2018年02月 11日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明
<聖書>ルカの福音書5章1~11節
5:1 群衆がイエスに押し迫るようにして神のことばを聞いたとき、イエスはゲネサレ湖の岸べに立っておられたが、
5:2 岸べに小舟が二そうあるのをご覧になった。漁師たちは、その舟から降りて網を洗っていた。
5:3 イエスは、そのうちの一つの、シモンの持ち舟に乗り、陸から少し漕ぎ出すように頼まれた。そしてイエスはすわって、舟から群衆を教えられた。
5:4 話が終わると、シモンに、「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」と言われた。
5:5 するとシモンが答えて言った。「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。でもおことばどおり、網をおろしてみましょう。」
5:6 そして、そのとおりにすると、たくさんの魚が入り、網は破れそうになった。
5:7 そこで別の舟にいた仲間の者たちに合図をして、助けに来てくれるように頼んだ。彼らがやって来て、そして魚を両方の舟いっぱいに上げたところ、二そうとも沈みそうになった。
5:8 これを見たシモン・ペテロは、イエスの足もとにひれ伏して、「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」と言った。
5:9 それは、大漁のため、彼もいっしょにいたみなの者も、ひどく驚いたからである。
5:10 シモンの仲間であったゼベダイの子ヤコブやヨハネも同じであった。イエスはシモンにこう言われた。「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです。」
5:11 彼らは、舟を陸に着けると、何もかも捨てて、イエスに従った。
<要約>
現代人に届く神の国の福音:
イエス様は群衆に押し迫られて、ゲネサレ湖(ガリラヤ湖)の岸辺に立っておられました。それから、シモン・ペテロの船に乗り、岸から少し離れてから、船にお座りになりました。そして、岸に向かって群衆にお話をなさいました。イエス様が語られたのは「神の国の福音」です。イエス様は、旧約聖書に預言されたメシヤがご自分であることを伝えたことでしょう。そして、神のあわれみと恵みにより、人々を罪と死と悪魔から解放するためにこられたことを伝えたでしょう。現代人に当てはめて言うならば、悩みと苦しみにある人や心傷つき悲しみにある人、そして将来に不安のある人、そのような人々は安心しなさい。イエス・キリストがあなたに平安と慰めと癒しをもたらしてくださったから。また、真のいのちを失って、むなしい日々を過ごしている人や、人生の終わりの向こうにある永遠をあきらめている人、イエス様はそういう人を高価で貴いとみておられます。そして、喜びと感謝、驚きと感動の人生を約束してくださいます。なぜなら、イエス・キリストは永遠のいのちだからです。彼を持つものは祝福の尽きることないいのちの泉を持つからです。また反対に、自らの罪の裁きを恐れている人、その人たちは罪赦されているのです。なぜなら、イエス様があなたの罪を背負って十字架に身代わりとなって死んでくださったからです。あなたはキリストを信じて罪赦されます。イエス・キリストは、罪の赦しを信じなさい、そして、永遠のいのちを得なさいと勧めているのです。
砕かれた心に神を迎える:
お話が終わって、イエス様は、ペテロに「深みに漕ぎ出して、網を下ろしなさい」と言われました。かれは、漁師としての経験から「先生。私たちは、夜通し働きましたが、何一つとれませんでした。」とイエス様に返答しました。人間は自分のわずかな経験に頼り、イエス様の言葉をそのまま受け入れません。私たちも自分の経験や常識といわれるものによって第一歩を踏み出せないでいることはないでしょうか。み言葉はわかっている、しかし、そんなことは信じられないといってないでしょうか。しかし、幸いなことに、ペテロは「お言葉ですから」と言って、深みに漕ぎ出し、網を下ろしました。ペテロは主のお言葉に従って大いなる祝福を得ました。二艘の船がいっぱいになって沈みそうになったのです。人間の経験や常識では推し量ることができない神のわざが起こったのです。ペテロはイエス様が神であることを確信しました。それは、同時に彼の誇り、プライドが砕かれた瞬間でした。ペテロは言いました。「主よ。わたしのようなものから離れてください。私は罪深い人間ですから」そして、主の足元にひれ伏しました。神の聖さに触れて、自分の罪が鏡のように映しだされるのです。聖霊が心に触れるとその聖さのために自分の汚れに気付くのです。ペテロはイエス様の足元にひれ伏しました。圧倒的な神の力を経験したのです。今まで、しがみついてきた自分自身、そこによりどころを失ったのです。ここで初めて、彼は、自分の心の王座から降りました。そして、イエス様に座っていただいたのです。これが、神との関係が正される瞬間です。人は自分の無力に気付き、神などいらないと言っていた自我が砕かれます。すなわち、心の王座を占めていた自我が砕かれて、代わって、キリストの霊があなたの生かすのです。
神が召してくださる祝福:
ペテロは、これまで経験したことのないような大漁の奇跡を見て、驚き、そして恐れ、イエス様の前にひれ伏しました。「これから後、あなたは人間をとる漁師になるのです」と言われました。この一連のペテロのイエス様との体験は、ペテロが人間をとる漁師となるためのイエス様による実物教育でした。ペテロが人間をとる漁師としての働きをなしたのが、使徒の働きの記事にあります。ペテロが受けたのは伝道師への召命と言えます。「船を陸につけると、何もかも捨ててイエスに従った」のです。「これからあなたは、人間を取りようになる」というのは、伝道者、牧師など献身者として、召されるときに与えられるみことばです。「何もかも捨てて、イエスに従った」というのは、生活において、イエス様を第一優先とするということです。しかし、神の召しは伝道者、牧師、宣教師になるためだけではありません。神の召しはすべてのクリスチャンに及んでいます。イエス様を信じるときに、だれもが、イエス様に召されるのです。イエス様は、クリスチャンになろうとするすべての人に当てて、「自分を捨て、自分の十字架を負い、そして私についてきなさい」というのです。これは、イエス様に従いなさい、ということです。優先順位をイエス様にするということです。イエス様は、「悔い改めて神を信じなさい。そして、新しく生まれなさい」といいます。生まれるためには一旦死ななければなりません。それは、イエス様が十字架で死んで復活されたように、私たちも、古い自分に死んで新しい人によみがえることを意味しています。悔い改めて神を信じ、新しく生まれたひとには、神の子とされる特権が与えられます。天国の相続人になります。天国の祝宴に招かれています。そこで、永遠の安息と尽きることのない喜びに満たされて過ごすのです。それはこの上もない祝福です。