2025年1月19日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>ルカの福音書13章22~30節
13:22 イエスは町や村を通りながら教え、エルサレムへの旅を続けておられた。
13:23 すると、ある人が言った。「主よ、救われる人は少ないのですか。」イエスは人々に言われた。
13:24 「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。
13:25 家の主人が立ち上がって、戸を閉めてしまってから、あなたがたが外に立って戸をたたき始め、『ご主人様、開けてください』と言っても、主人は、『おまえたちがどこの者か、私は知らない』と答えるでしょう。
13:26 すると、あなたがたはこう言い始めるでしょう。『私たちは、あなたの面前で食べたり飲んだりいたしました。また、あなたは私たちの大通りでお教えくださいました。』
13:27 しかし、主人はあなたがたに言います。『おまえたちがどこの者か、私は知らない。不義を行う者たち、みな私から離れて行け。』
13:28 あなたがたは、アブラハムやイサクやヤコブ、またすべての預言者たちが神の国に入っているのに、自分たちは外に放り出されているのを知って、そこで泣いて歯ぎしりするのです。
13:29 人々が東からも西からも、また南からも北からも来て、神の国で食卓に着きます。
13:30 いいですか、後にいる者が先になり、先にいる者が後になるのです。」
<要約>
救いの道は狭い門から入る:
「狭い門から入るように努めなさい。あなたがたに言いますが、多くの人が、入ろうとしても入れなくなるからです。」民族の救い主を待ち望んでいた当時の宗教指導者たちは、ユダヤ人は神に選ばれた特別な民であり、ユダヤ人たちは自動的に救われ、天の御国には入れると考えていたようです。ところが、イエス様は、「そうではない。あなたがた律法を与えられて、神から特別に選ばれた民であっても、悔い改めないなら皆同じように滅ぶ」と言ったのです。そこである人の質問があります。これは自動的に救われ天国に行けるという問題ではなくて悔い改めるということがなければ、みな滅びるということであれば、救われる人は少ないのですかという質問になったのです。イエス様が提供される救いは、もっと人間の根源的な救いです。それはすべての人が抱えている問題です。罪と死の問題です。多くの人は、宗教は恐ろしいと思っています。また、無神論で、天に至る救いなんてあるものか、と思っています。また、楽観的に誰でもこの世の命が終われば、天国に入ると思っている方々もいるかもしれません。しかし、聖書は救いの道は狭いと書いています。ほとんどの人が天の御国に入れずして、死と滅びに至る、と聖書は述べています。
救われるためになすべきこととは:
救われるために努力しなさいというのです。誤解していただきたくないのは善行を積んだり人に施しをしたりすることが救いの条件ではありません。神を恐れ、愛し、信頼することです。それは行いではなく、心の姿勢です。油断せず、常に心の内で神を恐れ、愛し、信頼していくこと。神を中心とした人生を築き上げていくことです。すなわち信仰です。信仰によって救われるのです。私たちは信仰を持ち続けるために、どうすればいいでしょうか。難しくないです。日々の生活の中の努力です。毎日、神の心を向けます。すなわち、思いを変えて、つまり悔い改めて、祈り、聖書読みます。そして礼拝を守ること、聖餐式を守ることです。それらは行いです。それらの行いをしていくとき、信仰が伴います。行いをとおして働く信仰です。日々の生活の中での行い、それが信仰をつくるのです。イエス様は共にいてくださいます。ここにあるおひとりの人には最後まで落ちることなく救われることを望んでおります。お祈りしましょう