キリストは真の神であり救い主

2022年12月18日(日)主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>コロサイ人への手紙1章13~23節

【新改訳2017】
1:13 御父は、私たちを暗闇の力から救い出して、愛する御子のご支配の中に移してくださいました。
1:14 この御子にあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ているのです。
1:15 御子は、見えない神のかたちであり、すべての造られたものより先に生まれた方です。
1:16 なぜなら、天と地にあるすべてのものは、見えるものも見えないものも、王座であれ主権であれ、支配であれ権威であれ、御子にあって造られたからです。万物は御子によって造られ、御子のために造られました。
1:17 御子は万物に先立って存在し、万物は御子にあって成り立っています。
1:18 また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、すべてのことにおいて第一の者となられました。
1:19 なぜなら神は、ご自分の満ち満ちたものをすべて御子のうちに宿らせ、
1:20 その十字架の血によって平和をもたらし、御子によって、御子のために万物を和解させること、すなわち、地にあるものも天にあるものも、御子によって和解させることを良しとしてくださったからです。
1:21 あなたがたも、かつては神から離れ、敵意を抱き、悪い行いの中にありましたが、
1:22 今は、神が御子の肉のからだにおいて、その死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。あなたがたを聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として御前に立たせるためです。
1:23 ただし、あなたがたは信仰に土台を据え、堅く立ち、聞いている福音の望みから外れることなく、信仰にとどまらなければなりません。この福音は、天の下のすべての造られたものに宣べ伝えられており、私パウロはそれに仕える者となりました。

<要約>
神の敵として歩む人と和解の福音:

聖書は、依然として全世界の人々は暗闇の力、サタン、悪魔といわれる霊的存在の支配下にあると述べています。全人類がサタンの支配下に入った起源は、最初の人アダムです。アダムが神の仰せを無視して、サタンに従ったことです。プーチン大統領、金正恩や他のテロリストがサタンではありません。サタンが彼らを背後で操っているのです。サタンは身体を持たない霊的な存在です。残念ながら人類は争うことから解放されることがありません。国家レベルでも民族レベルでも家族レベル、個人レベルでも然りです。使徒であり聖徒であるパウロも、自分のしたいことが行えないで反って憎んでいる事を行ってしまうと告白しています。私たちはみな同じです。ここに、罪の力に縛られ悪魔の支配下にある人間の姿があります。毎週、「試みに合わせないで、悪よりお救いください」と祈る主の祈りで、信者は守られています。サタンは神と敵対関係にあるように人も神と敵対関係にあります。現に人は罪を犯しているので、裁きを受けることになっています。そこで、キリストは敵対関係にある者を和解させるために来られました。イエス様がすべての人の罪を背負って十字架の上で苦しんで、死んでくださいました。その死によって、私たちを神と和解させてくださいました。

聖なる傷のない者としてくださるキリスト:

キリストが私たちのすべての罪を背負って、十字架で死んでくださった事により、罪が取り除かれました。それにより神との和解がなされ、サタンの支配からキリストの支配下に移されたのです。キリストは神の本質そのものであるとはっきり語られています。万物はキリストによって創られて、キリストによって、今万物は保たれ成り立っており、最終的にはキリストが万物の存在の目的であるということです。だからこそ、キリストは万物を神と和解させることがお出来になるのです。現在一般の人々はキリストをなんといているでしょうか。聖書では、キリスト自身がわたしは、真理であり道でありいのちであるとおっしゃっております。キリストは自身を神であると語っています。私たちのいのちの起源であり、さらに万物の根源であると言っています。私たちにとってキリストはすべてのすべてであるといえるのです。そのお方が、聖なる者、傷のない者、責められるところのない者として信じる者を御前に立たせてくださるのです。

メシヤ来臨の預言

2022年12月4日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明

<聖書>ミカ書5章1~9節
【新改訳2017】
5:1 今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。
5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
5:3 それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。
5:5 平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。
5:6 彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。
5:7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。
5:8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。
5:9 あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。

<要約>

混迷と闇に光となって来られた救い主:

当時の状況を見ると、大国アッシリヤが目前に迫り、イスラエルの民にとって脅威が最高潮に達していた時であります。とても勝ち目がなく絶望と思われている時代に救い主の登場が預言されています。イエス様がお生まれになった時代も、イスラエルの民はローマの圧政のもとに非情な困難の中にありました。このように、救い主は、混迷とやみが覆う時代に来られました。個人レベルでも民族レベルでも国家レベルでも、困難や試練で絶望することはあるかもしれません。しかし、その中でこそ、私たち人間は救い主をお迎えするにふさわしく整えられるのです。アッシリヤは、目の前に立ち尽くす困難、光の見えない闇と言うことができるかもしれません。また、病気や困難や死を象徴しているかもしれません。あるいは、不破や仲たがい、分裂、分派であるかもしれません。あるいは、自分の内側にある利己的な思い、支配欲なども敵と言えるでしょう。私たちはそれに立ち向かおうと戦います。しかし、その時にこそ、救い主があなたに近づいていることに気付くことです。救い主キリストはそれらから信じる者を救ってくださるのです。そして、真の平安をお与えくださいます。

勝利と祝福の伝達者;

ヤコブの残りの者は、最後まで真の神を信じる信仰に生きる人々を指します。最後まで忠実な信仰者は二つのものを持っています。一つは、周囲の人々を潤し、神の祝福を届ける働きです。その人たちは、多くの国民の中でも主から降りるつゆ、青草に注ぐ夕立の様です。潤いと生気を与える神の力です。それは、神の祝福の器であると言えます。周りの人々に祝福を届ける働きです。アブラハムの約束を受け継いだクリスチャンは祝福の伝達者と言えます。簡単に言えば、あなたによってあなたの周りの人々や家族も祝福されるということです。あなたの内におられる聖霊が働いてくださいます。もう一つは、圧倒的な勝利者です。ヤコブの残りの者は、信仰者は森の獣の中の獅子、百獣の王ライオンです。教会の勝利と言えます。なぜなら、御子を信じる者は、十字架のゆえにすべての罪が赦されています。そして代わりに死んで三日目に復活したキリストの勝利と祝福を受け継いでいるからです。与えられた賜物を豊かに用いて、神と人に仕えるのです。