種が蒔かれた四つの地とは

2017年8月 27日(日)主日礼拝
ハレルヤチャペル滝沢牧師 森田友明

<聖書>
13:3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
13:4 蒔いているとき、道ばたに落ちた種があった。すると鳥が来て食べてしまった。
13:5 また、別の種が土の薄い岩地に落ちた。土が深くなかったので、すぐに芽を出した。
13:6 しかし、日が上ると、焼けて、根がないために枯れてしまった。
13:7 また、別の種はいばらの中に落ちたが、いばらが伸びて、ふさいでしまった。
13:8 別の種は良い地に落ちて、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結んだ。
13:9 耳のある者は聞きなさい。」
13:10 すると、弟子たちが近寄って来て、イエスに言った。「なぜ、彼らにたとえでお話しになったのですか。」
13:11 イエスは答えて言われた。「あなたがたには、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼らには許されていません。
13:12 というのは、持っている者はさらに与えられて豊かになり、持たない者は持っているものまでも取り上げられてしまうからです。
13:13 わたしが彼らにたとえで話すのは、彼らは見てはいるが見ず、聞いてはいるが聞かず、また、悟ることもしないからです。
13:14 こうしてイザヤの告げた預言が彼らの上に実現したのです。『あなたがたは確かに聞きはするが、決して悟らない。確かに見てはいるが、決してわからない。
13:15 この民の心は鈍くなり、その耳は遠く、目はつぶっているからである。それは、彼らがその目で見、その耳で聞き、その心で悟って立ち返り、わたしにいやされることのないためである。』
13:16 しかし、あなたがたの目は見ているから幸いです。また、あなたがたの耳は聞いているから幸いです。
13:17 まことに、あなたがたに告げます。多くの預言者や義人たちが、あなたがたの見ているものを見たいと、切に願ったのに見られず、あなたがたの聞いていることを聞きたいと、切に願ったのに聞けなかったのです。
13:18 ですから、種蒔きのたとえを聞きなさい。
13:19 御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心に蒔かれたものを奪って行きます。道ばたに蒔かれるとは、このような人のことです。
13:20 また岩地に蒔かれるとは、みことばを聞くと、すぐに喜んで受け入れる人のことです。
13:21 しかし、自分のうちに根がないため、しばらくの間そうするだけで、みことばのために困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまいます。
13:22 また、いばらの中に蒔かれるとは、みことばを聞くが、この世の心づかいと富の惑わしとがみことばをふさぐため、実を結ばない人のことです。
13:23 ところが、良い地に蒔かれるとは、みことばを聞いてそれを悟る人のことで、その人はほんとうに実を結び、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍の実を結びます。」

<要約>

みことばは素直に心を開く人に届く:

イエス様は群衆にたとえで神の国の奥義を語られました。種まきのたとえです。イエス様は、耳のあるものは聞きなさいと進めています。すると弟子たちは、イエス様に尋ねます。「なぜ、彼らにたとえでお話になったのですか?」と。御国の奥義を聞きたいという求道心をもって真剣に聞く人には、いよいよ知識が豊かにされます。ところが、敵対している人あるいは無関心な人は聞いても悟らず、ますます、真理から遠ざけられるのです。もし、あなたが、求める気持ちと素直な心で聞くならば、もうすでに良い地なのです。自分の心は、道端、岩地、いばらの土地ではないように願うからです。みことばの種はすでにまかれています。また、常に届けられているのです。しかし、求める気持ちのない人、素直な心になれない人には何の意味もないのです。

今、届けられている救い:

「あなた方の目は見ているから幸いです。あなた方の耳は聞いているから幸いです」と。イエス様の言わんとすることは以下のようです。「旧約聖書に語り継がれてきた救い主を今、目の前で、あなた方は見て、その声を聞いているから幸いです。それはわたしだからです。」今、復活のイエス様は目には見えませんが、ここにおられます。そして、あなたを招いています。「わたしはイエス・キリストです。あなたが見ようとすれば見えます。聞こうとすれば聞こえます。感じようとすれば感じるのです」と。福音は届けられています。イエス・キリストの救いはすべての人に提供されています。しかし、それをあなたが、信じるという信仰によって受け止めなければ、イエス・キリストを知ることにはなりません。イエス・キリストによる救いは、神がすべて用意してくださったことです。私たちはただ、それを受け取ればよいのです。受け取るためには両方の手を開いて差し出さなければなりません。心を向けてキリストをお迎えするのです。キリストに耳を傾けなければなりません。

実を豊かに実らせる秘訣:

この四種類の土地は、だれにでもある心の在り方です。それに伴う生き方を示しています。求める気持ちのある人は、良い地でありたいと思うのです。そして、他の三つの生き方をするまいと思うのです。ですから、これは、読者であるあなたの生き方に対する問いと言えます。また、このたとえは、あくまでも心の在り方についての話であって、行いについての話ではありません。何をするかのドゥーイングではなく、どうあるべきかのビーイングです。イエス様は良い心の在り方の前に他の三つの心の在り方について警告を発しています。それは、人の心に蒔かれた福音の種が定着し実らせることを妨げる三つの障害、あるいは三つの敵であるということです。第一のものは、「その人の心に蒔かれたものを奪い取っていく悪い者です。」つまり、悪魔、サタンです。第二の敵は、岩地です。これは人の内側にある敵です。岩地は私たち人間が生まれながら持っている悪に傾く性質と言えます。

第三の敵は、いばらの土地です。これはこの世です。この世の誘惑です。この世の価値に引っ張られて、世のことに心を使い、神の国と神の義を第一とすることができずに、世に妥協してしまいます。聖書は運命論ではありません。読者に、この四番目の土地であることを勧めています。私たちが、素直に読めば、百倍、六十倍、三十倍の実を実らす人になりたいと思うのは当然でないでしょうか。福音の種は蒔かれています。イエス・キリストの十字架による罪の赦しと永遠のいのちの救いが、あなたの心に届けられています。この種まきのたとえを通して、イエス様は何を読者に求めておられるのでしょうか。あなたが良い農夫となり、あなたの心の土地を管理しなさいと言われているようです。種がまかれて、芽が出て実を実らせるのに必要なのは、水と太陽です。それらは神が与えてくださることです。良い農夫がすることは、土地をよい土地に保つことです。鳥を追い払わなければなりません。石ころを取り除かなければなりません。いばらや雑草を取り除くことです。それは継続的に続けなければなりません。そうすれば、百倍、六十倍、三十倍の実を実らすことができると約束しているのです。神が実らせてくださるというのです。イエス様は、今日も、あなたの人生に百倍、六十倍、三十倍の実を実らせてあげよう、と皆さんをここに招いてくださいました。どうか良い地となって、みことばの福音をいただいてください。素直な心受け入れる心、何の努力も功績もいりません。主は、あなたに豊かな実を実らせ、永遠のいのちを与えてくださいます。