2021年8月22日ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>創世記11章1~9節
【新改訳2017】
11:1 さて、全地は一つの話しことば、一つの共通のことばであった。
11:2 人々が東の方へ移動したとき、彼らはシンアルの地に平地を見つけて、そこに住んだ。
11:3 彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作って、よく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを、漆喰の代わりに瀝青を用いた。
11:4 彼らは言った。「さあ、われわれは自分たちのために、町と、頂が天に届く塔を建てて、名をあげよう。われわれが地の全面に散らされるといけないから。」
11:5 そのとき【主】は、人間が建てた町と塔を見るために降りて来られた。
11:6 【主】は言われた。「見よ。彼らは一つの民で、みな同じ話しことばを持っている。このようなことをし始めたのなら、今や、彼らがしようと企てることで、不可能なことは何もない。
11:7 さあ、降りて行って、そこで彼らのことばを混乱させ、互いの話しことばが通じないようにしよう。」
11:8 【主】が彼らをそこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。
11:9 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。そこで【主】が全地の話しことばを混乱させ、そこから【主】が人々を地の全面に散らされたからである。
<要約>
神中心から人間中心になった社会;
バベルの塔は、人間こそが最高の存在であり、人間に栄光を帰する象徴でもあります。実はこれは、サタンの策略です。アダムの失敗以来見事に人類はサタンの支配下で操られているのです。最初の人、アダムは、「神のようになれる」というサタンの言葉で誘惑されて、神になろうとして罪を犯しました。人間は神に似せて作られたがゆえに、人間の知恵のすばらしさは今の科学や技術革新を見てもわかります。しかし、欲望が知性を後押しすると人間は自滅の道を進みます。ダイナマイトを発明したノーベルは平和利用を願っていましたが、人類はそれを戦争に使いました。問題点はどこにあるのでしょうか。特別に悪い人が人類を悪い方向へと導いているのでしょうか。そうではありません。聖書は、これらの原因は私たち一人ひとりの内にあると指摘します。罪の根が私たち誰にでもあるからです。ノアは箱舟から大地に立った時、すぐに祭壇を築き、神に全焼のいけにえをささげ、礼拝を捧げました。ノアは神中心で再出発しましたが、ここでニムロデの時代に至って人間中心に戻ってしまいました。自分達の為に塔を立てたのです。神の聖名を崇めるためではなく、自分たち人間の名を挙げるためです。ここに人間中心主義の始まりを見ることができます。
正すために降りてこられた神;
神は、悪に傾く人間をもう一度滅ぼし尽くすこともできたでしょう。しかし、神はあわれみによって、滅ぼさないで、ことばを混乱させることにより、分裂させたのです。人間中心の世界には救いはありません。かくして、言葉が通じなくなった人々は、地の全面に散らされたのです。次章では、セム族の中にアブラハムが登場します。神はアブラハムを通して、すべての国民を祝福すると約束されました。アブラハムから二千年の歳月を経て、アブラハムの子孫のイスラエル民族から救い主イエス・キリストがお生まれになりました。その約束通り、イエス・キリストにより、現代すべての国民は祝福されています。イエス・キリストは、あなたを罪と死と悪魔から救うために来られました。神は、言葉を混乱させて人々を散らされたのとは反対に、キリストにより全人類を一つの国民一つの民にしたいと願っています。サタンの支配からキリストの支配に取り戻そうと願っておられるのです。私たちはそのために先に救われたのです。