2024年6月23日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<要約>
神に敵対する人生:
パウロは、神を愛するということを自らの行いで追求しました。神の御心である律法(十戒)を守り行う事で、神の前で自らの義を立てようとしました。すなわち、行いで自身が正しい人間であることを立証しようしました。善行に励むことは良いのですが、それを自分の手柄にしていたのです。自己満足、自慢のための律法(十戒)となったのです。そして、ついにはキリストを迫害することを良しとするまでになりました。それは神に敵対する人生でした。神は、打ち砕かれた悔いた心を尊ばれます。私たちは謙遜にへりくだり律法(十戒)に向かわなければなりません。私たちは愛と信仰によって神を求めなければなりません。律法(十戒)は鏡のようにあなたに罪を示します。私たちは、打ち砕かれ、へりくだり、罪を認めるのです。そこで初めて、キリストの十字架による罪の赦しが分かるのです。赦された者は律法(十戒)の責めを負うことはなくなりました。赦された者には、律法(十戒)は慕わしい神の命令となり、感謝のささげものとなるのです。
神を愛する喜びの人生:
パウロと同じように、クリスチャンは、神から特別に選ばれた者たちです。そして、神から使命が与えられています。それが、イエス様を運ぶ器であるということです。大きな器も小さな器もあるでしょう。しかし、すべての信者は器なのです。土の器だけれども、イエス様を運んでいるのです。すなわちイエス様を届ける使命があるということです。イエス様の救いをまだ信じていない人々に伝えるということです。家族、知人に伝えるということです。イエス様の素晴らしい救いです。神のいのちです。他のどのような宝も比べ物にならない祝福です。パウロの苦しみは、宣教に伴う苦しみと言えます。私たちはパウロほどの苦しみに会うことは少ないと思いますが、反対されたりけなされたりすることはよくあります。それでも恐れることはないのです。パウロは苦しみましたが、また、喜んだ人でした。ピリピ人への手紙を読むと獄中から、喜びの手紙と言われるくらい喜びという言葉がたくさん出てきます。本当にパウロは喜びにあふれた人であったのでこれはイエス様を信じる者たちに与えられる特権です。苦しいこともあるがそれ以上に喜びに満ちた人生であるということです。是非、この喜びの人生を自分のものとしていただきたいと思います。
<聖書>使徒の働き9章1~20節
【新改訳2017】
9:1 さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅かして殺害しようと息巻き、大祭司のところに行って、
9:2 ダマスコの諸会堂宛ての手紙を求めた。それは、この道の者であれば男でも女でも見つけ出し、縛り上げてエルサレムに引いて来るためであった。
9:3 ところが、サウロが道を進んでダマスコの近くまで来たとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。
9:4 彼は地に倒れて、自分に語りかける声を聞いた。「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
9:5 彼が「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。
9:6 立ち上がって、町に入りなさい。そうすれば、あなたがしなければならないことが告げられる。」
9:7 同行していた人たちは、声は聞こえてもだれも見えないので、ものも言えずに立っていた。
9:8 サウロは地面から立ち上がった。しかし、 目を開けていたものの、何も見えなかった。それで人々は彼の手を引いて、ダマスコに連れて行った。
9:9 彼は三日間、目が見えず、食べることも飲むこともしなかった。
9:10 さて、ダマスコにアナニアという名の弟子がいた。主が幻の中で「アナニアよ」と言われたので、彼は「主よ、ここにおります」と答えた。
9:11 すると、主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』と呼ばれる通りに行き、ユダの家にいるサウロという名のタルソ人を訪ねなさい。彼はそこで祈っています。
9:12 彼は幻の中で、アナニアという名の人が入って来て、自分の上に手を置き、再び見えるようにしてくれるのを見たのです。」
9:13 しかし、アナニアは答えた。「主よ。私は多くの人たちから、この人がエルサレムで、あなたの聖徒たちにどんなにひどいことをしたかを聞きました。
9:14 彼はここでも、あなたの名を呼ぶ者たちをみな捕縛する権限を、祭司長たちから与えられています。」
9:15 しかし、主はアナニアに言われた。「行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子らの前に運ぶ、わたしの選びの器です。
9:16 彼がわたしの名のためにどんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示します。」
9:17 そこでアナニアは出かけて行って、その家に入り、サウロの上に手を置いて言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中であなたに現れた主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
9:18 するとただちに、サウロの目から鱗のような物が落ちて、目が見えるようになった。そこで、彼は立ち上がってバプテスマを受け、
9:19 食事をして元気になった。サウロは数日の間、ダマスコの弟子たちとともにいて、
9:20 ただちに諸会堂で、「この方こそ神の子です」とイエスのことを宣べ伝え始めた。