2024年9月22日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
赦されない、赦せない苦しみ:
人を赦す、ということは、もともと人間には困難な課題です。しかし、聖書は赦しなさいと命令しています。赦さないというのは、「殺してはならない」という十戒の命令を破ることだからです。つまり、人に対する、怒り、わだかまり、うらみは、心の内で罪を犯していることだからです。罪を赦すという困難な課題に対して、主の祈りでは、「私たちの負い目、あるいは罪をおゆるしください。私たちも私たちに負い目、あるいは罪のある人たちを赦しました。」と祈ります。それは、主が教えてくださった祈りであり命令です。祈れば、神はその祈りを必ず聞いてくださるからです。もし、皆さんの中で、だれかを赦せないという思いがあるならば、その思いをそっくり正直に神に申し上げなければなりません。赦せない自分と格闘しなければなりません。その時、同時にあなたは、あなたがどんなにか神に赦されていることかに気付くのです。神の赦しには、期限があります。この世の命が終わった後、神に裁かれるからです。私たちがこの世にいる間に無題課で提供された神の赦しを受け取る必要があります。
赦された者の平安と喜びの人生:
イエス様の十字架により、私たちは赦された罪びとです。そして、イエス様の復活により、復活のいのち、永遠のいのち、新しいいのちに生きるものとされました。では、罪赦されて、新しいいのちをいただいたクリスチャンはどのように生きればよいのでしょうか。私たちは礼拝の民として、まず、礼拝を中心として神中心の生活をします。そして、私たちクリスチャンは主に三つの領域に遣わされています。家庭、社会、教会です。その三つの領域にベストを尽くすのです。それが、神を愛し人を愛する生き方です。家庭では、夫として、妻として、親として、子どもとしての身分が与えられています。お互いに支えあい最善を尽くします。社会や学校では、職業人、あるいは学生としてあなたの持てる技量を磨き、人々に最良のものを提供します。学生も一生懸命勉強することもそうです。それが、神と人を愛する生き方です。教会では、救いの福音が安定的に地域社会に提供するために活動しています。皆さんの家族知人友人に福音を届けるために教会は活動しています。この福音は期間限定です。光の届かない闇が来る前に、もう手遅れになる前に、教会にお連れして福音に触れていただきましょう。
<聖書>マタイの福音書5章21~26節
【新改訳2017】
5:21 昔の人々に対して、『殺してはならない。人を殺す者はさばきを受けなければならない』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
5:22 しかし、わたしはあなたがたに言います。兄弟に対して怒る者は、だれでもさばきを受けなければなりません。兄弟に『ばか者』と言う者は最高法院でさばかれます。『愚か者』と言う者は火の燃えるゲヘナに投げ込まれます。
5:23 ですから、祭壇の上にささげ物を献げようとしているときに、兄弟が自分を恨んでいることを思い出したなら、
5:24 ささげ物はそこに、祭壇の前に置き、行って、まずあなたの兄弟と仲直りをしなさい。それから戻って、そのささげ物を献げなさい。
5:25 あなたを訴える人とは、一緒に行く途中で早く和解しなさい。そうでないと、訴える人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれることになります。
5:26 まことに、あなたに言います。最後の一コドラントを支払うまで、そこから決して出ることはできません。