教会を産み育てる聖霊

2023年7月16日(日)ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>使徒の働き11章19~26節
【新改訳2017】
11:19 さて、ステパノのことから起こった迫害により散らされた人々は、フェニキア、キプロス、アンティオキアまで進んで行ったが、ユダヤ人以外の人には、だれにもみことばを語らなかった。
11:20 ところが、彼らの中にキプロス人とクレネ人が何人かいて、アンティオキアに来ると、ギリシア語を話す人たちにも語りかけ、主イエスの福音を宣べ伝えた。
11:21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大勢の人が信じて主に立ち返った。
11:22 この知らせがエルサレムにある教会の耳に入ったので、彼らはバルナバをアンティオキアに遣わした。
11:23 バルナバはそこに到着し、神の恵みを見て喜んだ。そして、心を堅く保っていつも主にとどまっているようにと、皆を励ました。
11:24 彼は立派な人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大勢の人たちが主に導かれた。
11:25 それから、バルナバはサウロを捜しにタルソに行き、
11:26 彼を見つけて、アンティオキアに連れて来た。彼らは、まる一年の間教会に集い、大勢の人たちを教えた。弟子たちは、アンティオキアで初めて、キリスト者と呼ばれるようになった。

<要約>

人、状況を用いて宣教する聖霊:

エルサレム教会の執事をしていたステパノは、ユダヤ人たちから石打の刑に処せられ、殺されました。そして、他のエルサレム教会の信者たちにも迫害の手が迫っていました。信者にとっては苦境であり、マイナスの状況でした。しかし、その状況を聖霊は逆用して、福音を異邦人にも広げたのです。聖霊はこのように人を用いて働かれるのです。現状では、人は罪に捕らわれているために、自分が救われなければならない存在であることにも気づきません。罪の報酬は死です。そして、「人間には一度死ぬことと死後裁きを受けることが定まっている」と書いてある通り、罪の結果は死後のさばきと永遠の滅びです。イエス・キリストは自らの罪のために死と滅びに閉じ込められている人を救うために来られました。そして、すべての人の罪を背負って、身代わりとなって、十字架で自らの命を捨ててくださいました。それは、あなたが信じて神に立ち返り、真の命に生きるようになるためです。私たちが先に救われたのは、私たちの周りの家族、友人、知人にイエス・キリストの救いを届けるためです。

聖霊は教会を通して働かれる:

聖霊は教会を産み育て、教会でイエス・キリストの救い、イエス・キリストによる罪の赦しと永遠のいのちを提供しています。バルナバは、生活習慣が違う、ユダヤ人と異邦人との問題を取り上げてうんぬんするのではなく、ポジティブなものの見方をしています。バルナバの視点は、「神の恵みを見て喜んだ」ことです。そして、みな心を固く保って、常に主にとどまるようにと励ましています。違いがあっても、そこに神の恵みを見ています。これは、聖霊のみ思いです。私たちは、教会においてもその他の社会生活においても様々な問題に直面しながら生活しています。反対、つまずき、困難、苦難はつきものです。しかし、神の恵は変わらずに注がれています。聖霊は教会を通して、またその一員であるあなたを通して働いておられます。あなたは教会の身体の一部です。愛し合い、仕え合い、キリストの身体を立ち上げていくのです。まだ信じていない方は、是非キリストの罪の赦しといのちを自分のものとしてください。空の手を差し出して、キリストの赦しといのちを受け取ってください。身体の死の向こうにある復活のいのち、永遠のいのちをいただくことができるのです。