2023年11月26日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>第二サムエル記6章2~19節
【新改訳2017】
6:2 ダビデはユダのバアラから神の箱を運び上げようとして、自分とともにいたすべての兵と一緒に出かけた。神の箱は、ケルビムの上に座しておられる万軍の【主】の名でその名を呼ばれている。
6:3 彼らは、神の箱を新しい荷車に載せて、それを丘の上にあるアビナダブの家から移した。アビナダブの子、ウザとアフヨがその新しい荷車を御した。
6:4 それを、丘の上にあるアビナダブの家から神の箱とともに移したとき、アフヨは箱の前を歩いていた。
6:5 ダビデとイスラエルの全家は、竪琴、琴、タンバリン、カスタネット、シンバルを鳴らし、【主】の前で、すべての杉の木の枝をもって、喜び踊った。
6:6 彼らがナコンの打ち場まで来たとき、ウザは神の箱に手を伸ばして、それをつかんだ。牛がよろめいたからである。
6:7 すると、【主】の怒りがウザに向かって燃え上がり、神はその過ちのために、彼をその場で打たれた。彼はそこで、神の箱の傍らで死んだ。
6:8 ダビデの心は激した。【主】がウザに対して怒りを発せられたからである。その場所は今日までペレツ・ウザと呼ばれている。
6:9 その日、ダビデは【主】を恐れて言った。「どうして、【主】の箱を私のところにお迎えできるだろうか。」
6:10 ダビデは【主】の箱を自分のところ、ダビデの町に移したくなかった。そこでダビデは、ガテ人オベデ・エドムの家にそれを回した。
6:11 【主】の箱はガテ人オベデ・エドムの家に三か月とどまった。【主】はオベデ・エドムと彼の全家を祝福された。
6:12 「【主】が神の箱のことで、オベデ・エドムの家と彼に属するすべてのものを祝福された」という知らせがダビデ王にあった。ダビデは行って、喜びをもって神の箱をオベデ・エドムの家からダビデの町へ運び上げた。
6:13 【主】の箱を担ぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは、肥えた牛をいけにえとして献げた。
6:14 ダビデは、【主】の前で力の限り跳ね回った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
6:15 ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、【主】の箱を運び上げた。
6:16 【主】の箱がダビデの町に入ろうとしていたとき、サウルの娘ミカルは窓から見下ろしていた。彼女はダビデ王が【主】の前で跳ねたり踊ったりしているのを見て、心の中で彼を蔑んだ。
6:17 人々は【主】の箱を運び込んで、ダビデがそのために張った天幕の真ん中の定められた場所にそれを置いた。ダビデは【主】の前に、全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げた。
6:18 ダビデは全焼のささげ物と交わりのいけにえを献げ終えて、万軍の【主】の御名によって民を祝福した。
6:19 そしてすべての民、イスラエルのすべての群衆に、男にも女にも、それぞれ、輪形パン一つ、なつめ椰子の菓子一つ、干しぶどうの菓子一つを分け与えた。民はみな、それぞれ自分の家に帰った。
<要約>
恐れと愛と信頼をもって神に近づく:
この事件は、何を示しているのでしょうか?まず、私たちが神に近づくためには、第一に神を畏れなければなりません。神を恐れるならば、みことばに従います。自分の思いではなく、みこころを求めます。次に神に近づくためには、神を愛さなければなりません。神は何を喜ばれ、何を嫌われるか、みことばを調べ、考えて実行することです。そして、何よりも神を信頼しなければなりません。ダビデは、みことばを調べたのです。へりくだって神の前に出たのです。このままでは神をお迎えすることはできないと考えたのでしょう。しかし、ダビデは信じていました。神はイスラエルを祝福し最善のことをなしてくださると。私たちも、目の前のさまざまな困難や苦難がやってきても、神はすべてのことを働かせて益としてくださることを信頼しなければなりません。神の前にへりくだり、謙遜となってみこころをまず求めます。そして、みこころを実行します。人が神に近づき、救われる方法はただ一つしかありません。神がお与えになったイエス・キリストを救い主と信じることです。
神中心の祝福された人生:
この事件を通して、ダビデは神中心の人生を送るようになりました。神をあなたの心の中心にお迎えして生きることが、祝福の道です。あなたはあなたの心の王座に主をお迎えしていますか。心の王座にあなた自身が座り、主を足元に置いていませんか。旧約聖書には、神を中心において人生を歩んだ多くのモデルがあります。彼らは皆、神が信じる者と共にいてくださると確信し、神中心の生涯を送りました。そして、イエス様は父なる神のみこころを第一として、すべての人の救いのためにそのご生涯を歩まれました。イエス様の生涯は神中心でした。あなたが真の神を信じて、神中心の人生を歩むならば、神はあなたの人生を大いに祝福してくださいます。人はいろいろな知恵を働かせて、神に近づこう、真理に近づこうとしますが、神の示される方法でしか、真の神を見出すことはできません。イエス・キリストは「わたしが道であり、真理でありいのちです。私を通してでなければだれも父の御許に行くことはできません」と言われました。神中心の人生を歩んでください。それが、神が共におられる祝福です。