11月27日主日礼拝説教ハレルヤチャペル滝沢牧師森田友明
<聖書>イザヤ書40章1~11節
【新改訳2017】
40:1 「慰めよ、慰めよ、わたしの民を。──あなたがたの神は仰せられる──
40:2 エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを【主】の手から受けている、と。」
40:3 荒野で叫ぶ者の声がする。「【主】の道を用意せよ。荒れ地で私たちの神のために、大路をまっすぐにせよ。
40:4 すべての谷は引き上げられ、すべての山や丘は低くなる。曲がったところはまっすぐになり、険しい地は平らになる。
40:5 このようにして【主】の栄光が現されると、すべての肉なる者がともにこれを見る。まことに【主】の御口が語られる。」
40:6 「叫べ」と言う者の声がする。「何と叫びましょうか」と人は言う。「人はみな草のよう。その栄えはみな野の花のようだ。
40:7 【主】の息吹がその上に吹くと、草はしおれ、花は散る。まことに民は草だ。
40:8 草はしおれ、花は散る。しかし、私たちの神のことばは永遠に立つ。」
40:9 シオンに良い知らせを伝える者よ、高い山に登れ。エルサレムに良い知らせを伝える者よ、力の限り声をあげよ。声をあげよ。恐れるな。ユダの町々に言え。「見よ、あなたがたの神を。」
40:10 見よ。【神】である主は力をもって来られ、その御腕で統べ治める。見よ。その報いは主とともにあり、その報酬は主の御前にある。
40:11 主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く。
<要約>
信じれば二倍の慰めと祝福がある;
エルサレムに優しく語りかけよ。これに呼びかけよ。その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを【主】の手から受けている、と。」「主は羊飼いのように、その群れを飼い、御腕に子羊を引き寄せ、懐に抱き、乳を飲ませる羊を優しく導く」まさしく、イエス・キリストのお姿です。神はイスラエルのために優しく語り掛けておられます。それは民の嘆きが大きかったからです。同様に、キリストを信じて苦難の中に置かされている人々も確実に慰められるのです。あるいは、キリストを信じてこれまで歩んできた人々、様々な悲しみを通って来られた人々を神は確実に慰め、平安と喜びで満たしてくださるのです。クリスチャンは、キリストの贖いより罪の報いである死と滅びが取り去られてゼロになっています。さらにクリスチャンは神の子とされています。つまり天国の相続者とされています。罪が赦され、死と滅びがなくなり、永遠の命が与えられるばかりでなく、天国の全ての富を与えられているのです。信じる者には罪に代えて二倍の慰めと祝福があります。神は、罪により炭より黒い私たちを真っ白にしてくださるばかりでなく、光り輝く黄金の栄光を与えてくださるということです。信仰によってあなたはそうなるのです。そうなっているのです。
世の終わりの時に、世の終わりのラッパが鳴り渡るときに、皆さんは復活のからだでよみがえります。そして、真に救いが完成するのです。ですから、私たち信者は救いの完成を先取して生きています。やがて救われるのではなく、今救われています。そして、信仰により、そう確信しています。聖書は人間にとってなくてはならない重要なことが書かれています。その中でも、人はそのままでは、自らの罪のために滅んでしまうこと、神は人を愛し一人も滅びることを惜しまれて、救い主キリストを送ってくださった事、そして、すべての人の罪をキリストが背負って十字架で罪を贖ってくださった事、キリストを信じる者は誰一人として滅びることなく永遠のいのちをもつことです。私の羊飼いであり、すべての権威をお持ちの力ある神が私と共にいてくださることをもっと実感して、与えられた人生を喜びと感謝をもって、前向きに歩んでいきたいと思います。