2019年11月10日
説教者:ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>ミカ書5章1~9節
5:1 今、軍勢をなす娘よ、勢ぞろいせよ。包囲網が私たちに対して設けられた。彼らは、イスラエルをさばく者の頬を杖で打つ。
5:2 「ベツレヘム・エフラテよ、あなたはユダの氏族の中で、あまりにも小さい。だが、あなたからわたしのためにイスラエルを治める者が出る。その出現は昔から、永遠の昔から定まっている。」
5:3 それゆえ、彼らはそのままにしておかれる。産婦が子を産む時まで。そのとき、彼の兄弟のほかの者はイスラエルの子らのもとに帰る。
5:4 彼は立って、【主】の力と、彼の神、【主】の御名の威光によって群れを飼う。そして彼らは安らかに住まう。今や彼の威力が、地の果ての果てまで及ぶからだ。
5:5 平和は次のようにして来る。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの宮殿を踏みにじるとき、私たちはこれに対抗して七人の牧者、八人の指導者を立てる。
5:6 彼らはアッシリアの地を剣で、ニムロデの地を抜き身の剣で飼いならす。アッシリアが私たちの国に来て、私たちの領土に踏み込んで来るとき、彼は、私たちをアッシリアから救い出す。
5:7 そのとき、ヤコブの残りの者は、多くの国々の民のただ中で、【主】のもとから降りる露、青草に降り注ぐ夕立のようだ。彼らは人に望みを置かず、人の子らに期待をかけない。
5:8 ヤコブの残りの者は異邦の民の中、多くの国々の民のただ中で、森の獣の中の獅子、羊の群れの中の若い獅子のようだ。通り過ぎるときには、踏みにじり、かみ裂けば、助け出す者はいない。
5:9 あなたが敵対する者に向けて御手を上げると、あなたの敵はみな絶ち滅ぼされる。
<要約>
平和を勝ち取り与えてくださる救い主:
「イスラエルを治める者が出る」とは、まさしくメシヤの預言です。イエス様がお生まれになった時代も、イスラエルの民はローマの圧政のもとに非情な困難の中にありました。イザヤの預言の通り、民は闇の中を歩んでいたと言えます。このように、救い主は、混迷とやみが覆う時代に来られました。個人レベルでも民族レベルでも国家レベルでも、困難や試練で絶望することはあるかもしれません。しかし、その中でこそ、私たちは救い主をお迎えするにふさわしく整えられるのです。イエス・キリストは主の威光を帯びて、彼の民を羊飼いが羊を飼うように養い、今も信じる私たちに平安を与えつづけておられます。現在の私たちにとって、敵対する勢力、アッシリヤとは何でしょうか。病気や困難や死を象徴しているかもしれません。あるいは、不破や仲たがい、分裂、分派であるかもしれません。あるいは、自分の内側にある利己的な思い、支配欲なども敵と言えるでしょう。私たちはそれに立ち向かおうと戦います。しかし、その時にこそ、救い主キリストは信じる者を救ってくださるのです。
勝利と祝福の伝達者;
最後まで忠実な信仰者は二つのものを持っています。一つは、周囲の人々を潤し、神の祝福を届ける働きです。それは、神の祝福の器であると言えます。周りの人々に祝福を届ける働きです。簡単に言えば、あなたによってあなたの周りの人々家族も祝福されるということです。もう一つは、圧倒的な勝利者であるということです。ヤコブの残りの者は、信仰者は森の獣の中の獅子、百獣の王ライオンです。圧倒的な勝利です。サタンも踏みにじられます。教会の勝利と言えます。聖書によると神には二通りのお姿があります。一つは怒りの神です。罪に対する怒りです。その怒りはどこから来ているのでしょうか。それは神が聖い正義の神であるところから来ています。もう一つのお姿は、愛の神です。人が自らの罪で滅びてしまうことを惜しまれております。そして、人の罪を何とか赦したいと思っておられます。この二つの矛盾するお姿に筋を通したのが御子イエス様の十字架です。ですから、御子を信じる者は、十字架のゆえにすべての罪が赦されます。そして代わりに死んで三日目に復活したキリストの勝利と祝福を受け継ぐのです。