことまで心配しなくてよいのです。明日のことは明日が心配します。苦労はその日その日に十分あります。

<要約>
人の不安はどこから:

生まれながらの人間は、罪人で、いのちの源である神から離れて、神を認めることができず、自分のいのちの意味を見出せない状態にあります。ですから、不安に陥る根源的な原因には、罪の問題があるのです。罪から来る報酬は死です、とありますように、罪の結果は死です。人の不安はどこからと題してお話ししています。私たちは、先が見えない、未来がわからない、自分がこの後、どうなるのだろうか?死んだ後どうなるのか?自分の存在はどうなってしまうのだろうか?自分がこの世の中で生きている意味は何なのだろうか?と不安になります。人の不安は、根源的には罪からきています。神との関係が失われて、神の恵みと愛、そこからくる平安を受け取ることができない状態になるからです。そして、聖書は、私たち人間はどこからきてどこへ向かっているのかを説明しています。最初があり終わりがあります。この世の中は最終的には、罪によって滅ぶのですが、新しい天と新しい地が用意されているので心配しなくてよいと語っています。

神がくださるゆるぎない平安:

イエス様は、体や命のことで心配しなくてもいい。神があなたに約束していることは、最終的には素晴らしい祝福と恵みの世界です。ですから、今、与えられたいのちを主のために用いなさいということです。優れたことのために用いなさい、ということです。神が与えるゆるぎない平安と題してお話ししました。私たちにはいろいろな心配事があります。明日のことは、明日が心配します。労苦はその日に充分あります、とある通り、私たちは、その日その日を心配するのみでよいのです。神が私たちの人生の最初から終わりまで、そして永遠に至るまで、責任を持って導いてくださいます。そのことをよく心しておく必要があります。ですから、今、私たちができることは神の国と神の義を求めること、つまり神をいつも心の中心において、神との関係を大切にして行く歩みが求められています。そうすれば、生きる上での様々な必要は、すべて、与えられます。キリストにあるものはゆるぎない平安を得ることができると聖書は約束しています。私たちはイエス様が与える平安をいただいています。それは揺るぎない平安です。最後の敵である死をも滅ぼし、復活のいのちに生かしてくださるからです。どんなときも心騒がせることなく、ひるむことなく、神を見上げて参りましょう。